幕間 貴方の隣と私の隣
貴方の隣と私の隣
夢物語でも口にしているのかと思った。この人は一体何の話をしているのだろうかと、表情がどんどん曇っていくのを自覚出来るほどには、俄には信じ難い内容だったのだ。
「四神、ってどう思う?」
冷えたジョッキに注がれたビールを見るとやっぱり彼のことを思い出す。
二人で居酒屋に行った際、彼は決まって最初は生ビールを頼んでいた。この一杯の為だけに生きてるんだ、と感激の言葉を素直に述べながら、喉を鳴らして豪快に飲む姿を見るのが、私は好きだった。
「四神。って、それアニメや漫画とか、ゲームに出てくるようなアレ?」
目の前に座る彼女は、ナイナイと笑いながら梅酒のソーダ割りを一口飲んだ。彼女は中学生の頃の部活仲間で、社会人となった今でも交流を続けている。
「何それ。
あり得ないっしょ、とケタケタ笑いながら私の質問は呆気なく一刀両断にされて、話題は直ぐに別のものへと移り変わっていった。
流行りのコスメ用品や、カフェ、仕事の愚痴なんかを言い合っていくうちに、話題はまたもや私の恋愛へと舞い戻る。
女子会というのは、こういうことがよくある気がする。話題のメインディッシュはほとんどが恋愛で、何歳になっても私達は変わらずに恋や愛を、愛し続けていた。
「そういう架空の話してくる奴だったなんて、全然想像もしてなかったけど、そんなんだったら別れて正解だったんじゃないの。」
「……架空の話、かぁ。」
「え、まさかアンタ信じちゃってるわけ?」
怪訝な顔で言われ、回答に困った私は苦笑を浮かべ肩を竦める程度の反応しか出来なかった。
たしかに、私も最初は彼女と同じ考え方をしていた。四神などこの世には存在しない、伝説上の生きものなのだ、と。けれど、彼のあの眼差しには嘘偽りなど無いように感じられたのだ。
その日、別れを切り出した日は、水族館に二人で行った。青い水の中を泳ぐ魚や海獣たちの姿を眺めながら、他愛無い会話を楽しみ、そして心のどこかで寂しく感じてもいた。
「そもそもさぁ、ちょっと不思議なとこなかった。不思議っていうか、怪しいっていうか。」
「……それは。」
彼女の言うことは当たってはいた。彼は付き合っている期間中、連絡が途絶えたりする時があったのだ。といっても、返事が二日遅れたりする程度で、特に浮気や他の何かを疑うような要素は見当たらなかった。なので、本人を問い詰めるような真似もしなかったのだが、今になって考えると、あの空白の時間、一体彼は何処でなにをしていたのかは気になる。
しかし、彼に今更連絡を取り合う気持ちにはとてもなれなかった。そんなことはとても自分勝手であり、都合が良すぎる。彼と別れることを選択したのは私だ。
彼の話を信じてあげられなかったのも、私なのだ。
「お待たせしました。きゅうりと茄子の浅漬け盛り合わせです。」
店員がテーブルに置いていった皿には、言葉通りの野菜が盛られており、私は迷いなく茄子の方を箸で取る。彼女はそれらには一切手を付けずに再び梅酒を飲むと、頬杖をつきながら、ヒソヒソと話をし始めた。
「そういえば、職場で最近変な噂が出回ってるんだよね。」
「噂?」
茄子全体に染み込んだ程よく塩辛い汁が口内に広がり、あっさりとした旨味に、ビールが欲しくなる。驚く私の反応に、彼女は嬉しそうな微笑で言葉を重ねていった。
「ほら、今建設会社で働いてるじゃん。そこでね、人が消えたりしてるんだって。」
「え、それって行方不明ってこと?」
ボリュームが大きくなる私に、彼女は人差し指を唇に押し当てると慌てた様子でしーっと言った。聞かれたらまずい話なのだろうと咄嗟に判断がつき、思わず頭を下げて詫びた。
「残業してた社員が何人か、翌日から出勤してこなくなったの。怖くない?」
「それって家にも居ないの?ほら、病気で連絡する余裕が無かったり、とか。」
「そこら辺はどうなんだか分かんないんだけど、噂によると家族も誰も連絡付かなくて、居場所が全く掴めないんだって。」
彼女から聞かされた噂話も、彼が私に言っていたことと同じほどには、とてもではないが素面では信じることは難しい内容に思えた。けれども、彼と彼女とでは決定的に違う部分がある。
「ま、ただの噂なんだろうと思うんだけど。辞めてっただけだと思うんだよね。結構、仕事キツいしさ。辞めたがってる子の方が多いもん。」
真摯さだ。
「信じてほしい、なんて簡単には言えないことだって分かってる。でも、本当の話なんだ。変な団体でもなんでもなくってさ。家族に、仲間に会ってもらえれば絶対に分かってもらえると思う。俺は、できれば、叶うことならこの先も一緒に居たい。柑奈と、一緒にいたいんだ。」
四神。これまでの人生で、全く関心のない存在だった。青龍、白虎、朱雀、玄武。聞いたことはあるけれど、それがどういった意義を持ち、どうして存在するのかなど考えてもみなかった話だ。そもそも私は、実物を見たことがない。超能力なんてものも、あまり信じてはいない方だったので、更に受け止めることが厳しかった。でも、今は少しだけ信じてみたかったと思ってしまう。
メッセージのやり取りや、電話すらしなくなり、別れてからもうだいぶ時間は経過しているというのに、龍司を思い描いてしまう日がある。
「はぁ。」
彼女とは居酒屋の店前で別れた。なんとなく噂話が気に掛かる。もしかしてこういったことも、彼が話していた四神と繋がりがあるのだろうか。
なんとなく、心惹かれ、携帯電話を開いた。五十音順に並んだ電話帳の中には、今もなお彼の連絡先が残っている。ボタンを押すか否か思い悩み、睨めっこを数分ほど続けたが、頭を振るのみだった。やっぱり私には、出来ない。
「龍司。」
もしも。たられば。喩えや嘘偽り、冗談。それだけでは抑えきれない真実があるのだとするのならば、今からでも間に合うのなら、私はもう一度彼と対峙してみたかった。
青龍と共にあるという、神崎龍司と。
四獣演舞伝 くもの すみれ @kumonosumire
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