第3話秋田優(3)


 入学式は少しの高揚感と、それを塗りつぶすほどの大きな眠気で過ぎていく。校長先生の話は長い、というのはどうしてこうも例外がないのだろう。新しい日々が春の柔らかさに例えられ、輝かしい未来が約束されているかのような夢のある語りにあくびをかみ殺した。

 隣に並んでいる男子はまじめに聞いているようだけど、後ろでは誰かがひそひそと何かを話している。


「これから三年間、大いに学び、大いに成長してください」


 三年間、ねぇ。

 勉強して、部活も何か入って、もしかしたら恋愛とかもして。そうやって普通に過ぎていけばそれでいい。それでそれなりに大学にでも入れて、そうやって無理のない歩幅で歩ければ、輝かしくなくてもいい。

 新入生代表は、違うクラスの男の子だった。男の子は、校長先生にも負けない輝かしい未来を語り、頭を深く下げた。


 未来への期待に満ち溢れた入学式を終えて教室に戻ると、日常にもどったかのような安心感がある。おぼろげな未来の三年間より、目の前の部活決めや友達作りの方が大事なのは、皆変わりないらしい。


「校長先生って話が長くないとなれなかったりする?」

「面接とかであるのかもね……まじ疲れたー」


 後ろの席の絵里ちゃんは、疲れ切ったようで机に突っ伏している。私はといえば、律儀に自己紹介文を頭の中で考え始めていた。入学式を終えたら自己紹介をすると、担任が言っていたから。

 クラスには三五人もいるんだし名前と趣味とか、それくらいで十分だよね。趣味も、配信ドラマとか、そこらへんを言っておけば別に当たり障りもないだろうし。


「絵里ちゃんは自己紹介何言うか決まった?」

「あ、存在すら忘れてた」


 突っ伏していた顔を上げて、少し不安げに見上げてくる。どうしよう、という表情のお手本みたい。とりあえず名前を言えれば大丈夫だよね、なんていう下手な励ましをしたところで担任が教室に入ってきた。大量の配布プリントを抱えた腕は、少し震えている。


「席ついてー。全員、いるね。 入学式お疲れさまでした。改めて、担任の八波です。これから一年間、どうぞよろしく。まずは色々プリント配るから回してー」


 生徒手帳、学校内構図、購入する教科書についてなど大量のプリントが配られる。とりあえず親に見せればなんとかなるかな、と表面をなぞるように読んでいく。教科書は講堂で売っているらしく、授業が始まるまでに買っておくように、など中学とは違うことも多い。

 大事そうなものだけをチェックして机の中にしまうと、ついにその時間がやってきた。


「それじゃ、一人ずつ軽く自己紹介してもらおうかな。さっき号令してもらったから、出席番号最後からいこうか」


 深呼吸をしていたところに、予想外の言葉が響く。てっきり私からだと思って、最後の練習を頭の中でしていたところだったのに。

 対角線上の、一番遠い席の子が立ち上がる。黒い綺麗な髪、ポニーテール、教室の端と端でもわかる、綺麗な女の子。


「渡理歩です。えっと……よろしくお願いします」


 朝に聞いた「ありがとう」という言葉と同じ温度で自己紹介が終わる。思わず見とれてしまった女の子の名前は、わたりりほ、というらしい。わたり、は渡、りほはどんな漢字なんだろう。決して誰かに向けた温度ではないはずなのに、事務的で無機質な声だったはずなのに。そうして私はこんなにも彼女のことを知りたいと思うのだろう。

 響く拍手に、遅れて拍手に加わる。出席番号三四番、三三番、次々と進んでいく自己紹介。趣味はバンドだったり、配信番組をみることだったり、写真を撮ることだったり。野球について熱く語る声だって聞こえてくるのに。

 私の中で、ずっとあの子の声が響く。


「岩崎絵里です。趣味は雑貨を見たり、作ったりするのも好きです。これからよろしくお願いします」


 柔らかな笑顔で挨拶を終えた絵里ちゃんが、私を見つめる。私の順番。私は立ち上がって、対角線上、一番遠くのあの子を見つめる。頬杖をついて、少しだけ退屈そうな視線が、ゆっくりとこちらを向く。直線と直線が交差して、しっかりと視線がぶつかっている。

 なんで、こんなにドキドキして。


「秋田優です。秋田県のあきたに、優しいって書きます。あの、よろしく、お願いします」


 遠くまで聞こえるように少しだけ声を大きくして、まっすぐに彼女を見つめて。他の誰でもない、あなたに届くように。

 拍手が頭に響いて、ふと視野が広くなっていく。慌てて着席をして、自分の自己紹介を振り返って頭を抱える。趣味を言い忘れるのはいいけれど、なんでよりにもよって自分の名前の漢字の説明なんかしている訳。誰も興味ないだろそんなこと!


「はい、自己紹介ありがとう。今日はこの後委員を決めたら終わりです。ちゃちゃっと決めちゃいましょう」


 特に気にしていない担任の声に気持ちばかり慰められながら、私はこの日の失態をしばらく引きずるのでした。



 


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