第58話そして零れ落ちる(2)


 扉の向こうの騒がしさが一段と酷くなってきた。十時を過ぎてどんどん人が増えているのが、見なくても分かる。ここら辺は何も催しなんてないのにこれだから、教室にもどれば更にひどいんだろうなぁ。


 理歩が当番と言っていた時間まではもう少しあるし、大人しくしておこう。薄暗い空き教室の隅っこは、窓から光が入り込んでいてなんだか眠気を誘われる。


 ちょっとずつ瞼が重くなって、すこしうとうとしていた頃に不意に教室のドアが開いた。あまりにも突然の音に心臓が止まっちゃうんじゃないかってくらいにビックリしながらドアの方に視線を向ける。素早く閉まったドア、入ってきた雄一郎君が窓から見えないようしゃがみながらこちらに近づいてくる。


「こんなところまで人来るんだ」

「ねー」

「まぁでもなんか、隠れてる感じ楽しくて俺は好きだけど」


 そう言っていつものように楽しげに笑って、袋に入ったたこ焼きと焼きそば、それからアイスカフェオレにコーラ。教室から持ってきたらしいテーブルクロスを床に敷いて、そこに並べていく。普通にお腹いっぱいになっちゃいそうな量だなぁ。


「愛花ちゃんはマジで当番までここにおるん?」

「これ食べて少ししたら、一か所だけ回るかな」

「どこ?」

「……」

「あー……前言ってた好きな人がいるクラスか」


 思考の巡回の隙にバレてしまった。牽制みたいな意味としては、むしろ知られていた方がいいのかもしれない。そんなことを考えて否定をするのはやめた。

 割りばしが大きすぎる一口分を掴んで、それが全部彼の口に収まる。割りばしを割って、たこ焼きを一つ掴む。


「うまくいきませんなぁ、お互いに」

「フフフ、本当にねー」


 そう言って少しだけ笑いあう。世の中本当に不思議で、好きでいてくれる人を好きになれればこんなに悩んで苦しくなることもないって頭では分かっているのに、テストのように正解を選ぶことができなくて。間違っては後悔しているのに、また同じように焦がれて、間違ってしまう。


「でもさ、もしそいつ関連でまたなんか辛いことあったら俺に言ってよ。 愛花ちゃんを笑わせられるように出来ることやってみるから」


 そう言って、自分の言葉を疑わない笑みを出来る彼はすごいと思う。今までは、その根拠のない自信をどこか嫌っていたけれど、それは結局嫉妬していただけだったのかもしれない。自分が怖いと立ち止まっている場所を、いとも簡単に飛び越えていくような気がしてそれを受け入れるのが嫌だったのかもしれない。

 私もいつか理歩に、そんな風に言えたらいいのにな。誰かを羨ましがるだけで、かといって背を向けることも出来ずに足踏みをしているだけの自分は、いい加減嫌になってくる。


「すごいね、雄一郎君は」

「んー……何度でも言うけどさ……気持ちには素直がいいって俺は思うよ」


 まっすぐな、偽りのない瞳。偽りばかりの私にはまっすぐ見るのすら眩しく感じてしまう。


「愛花ちゃんの素直な気持ちを蔑ろにするんじゃなくて、ちゃんと受け止めてくれる人っているからさ……だから蔑ろにした人になんて負けちゃだめだよ」


 眩しくてずっと目を背けていた場所がある。そこに行くのが怖くて、行っちゃダメだって言い聞かせて、けれどずっと、眩しくて仕方がなかった場所。彼はその場所で立って、大丈夫だってずっと叫んでくれているような。


「……今のはちょっと響いたなぁ」

「でしょ?」


 パン屋さんで見たのと同じ、自信たっぷりな顔。あの時この顔をみてイライラしたのも、もしかしたら嫉妬してたのかな。今は、その眩しい笑顔を、まっすぐに見れる気がする。今すぐには変われなくても、いつか、彼の言葉を受け止められるようになれたら、それは幸せなことなのかもしれない。


「ありがと」


 そんなことを気づかせてくれた貴方に、好きになってもらえてよかった。

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