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「お父さん、買い物があるから付き合って」
と娘から電話があったのは五月の連休前だったと思う。母の日のプレゼントを買いに行きたいのだそうだ。
「何も俺まで行く必要はないだろ。ユウジくんとふたりで行きゃあいい」
「母の日なのよ。お父さんが来なくてどうするのよ」
その理屈はよくわからなかったが、言い始めたら引っ込まないことはよくわかっている。
押し切られるように約束させられ、電話は切れた。
買い物当日――。
娘たちを迎えに車を出す。
「おとうさぁん!」
娘は笑顔で俺を出迎えた。隣でユウジくんが少し緊張した顔で今日はよろしくお願いしますと頭を下げた。
うんと答えると、すぐに娘がもっと喋っていいんだよお父さん、とからかってくる。
道中、娘は喋りっぱなしだった。他愛のない話ばかりだったが、どうして女ってやつはこんなにおしゃべりなんだろうと半ばあきれながら聞いているうちにショッピングセンターが見えてきた。
先頭に立って売場を眺めてまわる娘のあとを、ユウジくんと二人で付いていく。
しかし――。
この歳になって女性物の売場を歩きまわるなんて思いもしなかった。どう見ても場違いだ。
みんな買い物に夢中だから誰もお父さんのことなんか見てないよ、と娘に笑われたが、どうにも居心地が悪い。
なんとなく距離を取りながら売場を抜け、花屋の前まで来たときだ。
「あっ!」
娘が小さな悲鳴を上げた。
さっきまではしゃいでいた顔から一転し、いまにも泣き出しそうな表情を浮かべている。
「どうした」
心配そうな顔で訊いたユウジくんに娘は消え入りそうな声で言った。
「……お金、落としちゃったみたい」
「いくら?」
「……一万円」
ユウジくんはえっ、と一瞬息を呑んだようだが、すぐに探してくるからここにいるんだぞと声をかけ、
「お義父さん」
とこちらを見た。
二人でいままで歩いてきた売場に向かって走りだす。
「僕、婦人服のほう行ってみます。お義父さんはアクセサリーのほうお願いします」
「わかった」
階段を降りながらため息をつく。
娘はしっかり者だが、たまにこうしたポカをやる。
以前近くの現場だったとき、弁当を届けてくれたことがある。ご飯とおかずが別れている弁当箱だったのだが、飯の時間になっていざ蓋を開けるとどちらもご飯が入っていて現場の連中に大いに笑われたことがある。
弁当の中身を間違ったぐらいならいいが、一万円はちょっとした金額だ。
「すいません」
売場で空いていた店員を捕まえ聞いてみる。
「さっきこの辺で買い物をしていた娘の父親なんですが、どこかでお金を落としたみたいで、そのォ届いてたりしませんかね。こう、三つに折れてる一万円札なんですが」
娘はお札を三つ折りにする癖があるから、見ればわかると思うのだが。
店員は、私のところでは預かってませんけど、もしかするとレジに届いてるかもしれません、と言ってレジカウンターまで連れて行ってくれた。そこにいた店員にお金が届いてないか聞いてくれたが、やはり届いてはいなかった。
もし目の前に一万円が落ちていたら――
「そりゃ、拾われちまうか……」
こんなことならもっと二人について歩いてればよかったと思うのだが、後悔しても始まらない。
車の中で楽しそうに喋っていた娘の顔が頭の隅をかすめていく。
「……しょうがねえなあ」
俺は尻のポケットから財布を引っ張り出すと、タバコ代に取っておいた一万円を抜き出した。
親ってのはつくづく損な役回りだなぁと思う。
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