第9話 寝室の前で

 その夜。買いたての服に身を包んだ私は、ヴィンに付き添われて自分の寝室の前まで来ていた。

「百年眠っていたとはいえ、自分のお城だから場所は分かるよ?」

「どうかご迷惑でなければこうさせてください。何せこの百年間、どこで生えたか分からないような噂でロマーナ姫を狙う者が大勢いたのです。加えて目が覚めた今とあっては、言わずもがな」

 ヴィンは私の手をとって、薄い金色の頭を軽く下げる。温度の無い手と忠実な騎士の姿に、思わずキュンとした。

「僕の心の安寧を保つと思ってお願いできれば……と言い訳するのは、少々狡いでしょうか」

「そ、そんなことないよ! ヴィンが安心してくれるなら私も嬉しいし!」

「良かった、ありがとうございます。では、毎晩部屋の前までお供させていただきますね」

 すっきりと整った顔で微笑むヴィンに、ドキッとする。血の気が無いとはいえ、やっぱり変わらず素敵な顔立ちだ。勝手に高鳴る胸の音が外に漏れないようぬいぐるみで押さえつけていると、ヴィンがふと眉をひそめた。

「……本当に、そのぬいぐるみと寝るのですか?」

「え、だめ? だってお風呂にも入れてあげたし、ちゃんと乾かしたし……」

「ですが魔法具屋で買ったものでしょう? 加えて店主からの説明も無きシロモノ。何が起こるか分かったものじゃありません」

「でも可愛いし……」

「何か起こってからじゃ遅いのですよ?」

 心配して食い下がるヴィンに、私は困ってしまった。こちらにだって譲れない事情があるのだ。犬のぬいぐるみを庇うように抱きしめ、半泣きで彼を見上げる。

「お、お願い、今晩だけでいいの。だって、こんな誰もいない広いお城で一人で寝るのなんて初めてで……。その、ちょっとだけだけど、心細くて……」

「……」

「今晩だけだから! ね!? 明日からはヴィンにぬいぐるみを預けるから! お願い!」

「……し、仕方ありませんね」

 私の駄々に、ヴィンは口元を手で隠してそっぽを向いた。……怒らせたのだろうか。

「ですが、今晩だけですよ? 何かあればすぐ僕を呼ぶこと。すぐに駆けつけますので」

「ありがとう、ヴィン!」

「いいえ。幸い、それぐらいのぬいぐるみなら一瞬で消し炭にできる魔法具も本日入手できましたし」

「ぬいぐるみちゃん、絶対大人しくしてるのよ! このお兄さん、本気だからね!」

 言って聞いてくれる存在なのかは分からないけど、私もぬいぐるみに情が湧いて来た所である。燃やされるのは嫌だ。

 ……本当は、ヴィンがそばにいてくれたら一番いいんだけどな。でもそう言ってお部屋に招くのはどうかと思うし、ヴィンも困らせてしまうだろう。自分と私の立場を重んじてくれている彼につけ込むような言葉は、ただの横暴だと思うのだ。

 部屋の中に入る。ヴィンは外で、ドアを閉めてくれながら優しい声で言った。

「では、おやすみなさい。ロマーナ姫」

「……」

「どうしました?」

「……ね。今日街でしたお願い、覚えてる?」

「お願い、ですか?」

「うん。姫、じゃなくて、様って呼んで欲しいってお願い。姫だとちょっと遠い感じがするから、呼び方だけでも近くにいてほしいなって……。やっぱり、わがままかな?」

「……。いえ、そんなことはありませんよ。失礼しました、ロマーナ様」

「えへへ、ありがとう。無理ばっか言ってごめんね、ヴィン。それじゃあおやすみなさい」

「……おやすみなさい、ロマーナ様」

 ――一瞬、ヴィンにしては珍しい表情が浮かんでいたように見えたけど。目に焼き付ける前に、夜の闇と閉まるドアに彼は見えなくなってしまった。

 一人残された私は、ぎゅっと胸の中のぬいぐるみを抱きしめる。目を閉じれば、洪水のように不安と恐怖が襲いかかって来た。

 炎。何かが焦げる嫌な匂いと肺を満たす煙。悲鳴。誰かを守るために張り上げられた声。私の手を引くお母様の後ろ姿。

 また涙が出て来そうになる。けれど、今度はぐっと唇を噛み締めて堪えた。

(起こってしまったことは、消えない。事実は、どうしたって変わらない)

 洗い立ての灰色の犬のぬいぐるみからは、鼻に馴染んだ石鹸の香りがした。……お母様の匂いだ。こうしていると、まるでそばにいて励ましてくれるような気が……。

『何をメソメソしているのです! あなたはこの戦場の紅薔薇と恐れられた母の娘なのですよ!? 心の強さは折り紙つきです! みっともないお顔をしていないで、立ち上がって胸を張りなさい!』

 ……いや、どちらかというと叱咤だな。お母様、そういうとこあるから。

 でも、そうだ。事実を変えられないのなら、私が変わるしかない。けれど、変わるなんてどうすれば……。

(……そういえば。どうして、友好関係を築いていたはずのノットリー国が突然攻めて来たんだろう)

 最初こそ降って湧いたような小さな疑問だったけれど、重ねて自問していく内にどんどん膨らんでいった。――城さえ落とせば、戦争は終わったはずだ。そうでなくても、ノットリーがサンジュエルに戦争を仕掛けて得るメリットなどあったのだろうか? サンジュエルの持つ土地的な財産が欲しいのなら、街や野に火を放ってオシャカにしてしまうのは良い判断とはいえない。そもそも、友好国に対して何の宣戦布告も無く戦争を始めるなんて、周りの国を丸ごと敵に回すようなものなのだ。昨日まで仲良くしてた相手に、いきなり寝首をかかれればどう思う? 諸国の信用を失い、孤立したっておかしくない。

 ……考えれば考えるほど、分からなくなる。何故サンジュエル国は滅ぼされたのだろう。

(――本当のことを、知りたい)

 恐ろしい炎の記憶は、依然生々しく蘇り私を苛む。それに立ち向かうためにも、私は真実を知りたいと思った。

 でも、どうやって調べれば? ヴィンに聞くのが一番順当だけど、真相となればサンジュエル側じゃない視点も必要だろう。となれば、その糸口をどう作るか……。

「……あら?」

 その時、コツコツと軽く何かを叩く音がした。振り返ると、窓の外に小さな白い鳥が来てクチバシでガラスをつついている。

「どうしたの? お外寒いのかな」

 窓に近づいて、開けてやる。白い鳥はよく人に懐いているようで、伸ばした私の指に頭をこすりつけ、愛らしい声で鳴いた。見れば、羽根に一筋の青い線が入っている。オシャレな鳥だ。

 やがてその小鳥は羽を広げる。けれど、一歩下がって部屋に招き入れようとした瞬間――。

「ふわっ!?」

 ――どこからともなく飛んできた黒い塊が、ものすごい勢いで白い鳥を弾き飛ばしたのである。

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