第31話 逃げた先で
「……何イチャついてるんですか」
「いや、これは、その」
灰色の霧も晴れ、一体残らずゾンビが片付けた頃。リンドウを抱いて戻ってきたオルグは、ヴィンに冷ややかな視線を向けられていた。
「実はこちらのリンドウ殿、ゾンビ共に魔力を吸い取られてしまってな。今は歩くことも叶わぬとのことだそうだ」
「おや、失礼しました。本当ですか、リンドウ」
「……そ、そうでございます……」
「なんか人格変わってません? まあいいでしょう。ロマーナ様は?」
「ろ、ロマーナちゃんは……も、森に、逃げた、はず……」
「森に?」
「ええ」
リンドウは頷き、蚊の鳴くような声で続ける。
「アタクシ、周りを霧にして……ロマーナちゃんの影を作って、ゾンビの気を引いてたの。だから、多分……ちゃんと、逃げてるはず……」
「リンドウ殿、大丈夫か? 顔が真っ赤だが」
「ららららいじょうぶです、オルグ様! 何の心配もございません!」
「では公爵、テトラを飛ばしてください。彼女ならすぐ見つけられるでしょう」
「お前はもう少しリンドウ殿にも心を配れ」
そう言いながらも、公爵はピィと指笛を吹いた。いつもなら一分もしないうちにやってくるはずだが、今回は影も形も見えなかった。
「おかしいな。どうしたのだろう」
「またロマーナ様に張り付いているのではないですか? この一週間、そうだったように」
「だ、だからそれについては説明しただろう! しきりにテトラが騒ぐものだから、仕方なく……!」
「だからって普通、一晩中外で待機しますかね。殆どストーカーですよ、それ」
「部屋などは覗いていない! 断じてだ!」
「はいはい」
オルグは、ヴィンにこの一週間の自分の行動について白状していた。白い小鳥に妙な気配を感じたらしいテトラと共に、夜中ずっとロマーナの部屋を見張っていたのである。
「白い小鳥に何故あれほど突っかかるのか分からんかったが、テトラは無意味な行動は取らん。よって彼女の満足するまで私も付き合っていたのだ」
「で、今回も公爵と行くよりロマーナ様の元に残ったと。ならば尚更その辺にいそうですが……」
「ま、待って! 今白い鳥って言った!?」
リンドウが身を乗り出す。紳士的に降ろされた彼女は、ズカズカとヴィンの前まで来た。
「詳しく教えなさい! 白い鳥が何って!?」
「いややっぱり歩けるじゃないですか。なんで動けないふりしてたんです」
「いいから! お、オルグ様! もしや、テトラというのは黒い梟のことでございますか!?」
「あ、ああ。そうだが、何故あなたが知っているんだ?」
「やっぱり! っていうかヴィン! アンタが白い鳥を倒したんじゃないの!?」
「落ち着いてください、リンドウ。あなたさっきから支離滅裂ですよ」
リンドウを宥めながら、ヴィンは辺りを見回す。しかし、彼女やオルグが言うような白い鳥は見つからなかった。
「……白い鳥は、巨大な魔鳥が変身したものだったの」
リンドウは、さっきとは打って変わって青ざめた顔で言う。
「情報を流していたのも、きっとそいつよ。使役していたのは、ロマーナちゃんや魔法使いを狙ってた奴に違いないわ。でも……その鳥に、テトラちゃんとアッシュちゃんは……」
説明するリンドウの声は、震えていた。自分のいない間に起きた出来事を聞くや否や、ヴィンは森に向けて駆け出していた。
――もう、どれぐらい走っただろうか。濃い木々の匂いを私は胸いっぱいに吸い、吐いた。
私は一人、森の中にいた。全身汗だくで、服は泥が跳ねて見る影も無い。現在一切の姫成分が無い状態である。
「……」
追手が来ている様子は、無かった。リンドウさんが遠ざけてくれたのだろう。……どうか無事でいてほしい。彼女の気持ちを無駄にしない為にも、今は少しでも遠くに逃げなければならなかった。
そう思うのに、百年ぶりに長く走った私の体は早くも限界を迎えていた。持ち上がりきらなかった足が突き出た根っこに引っかかり、ずでんと転倒する。地面に突っ伏した私には、起き上がる気力すら残っていなかった。
……全身が、鉛みたいだ。仕方ない、ちょっとだけ休もう。けれどそうやってゼーゼーと酸素を求める私の肩に、ずんと重さを与えたものがあった。
「あ、あなた……テトラ?」
「ホー……」
振り返って見たのは、あちこち羽根が抜けた漆黒のフクロウである。……かなり、怪我をしている。少し動くだけでも辛そうな彼女は、それでもヨロヨロと私に片脚で掴んだものを差し出した。薄汚れた、灰色の犬のぬいぐるみを――。
「アッシュ!? アッシュじゃないの!」
「……う……」
「て、テトラが連れてきてくれたの!? ありがとう!」
「ホー……」
「いい子……。ねぇアッシュ、私が分かる? 私ちゃんと無事よ。あなたが逃がしてくれたお陰よ?」
「……」
テトラから受け取ったアッシュは、所々布が破けて綿が見えていた。けれどその綿は真っ黒で、触れるとドロドロとしていた。
――彼は、死にかけている。そう直感した。
「……ごめんなさい」
アッシュとテトラ、どちらの怪我にも響かないよう気をつけて抱き寄せる。でももう、私の声に反応する気力さえ無いようだった。
……この時の私が“そう”した理由は、今でもうまく説明できない。自分の身に何が起こるかなんて考えてなくて、ただひたすらに悲しくて、何故かヴィンの顔が浮かんだことだけは覚えている。
私は、一本の鍵を取り出した。お守り代わりにしていた、オレンジ色の鍵。それを胸の前に持ってくると、何の迷いも無くくるりと手首を回した。
解錠音がする。私の体は、オレンジ色の光に包まれた。
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