第4話渡理歩(1)
「これでオッケー」
「え、なんか……愛花よりだいぶ地味じゃない?」
「入学式に愛花くらいやっちゃったら、先生に怒られるかもでしょ?」
「え?」
じゃあなんで愛花は怒られるかもしれないくらい髪を巻いているの。振り返ってコテを片付けている愛花を見つめると、愛花は花が花弁を開げるみたいに目尻を落として笑う。優しくて甘やかすような、蜂蜜のような笑みだと思う。それと同時に、私の視線の意味を意図的に避けていることさへもその優しさの中にうやむやにされてしまう。
愛花の手が、優しく髪に触れる。緩やかに巻いた髪を持ち上げて、鏡を見ながら高さを整えていく。その手際の良さに長年積み上げられた経験値を感じて、私はいつもされるがままに固まっている。ネイルをした指が、私の頭を傷つけてしまわないように細やかに髪を梳いていく。多分、この時間は幸せと言っていい。
「高さはこれくらいにしよっか」
「ん、ありがとう」
愛花は当たり前に自分の手首にあったゴムを使って私の髪を結んでいく。シンプルなブラウンのゴムと、そこに控えめに飾られた花の模様が愛花の手首から私の髪へと移っているのを鏡越しに何度も見る。
「髪伸びたね〜」
「確かに、愛花くらいに伸びてきたかも」
髪を結び終えて隣に座った愛花を見つめる。肩でふわりと揺れて、髪先は胸元に踊るように着地している。それでも髪は艶やかに光を反射していて、ブラウンの髪はチョコレートのように甘く映る。
じっと見つめていると、照れくさそうに笑って首をかしげるからその髪が肩を滑り落ちてふわりと踊る。愛花は、なにをやっても綺麗で、世界から切り取られているようで。一つ一つが絵みたいで、見ることをやめられなくなる。
「愛花は結ばないの?」
「今日はもう髪ゴム持ってないからねー」
私のならあるのに。その言葉は愛花がソファーから立ち上がるから喉奥で止まる。ぐっと手を伸ばして伸びをしている様を見上げていると、「いこっか、入学式」と透けるような色の手が差し出された。
先に仕事に行ってしまったお母さんの代わりにカギをかける。入学式のために休みを取ろうとしていたけれど、私自身が必要ないと言ってしまった。それを気づいた愛花は、今こうして隣にいてくれている。それでいいと思えた。
「はぁー、また三年間学校あるのかー」
「まだ初日だよ?」
「そうだけどー……早く卒業したいなー」
そうしたら、もっと自由になれるのに。愛花の飲み込んだ言葉をなんとなく心の中で繋げてしまって、そんな妄想に心をちくりと刺される。勝手に考えて勝手に傷つく癖があるのは、なかなか治すのに苦労している。
突き当りを左に曲がると大通りに出て、一気に車や人通りが多くなる。朝の騒がしさを濃縮したような道路では、いつもより少しだけ大きな声で話かけなければいけない。しっかりと聞こえるように、愛花は髪を耳にかけて肩が触れ合うほどに近くに寄るから、私はすこし呼吸がし辛くなる。子供を後ろに乗せた電動自転車が向かってきて、愛花の後ろにずれる。目の前にいる愛花は、私より少しだけ低くて、中二でとまってしまったのを嘆いていたことを思い出す。
愛花の隣に戻ると、愛花は無邪気に目尻を下げて嬉しそうにしてくれる。さっきの突き放すように聞こえた言葉も忘れたみたいに無邪気で、私は全部、その笑顔に溶かされてしまう。
「あー、そうだ、愛花ちょっとコンビニ寄ってくるね」
「え?」
「先に行ってていいよー帰りはまた連絡するし」
すごく近くにいた次の瞬間には遠ざかる。近づこうと踏み込めば彼女はそれを見逃さず、笑顔を向けながら後ずさる。青い看板のコンビニエンスストアへと入ってしまったその場所を少しの間だけ見つめて、一つ息を吐き出した。中学の頃からそうだったから今更何かを言うこともないけれど、わざわざ家まで来てくれたこともあって今日こそは一緒に登校できると浅はかにも期待していた自分がいたらしい。
騒がしいだけになってしまった道を歩き続けると駅が見えてきて、その前の小さな広場には桜が舞っている。始まりを感じさせる景色を見つめながら、私はそっと髪飾りを撫でた。
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