第32話 泣かないで

 それは、奇跡みたいな光景だった。オレンジ色の光は弾けるように辺り一面に広がったあと、雨みたいに降り注ぐ。その雫はアッシュとテトラの体に跳ね、染み込むたびに少しずつ彼らの傷を癒していったのである。

 ぐったりとしていたアッシュの体が、もぞりと動いた。

「……アッシュ? テトラ?」

「……む」

「ホー」

「……ううううっ!」

 ぶわっと涙があふれた。アッシュとテトラの体を抱きしめ、めそめそと泣く。

 ……良かった。本当に良かった。何が起きたのか全くわからないけれど、この子たちを助けられたことだけは分かる。アッシュのドロドロは消えて、テトラの羽も元の美しい黒を取り戻した。もう大丈夫だろう。

「――聞いていた通り、素晴らしい力ですね」

 けれど、安心した気持ちはすぐに覆された。いつのまにか私の背後に、仮面をつけた巨大な白い鳥がいたのである。

「怯え逃げ惑う姿は単なる小娘そのものでしたが、圧倒的なまでに特殊なその魔力。主人が執着するのも理解できます」

「あ……あなた、誰? 喋れるの?」

「こちらの質問に答えるだけで良いのです。アナタの疑問に興味はありません」

 元気になったテトラが、また威勢よく仮面の鳥に向かって行こうとする。それを何とか押しとどめ、私は鳥に向き直った。

「私はロマーナ・サンジュエル。百年前に滅んだ国の姫よ」

「それは私の主人により賜った情報にて存じております。ですが、先程アナタが見せた能力についてはまだ詳細を知りません」

「あ、結構答えてくれるのね」

 さっき私の疑問には興味無いって言ってたけど、会話はしてくれるようだ。かといって、印象が好転するわけでもないけれど。

 オレンジの雨は全てに平等に降り注ぎ、仮面の鳥の傷すらも癒す。そっちはいいのに。

「……私にも、分からないわ」

 実際分からなかったが、元よりアッシュやテトラを傷つけた者に優しくしてやる謂れは無い。私はプイとそっぽを向いた。

「で、そっちこそ何者なの? 知ってるわよ、ずっと私達を見張ってたんでしょう?」

「そこの忌々しいフクロウがいなければ、より良い成果が上げられたのですがね。腹立たしいことです」

「……やっぱりテトラが守っていてくれたのね。テトラ、ありがとう」

「ホー」

「それで、あなたに命令した主人って誰?」

「我が口から説明するよりは、直接お会いするほうが良いかと。当方お連れする準備は整っておりますが」

 仮面の鳥が、首を九十度傾けた。私は一瞬言葉に詰まったものの、はっきりと頷く。

「そうね、会いたいわ。どうせ私をさらうまで、あなた達は狙い続けるんでしょ?」

「推測は正しいです」

「じゃあこっちから会いに行くわ。その代わり、条件があるの」

「条件?」

「もう私のお友達や魔法使いの人、サンジュエル城を狙ったりしないで。ゾンビを派遣するなんてもっての他よ?」

「アナタは交換条件を提示できる立場にはありませんが」

「じゃあ行かない! 地面に穴掘って、意地でも出てこないわ!」

「……本当に姫という立場の者なのですか?」

 国は滅んでるから正しくは元姫だけど、鳥にまで疑問を持たれるのは流石に悔しい。いや、なりふり構うものか。これ以上、私の為に誰かが傷つくのは絶対に嫌だ。

「……承知しました」

 私が両手を使って穴を掘り始めた所、仮面の鳥は呆れたように首をもたげた。

「アナタが大人しくなるというのであれば、こちらにも都合が良い。交換条件を認めましょう」

「よし!」

「しかし、そのフクロウはこちらに寄越してください。この苛立ちは彼女の命によって収めようと思います」

「だ、ダメよ! テトラは私のお友達だから、交換条件の範疇だもの!」

「ですが、彼女の同伴は認められません」

「なるほど、分かった! バイバイ、テトラ!」

 テトラにこっそりアッシュを持たせ、両手でそっと空へと放り投げる。彼女は戸惑ったように一度こちらを振り返ったものの、すぐに遠くへと羽ばたいていった。頭のいい子だ。

「さあ、これでいいわよね!? 私は丸腰です! いつでも行けますよ!」

「……そのようですね。溢れんばかりの魔力も、アナタ一人では使えないようです。ならば今のアナタは無力も同然」

「はっきり言うことないじゃない」

「では、目を閉じてください」

 言われた通りに目を閉じる。冷たい空気が、サッと私の前を横切った。

 ――これでいい。こうすれば、もう他の人が傷つくことは無い。ここから先は、私が頑張るだけでいいのだ。

 でも安心する一方で、全然体の震えは止まらなかった。手に力は入らず、拳すら握れない。……本当は、心の底から怯えていた。この選択を後悔するぐらいおぞましい未来が待っているかもと、そう考えるだけで怖気付いてしまう。でも、もう後戻りもできない。誰も巻き込まず、一人で頑張ると決めたのなら。

 なのに。

 ――なのに、なんでこういう時ですら、彼は私を一人ぼっちにしないのだろう。

「ロマーナ様!」

 聞き馴染んだ声にハッと目を開ける。真っ白な羽の隙間から、ヴィンがこちらに向かって走ってくるのが見えた。

 仮面の鳥は、「鬱陶しい」と片翼でヴィンを払う。けれど彼が吹き飛ばされる間に、腕の中に落ちてきたものがあった。……アッシュだ。顔を上げると、上空を旋回するテトラが見えた。

「ロマーナ様、どうか待っていてください!」

 ヴィンは、無理矢理木に体を引っ掛けて踏みとどまっていた。流れる血を振り払い、私だけを見つめて声を張り上げる。

「必ず僕が迎えに行きます! 絶対にあなたを一人にしません! お気持ちを強く持っていてください!」

「ヴィン……」

「だから……!」

 ヴィンの顔が苦しそうに歪む。その表情に古い記憶が蘇る。

「泣かないで……!」

 ――何故か、幼い男の子の顔が彼に重なって。涙に滲んだ私の視界は、真っ白になった。

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