第59話そして零れ落ちる(3)


「え、あれ宮崎さんじゃね?」


 準備したオレンジジュースを絵里に渡していると、そんな声が聞こえてきた。教室の入り口には本当に愛花がいて、愛花が周りをきょろきょろと見回しているのさへまるでショータイムを見るようにじっと見つめてしまう。

 話しかけて、いいのかな。自惚れじゃなければ、私の為に来てくれている訳だし。でも、学校で話しかけないのは暗黙の了解で。


「宮崎さん、一人なんだ」

「うん……」

「ってか、理歩に会いに来てるんじゃないの?」


 同じキッチン担当の沙耶が私にそう言う。愛花がこのクラスに私以外の友達がいない限りは、多分そういうことでいいんだと思う。メイド服を着たクラスメイトを確認し終わった愛花が、こちらに視線を向けて、目が合った。

 小さく手が持ち上がって、胸のあたりで3回、愛花の手のひらが揺れる。私はそれに咄嗟に手を振り返す。些細なそれが、どうしてこんなにも可愛らしく見えるんだろう。どうしてこんなに嬉しいんだろう。テストで百点を取ったって、こんなに嬉しくなりはしない位、そのたった数秒がこんなにも嬉しい。


「こちらにどうぞ!」


 私と愛花の視線を遮るように、クラスメイトの男の子が愛花に話しかける。席に案内された愛花が椅子に座って、メニュー表を眺めているのをじっと眺める。席に案内した男の子が熱心におススメを説明していて、少しだけもやっとする。ホールの仕事にそんなことはないはずで、愛花だからしているんだと思うから。


「じゃぁそれで」

「かしこまりました!」


 注文を受けた男の子が返ってきて、クッキーと紅茶のセットをキッチンに告げる。


「それ私達やるよ」


 沙耶がそう言って、私に目くばせをする。てきぱきと準備していく沙耶に、遅れて準備を始める。小分けにされたクッキーを沙耶からもらった紙皿に乗せて、ティーパックを紙コップにセットしてお湯を注ぐ。ゆっくりとお湯が茶色になって、紅茶の香りが上ってくる。適当なところでティーパックを取り出して、お盆にその二つを乗せる。視線をあげると、愛花がこっちを見ていて視線が合う。もしかして、ずっと見てた?


「渡してきなよ、どうせだし」

「え?」


 思わぬ提案に、視線を沙耶の方へ向ける。で、でも一応キッチンの担当で、そんな目立つ方法で愛花に近づいていいのだろうか。愛花と私の間にある境界線は、目に見えずとも強力で、それを踏み越えて後悔してしまったことだってあるのに。


「これ俺持ってくね」

「あ」


 注文を取った男の子が、そのままお盆を持ち去っていく。私や沙耶が何か言う前に、彼はせっせと自分の役目を全うしてしまった。愛花のテーブルに、そのお盆が置かれているのを眺める。


「……喧嘩でもしてるの?」

「嫌、全然そうじゃなくて……ただ人前だとあんまり話しかけてほしくないみたいで」

「何それ、変なルール」

「まぁ、確かに」


 愛花がスマホを取り出して、紙皿に乗ったクッキーと紙コップの紅茶の写真を撮っている。可愛げも何もないのに、何回も何回も撮っているらしい。ブレザーのポケットに入れていたスマホが振動する。愛花が私を見て、少しだけ頬を緩める。


「あ」


 スマホを取り出せば、通知が二件。それは愛花からで、ありがとうという言葉と、やけに映えた歪なクッキーの写真が送られてきていた。その画面を眺めていると、愛花のアイコンにまた一つ吹き出しが増える。おいしい、という文面に顔をあげると、また愛花がこちらを向いて笑っていた。

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