第7話宮崎愛花(1)
彼女が私に向ける視線は、いつだって暖かい。普段涼しげな印象を与えるつり目が、私の前ではいとも簡単に解けて、まるで外から帰ってきた子供が母親に見せるみたいに、愛着のこもる視線で真っ直ぐに私を見る。
けれど、それは彼女だけが例外なのだと知っている。
「君、ちょっと」
例えば目の前のこの教師は、私の巻かれた髪やピンクのアイシャドウに、眉を顰めて声を低くする。
「ねぇ、名前なんて言うの」
例えば目の前のこの男子は、私と仲良くなることで自分の立ち位置を上にしたいと笑っている。
普通、そうだよね。彼女が例外なだけ。理歩がそういう打算のない、いい子なだけ。
「宮崎愛花だよー、そっちも教えて?」
「俺○○○○、ねぇ良かったら連絡先交換しよ」
記号だけの名前を聞いて、QRコードを読み取る。横顔をアイコンにしたその男の子は、更に上機嫌に言葉を投げかけてくる。言葉と言葉の隙間に、抜け出す機会を静かに探る。クラスで一番可愛いねという言葉も、彼女の笑顔一つには遠く及ばないから。
「愛花そろそろ帰らないと。 この後ママと入学式のお祝いするんだー」
「マジ? えー、一緒に帰りたかったなぁ」
「ごめんね、また今度ね」
「うん、絶対ね」
私のよりも二回りほど大きな手がひらひらと揺れる。それにバイバイと返して教室を出る。今の会話に、一緒に帰りたくなる要素なんてあったかなぁ。まぁ、知らないけど。
三組の教室ってどっちだろう。でもさっきの人にふらふらしてるのを見られるのもなんとなく気まずいし、そもそも私と理歩が並んでいるのを学校で見られるのも良くないよね。
中学の頃から、私と理歩が仲がいいのは学校の人には秘密にしていた。理歩は秘密にするつもりなんてなかっただろうし、そもそも私と仲良くするとどういう影響があるかなんて考えすらしてないだろうけど。
んー、どうしよう。どこか近くのカフェにでもしようかな、待たせた挙句場所指定なんて我儘すぎるかな。でも、とりあえず連絡はしなきゃだよね。
『終わった~』
『お疲れ様。 長かったね』
『変なのにも捕まっちゃった』
『今から七組に行くから待ってて』
「え」
それは少し、いやなかなかまずい。嘘だってばれちゃう。別に嫌われてもいい相手だけど、何もわざわざ嫌われる必要もないというか。回避できるなら回避しておきたいというか。
『もう下駄箱の方移動してるからそっちがいいな』
『そっか、じゃぁそっちに行くね』
ほっと胸をなでおろしながら、同時に罪悪感が押し寄せてくる。理歩にはもっとちゃんとしたいのになぁ。理歩はすごくいい子で、私にはもったいない子で、だから嘘なんてつきたくないし、同じ学校の人に見られない様にという理由があるとはいえ、突き放して寂しそうな顔なんてさせたくない。
なんて、結局全部私の我儘なんだよね。
***
「理歩ー」
「愛花」
下駄箱で一人佇む姿に声をかけると、ピンと緊張していた空気が一気に緩む。春みたいな柔らかな声で名前を呼ばれると、それだけで嬉しくなっちゃう。だいぶ遅くなっちゃったせいで、周りにはもう生徒は見当たらない。これなら理歩と一緒に帰っても大丈夫だよね。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「全然いいよ。 帰ろ」
優しい笑みが差し伸べられて、心臓が緩やかに締め付けられる。計算や嫉妬、軽蔑や諦観を伴わない、裏のないその言葉に安心する。理歩の隣にいると安心して、落ち着けて、私が私のままでいられるような気がする。
「そっか、理歩はまた図書委員かぁ」
「うん、愛花は?」
「愛花はなんかー、なんだっけ、何かなったよ」
「え、覚えてないの?」
「保健……整備……なんかそっち系だった」
「なにそれ」
理歩の笑い声がくすぐったい。他の人なら話を聞いてないとか、適当とか、なんならなぜだかあざといとか、そういうことを言われるのに。目を細めて笑う理歩に、まずいなぁって思うのに、どんどん引き寄せられていく。
私が隣にいていい人なんかじゃないのにね。
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