第2話秋田優(2)


 教室に入ると、半分ほどの机が埋まっていた。上下左右の席、黒板の前、

窓際などで新しい関係が紡がれようとしている。黒板に貼られた座席表を見ると、残念なことに秋田は出席番号一番だった。


 出席番号一番は、少し損が多い。教室の入り口近くの席は何かと落ち着かないし、話しかける生徒は左と後ろの二択になるし、自己紹介をまず最初にやらされるし。相川とか、青木とか、とりあえず誰か一人でもいてくれたらよかったのに。


「はは、出席番号一番じゃん」

「出席番号一八番はお気楽でいいですこと」

「両親に感謝するよ」

「母親の苗字だったらなぁ」

「なんだったの」

「石川」

「都道府県縛り? ってかどっちにしろめっちゃ前だし」

「ごめん、ちょっと見てもいい?」


 凛とした声が、それでもなめらかに優しく響く。振り返れば、驚くほどに綺麗な顔立ちがそこにあった。私と同じ釣り目なのに、その目の大きさも求心力もまるで違っていて、場所を譲るように後ずさる。私と沙耶の間に入って、まっすぐに座席表をみつめる横顔を思わず凝視する。昔子役やってましたとか、読者モデルやってますとか、自己紹介で言われても驚かないかも、なんて。


「ありがと」


 自分の席を見つけたのか、言葉だけの感謝を告げて目線も合わないまま遠ざかっていく。後ろにまとめた髪が左右に揺れているのが可愛い。ほんの少し巻いているのか、それとも天然か。なんて、いつか聞けるようになったらいいな。


「きれーい」

「そう?少し優に似てる気がするけど」

「はぁ?」


 思わず低い声が出た。あんなにきれいなものと似通って見えるなんて解像度が雑すぎるでしょ。沙耶はといえば、そんなことは数秒後にでも忘れていそうなのんきな顔で自分の席へと移動していく。一瞬ついていこうかと思ったけれど、まずは自分の席付近の同級生を知ろうと考え直して自分の席へと向かう。


「おはよ」


 席に着くと、さっそく後ろの子に挨拶をしてもらえた。初対面で挨拶をしてくれるなんて、けっこう度胸がいるから向こうからしてもらえると安心する。


「おはよ、えっと……名前聞いてもいい?」

「岩崎絵里、絵里でいいよ」

「じゃぁ絵里ちゃんで。 秋田優です」

「じゃぁ優ちゃん、よろしくね」

「よろしく」


 幸先のいい滑り出しではないですか?


 出身中学や、担当先生の予想など当たり障りのない会話が行き来している。多分この教室の半分位が同じキャッチボールをしていると思う。


 色白で華奢な手首が制服から覗いていて、笑うと口元を手で隠す仕草がなんとも可愛らしい。座っているから確信はできないけど、割と小さい気がする。なんていうかこう、小動物感。絵里ちゃんは会話を途切れさせずに上手くつないでくれて、少し同じタイプなのかもしれないと勝手に親近感を抱き始めたころ、隣の席に誰かが座った。視線を向ければ、机が小さく見えるくらいに、大きな男の子が座っていた。


「おはよー」


 親近感を抱くにはありあまる度胸である。


「……おはよ」


 絵里ちゃんに挨拶されたその子は少し驚いたような顔をして、首を手で少し掻いた。自然に伸ばされた髪が、耳と襟足部分で綺麗に切られている。あまり女の子は慣れていないのかもしれない。そんなことは気にせず、まるで三人が当たり前のように絵里ちゃんは最初からキャッチボールをやり直す。


 どこ中学校だったのか、部活は何を考えているか、エトセトラエトセトラ。


 優斗と名乗った男の子が柔道を小学生のころからやっている情報を得た所で、目の前の入り口から担任が入ってきて、同時にチャイムが鳴り響く。会話は電源を切ったかのように途切れ、担任の一挙手一投足に注意を払いながら姿勢を正す。


「席ついてー……あー、じゃぁ君、号令お願いできる?」


 君、が先生の視線から私を指していることを悟る。

 出席番号一番の呪い、その一。


「起立」


 心の動揺を手汗までに抑えて決まり文句を言う。無味無臭の、抑揚のない機械音のように。言葉に私を乗せない様に。着席までを言い終えて、息を吐き出す。我ながら上手にできた気がするけど、これ以上の呪いは避けたいなぁ。


「えー、入学おめでとう。一年三組の担任の八波です。色々と話はあるんだけど、ま

ずは入学式なんで体育館に向かいましょう。終わったら教室に戻って、あー、自己紹介してもらうから、考えといてね。 じゃぁ、移動」


 スーツが似合う細身な体格、少し気の抜けた声。変なくせは見当たらない。


「なんか、オーラ薄い先生だったね」

「あー、わかるかも」


 絵里ちゃんが隣に並ぶ。私の目線位に頭があって、思った以上にちっこい。


「ねぇ、聞いてもいい?」

「何を?」

「身長何センチ?」

「うわー、そういうこと聞くんだ」


 慌てて謝ると、絵里ちゃんは口元を抑えて可笑しそうに笑うから思わず頬を膨らませる。屈託のない笑顔で謝られたって、もうしばらくは拗ねてやろうと思う。見上げてくる目は、焦げ茶色でくりくりとしている。数秒見つめられて、また可笑しそうに笑い出すから思わず肘でつつくと、それも面白いらしく屈託なく笑っている。


「何、なんかあったん?」


 近くにいた男子が話しかけてくる。しっかりとセットされた髪と、シャツの下から覗く赤いTシャツに、少しだけ警戒心が顔を出す。絵里ちゃんはその男の子にくだらなすぎるけど、という前置きをして会話を始める。


 もしかして、初日から結構なカースト上位の人と仲良くなったのかも。頭の中に三

角形を描いて、真ん中に私、その二つほど上に絵里ちゃんと隣の男子を組み込む。勝手に境界線を引くのは、防衛本能のようなものだ。


 会話に沿った表情を乗せながら歩いていると、視界の端に揺れるポニーテールに視線を奪われた。一人でまっすぐ歩くその人は、それでも十分に存在を主張している。歩いているとポニーテールが左右に揺れていて妙に可愛い。細い首、すらりとしたスタイルを和ませるかのようで、そのバランスが心にヒットする。


 そういえば、名前はなんて言うんだろう。


 いつか、名前を聞けて、そしてまたいつか、そのポニーテールの揺れを隣から見れる日は来るのかな、なんて少し変なことを思った。

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