第66話笑って(3)
片づけが思った以上に手間取ってしまって、約束していた時間よりもずいぶんと遅くなってしまった。窓の向こうがオレンジに染まって、外では部活生もちらほら見える。文化祭があっても、部活はあるんだなと思いながら廊下を少しだけ走る。階段を下りて昇降口にたどり着くと、そこには連絡の通り彼女が待っていた。
オレンジの西日が差し込んで、彼女の肌がそれを反射するみたいに輝いている。綺麗な横顔、少しだけ伏せた目がゆっくりと開いて、顔がこちらを向く。オレンジの光に照らされた甘い笑みに、私の足は立ち止まる。美術館の作品にだって、こんなに足を止められてしまうことはないだろう。それ位に、あまりにも綺麗な景色。私はそれを忘れないように瞼の奥に焼き付ける。
「理歩、お疲れ様」
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「んーん、平気」
愛花がこちらに近づいてくる。私はようやく止まっていたことを思い出して慌てて靴を履き替える。ローファーを履く間にも、愛花は隣で待っていてくれている。後ろから声がして、同じクラスの男の子が数人こちらに近づいてきた。私と理歩を見て、びっくりしたように目を丸めて、言葉がぴたりと止む。意外な組み合わせだと思っているのが、流石の私にだって分かる。
「行こ、理歩」
「う、うん」
きっとそんなことなんて気にしていないんだろうな。いつも通りの愛花にそう思う。一緒に並んで昇降口を出れば、あっという間にそんな些細なことはどうでもよくなって。約束以外の時間をこうして愛花と過ごせている幸せが全部を上書きしてしまう。私の方を見て笑ってくれるだけで、私はもう全部ハッピーエンドにでもなってしまったかのような心地になってしまうのだ。
「見すぎじゃない?」
「え?」
「かーお。 何かついてますかー?」
「そういうわけじゃないけど……だって、一緒に帰れるなんて思ってなかったから」
「……」
愛花の目がじっと私を見つめる。茶色の瞳は、いまでは夕日のせいかオレンジにも見える。あまりにもずっと目が合うから、少しだけ恥ずかしくなって次は私が視線を逸らす。いつもの帰り道、クリーニング屋さんの看板。
「理歩はだって、優ちゃん、って子達と帰るでしょ?」
「え?」
さっきよりも小さな声は、それでもちゃんと耳まで届いた。さっきよりも少しだけ寂しそうな拗ねたような声にまた視線を戻すと、彼女は前を向いていて、その横顔を見つめる。それが理由で、私と帰るのを遠慮していた、ということなのだろうか。確かに基本予定がなければ優と帰っていたけれど。
もし、愛花と帰ることが出来るのならば。
「私は、愛花ともっと一緒に帰りたい、けど」
一歩、近づく。今まで一定に保たれていた私と愛花との距離を知っている。けれど、今日初めてそれが少し縮まった気がした。私が近づいても愛花は許してくれた。だから私はまた少し、一歩だけ彼女に近づく。
好きだという気持ちは、人を大胆にさせてしまうし臆病にもさせる。一度傷つけば動けなくなるのに、一度受け入れられてしまうと何度も甘えたくなる、とても複雑なものだと思う。
一歩近づけたことがこんなにも嬉しくて、それなのに、それじゃ足りないと思ってしまっている。
だから、どうか、この一歩を許してほしい。
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