第10話:キリヤとの対話


 翌日から始まった、バルト州への移動は概ね順調であった。


 バルト州の州都であり、ウィレーズ家のワイナリーがあるアンシアまでは、馬車を使って三日ほど掛かる。


 〝ヴァン街道〟と呼ばれる、王都とアンシアを結ぶ大街道を東に行く旅は悪くなく、のどかな田園風景を大いに楽しめた。南欧に近い雰囲気だが、植生を見てもやっぱり地球とは少し違う感じだ。


 だが順調だったのは二日目昼までだった。


「参ったな」


 馬に乗っている俺の前を行く馬車がゆっくりとスピードを下げ、停止した。


「止まったな」


 そう呟いたのは俺と相乗りしているローヌだ。身体が小さくて一人で馬に乗れないらしいので相乗りしているのだが、色々あって前に座ってもらい、半ばバックハグするような形である。


 いや、俺だって最初は後ろに乗ってくれと提案したんだ。


 だが、一度それを試したところ、背中に当たる二つの柔らかい感触で俺の理性がぶっ飛びそうになったので、あれこれ理由をつけて、ローヌには前に座ってもらった。


 彼女は訝しげな顔をしていたが、きっとその理由には気付いていまい。


「どうかしましたか?」


 馬車の窓が開き、ロゼがそう聞いてきた。ちなみにリヨンも馬車に乗っている。ズルいよなあ。


「ちょっと見てきます」


 俺が馬を進ませて行くと、前方には大きな川があった。その川に立派な石橋が架かっているはずだった。


「こりゃひでえな」

「こんなの聞いていないぞ」


 先を行っていた薔薇騎士ローゼンナイト達の声が聞こえてきたので橋を見ると――


「おいおい……橋が落ちてるじゃないか」


 ローヌの言葉の通り、その石橋はまるで爆撃されたかの如く、破壊されていた。一部残った橋の部分が黒く焦げているのを見るに、爆弾か、もしくは炎の魔法かスキルか……。


「とてもじゃないが川は渡れないな」

「だな。迂回路は分かるかローヌ」

「一番近い橋は北にあるが……〝ラムザンの森〟を通るルートになる」

「森か……流石に魔物が出るよなあ」


 この大街道沿いや、街や村周辺は魔物避けの魔法が掛けられてあり、そこを行く分には何の問題もない。だが一歩そこから離れると、この世界は地球よりも厳しい自然が待っている。


 地球よりも遙かに強く逞しい野生動物達。

 そしてそんな野生動物達よりも凶暴かつ凶悪で、知性と魔力を秘めた生物達――魔物。


 そんなものが生息している土地はとても危険であり、いくら薔薇騎士ローゼンナイトで護衛していようと、一国の王女をそんな場所に行かせるわけにはいかない。


「だから、南から回るルートになるが……安全ではあるが、距離がかなり長くなってしまう上に、途中で寄れる宿がない。今から行くとなると……次の宿泊予定地に着くのがかなり遅れてしまう」

「夜の移動か……」


 だけども……この世界で最も怖いのは野生動物や魔物ではない。


 それを一番知っているのは、きっとロゼだろう。


「――構いません。南の迂回ルートを使いましょう。多分、。ならば、動向が読めない魔物がいる北ルートよりも南の方がマシです。警戒して進みましょう」


 だけどもロゼはそう判断し、俺達は南ルートを取った。


 長くうねった細い南回りの街道を通り、進んでいくうちに日が暮れていく。


 ローヌが松明に手を翳し、火を付けた。他の薔薇騎士ローゼンナイト達もそれぞれの方法で松明に火を付けていく。


 真っ暗な世界を、赤い光が照らし出す。


 だが、まだまだ宿泊予定地には辿り着きそうになかった。そうして進むうちに、ようやく川に掛かった橋が見えた。


 そこで俺は何となく疑問に思っていたことをローヌに聞く事にした。


「なあローヌ」

「なんだ。あたしは尻が今にも割れそうで、楽しくお喋りする余裕なんてないんだが」

「それは俺も一緒だよ……。いや、今日のロゼ様の決断だけどさ、なんか彼女、既に何が起こるか分かっているみたいな口振りじゃなかったか? 南の方がマシって……それどっち選んでも悪い事が起こるってことだよな?」

「……お前は変なところ鋭いな」


 ローヌの呆れたような声を出した。


「なあ、知ってるかキリヤ。スキルってのは生まれた時から決まっているらしくてな。発現するのは大体成人の儀を終えたあとなんだが、稀にそれよりも早く発現、またはその効果の片鱗が見える場合があるんだ」

「そうなのか? そういや俺……食あたりとかしたことないな。変なキノコとか無理矢理食わされても平気だったし」


 キリヤの記憶が蘇る。こいつ……結構酷い幼少期を過ごしているな。


「それもきっとお前のスキルの効果の片鱗だったのだろうさ。そして……ロゼ様もまた同じようにそのスキルの効果がここ数年出始めたんだ」

「……そういえばロゼ様のスキルについて、俺は何も知らないな」


 あの酒場での夜に、何やら意味深なことを言っていたが……。


「あたしの口からは言えないが、ロゼ様の暗殺や毒殺が始まった時期と、そのスキル効果が現れた時期は

「……は?」

「つまり――そろそろ備えておいた方が良いということだよ」

「へ? それはどういう意――っ!」


 馬車が橋の中央に差しかかったその時――前方から悲鳴が上がる。


「ぎゃああ!」

「か、身体が痺れて動かな――ぎゃっ!」

「て、敵襲!」


 前を行く薔薇騎士ローゼンナイト達の声と共に、俺は素早く松明を消し臨戦態勢に入る。言った側から夜襲かよ!


「ローヌはロゼ様の側に!」


 俺は馬から慌てて降りるとローヌを降ろすと同時に、馬車の扉を開いた。中にいたロゼには慌てた様子はないが、その顔は曇っている。


「……やはり夜襲ですか。そろそろだとは思っていましたが」

「ロゼ様、おそらく狙いは貴女です!」

「でしょうね。キリヤ、護ってくれますか?」

「気乗りはしないですけどね! リヨン、二人を頼んだぞ!」

「ま、任せろ!」


 リヨンが青ざめた顔をしたまま、腰に差したレイピアに手を掛けた。うーん……心配だ。


 俺が馬車の扉を閉めたと同時に、風切り音。何本もの矢が馬車の周囲に降りそそいでくる。


「矢に当たるな! 麻痺毒が塗ってあるぞ!」


 そんな薔薇騎士ローゼンナイトの声が聞こえてくるが――


「痛っ! くそ!」


 なぜか<竜鱗の護り>と<竜脈>のスキルが発動せず、俺は矢を腕に受けてしまう。矢が刺さった腕の感覚が、まるで麻酔されたかのように一瞬でなくなった。


 これが麻痺毒か!


 だがその瞬間――いつか聞いてあの声がまた、脳内に流れた。


『スキル効果により<アビスヴァイパーの毒>を無効化――<蛇視>及び<蛇巻きの杖アスクレピオスケインに変換、取得しました』


 すぐに、俺は腕の感覚を取り戻す。どうやらスキルの効果が発動したようだ。


「それはいいとして! くそ、スキルってどうやって能動的に使うんだよ」


 前回はウィレーズ卿に襲われた時だったので咄嗟に使えたが、あれ以来何度か練習したが、能動的に取得したスキルを使えることは結局最後まで出来なかった。


「<変毒為薬>のような自動発動のスキルじゃないってことか……」


 だが、今は検証している暇はない。スキルが発動できなければ、俺は無力な毒見役に過ぎない。


「意思の問題なのか?」


 心の底から、使いたいと思わないと発動しないのだろうか。


 そんな時に、別の声が俺の脳内に響く。いや違う……この声は――


『スキルは全部、俺様が管理してやってるぜ……桐也さんよお』


 それは――俺の……否、。お前、いなくなったんじゃなかったのか!?


『どうやら一人の人間が複数のスキルを所持するのは、かなり危ういらしくてな。最悪心がバラバラになっちまうんだとよ。だから、俺様が犠牲になってスキルの管理役をやっているってことさ。まあ言わば俺様自身がそういうスキルみたいなもんだな』


 俺の中には、俺――つまり桐也とキリヤがいる。だが普段はキリヤは全く出て来ない。だからもう消えてしまったと思っていたが……そうじゃなかった。


 キリヤは、俺の中でスキルという形で残っていたのだ。


『<変毒為薬>のスキルは、常時発動型だから俺様がどうしようが止められねえが、それ以外は任意発動型だからな。俺様の許可がなきゃ……使うことは出来ねえ。あのウィレーズ卿の時は仕方なしに使ってやったがな』


 ……嘘だろ。なんだよそれ。


『人様の身体をいいように使っておいてよく言うぜ……だがな――。俺様はもう心底自分に嫌気が差していた。結果、死んじまったが……お前のおかげで生き延びた。それに最近は随分と楽しそうにやってくれていて……かはは、まるで自分のことのように嬉しいぜ?』


 ……当たり前だろうが。お前は俺で、俺はお前なんだから。


『だからよ――手伝ってやる。条件付きだがな』


 条件? なんだよさっさと言え。どっちにしろこの状況はスキルを使わないと切り抜けられない。


『お前、喧嘩とかしたことないだろ? 剣を振ったことは? 人を殴ったことは?』


 ……ねえよ。平和な日本で、のほほんと生きてきた俺にそんな経験はない。今だって本当は怖くて逃げ出したいぐらいだよ!


『なのにお前、ウィレーズ卿はあっさり倒したよな? 手は使わねえとか格好いいこと言ってさ』


 ……確かに。あの時は自然と身体が動いた。


 ああ、そうか……あれは――


『俺様が手伝ってやったんだよ。俺様もお前の記憶を共有しているからな。手を大事にしているのは分かっているから、蹴りにしたんだ。お前は自分の意思でやったと思ってるみてえだが』


 お前が動いてくれたのか、キリヤ。

 

『……勘違いするなよ。俺様は別にあの王女を助けようとか思ったわけじゃねえからな! あのオッサンにムカついただけだ』


 分かった分かった。それで――条件はなんだよ。まあ察しはつくがね。


『戦闘の時は、身体のコントロールを俺様に寄こせ。心配するな……手は使わねえよ。これでも散々喧嘩に明け暮れてきたんだ。それにスキル管理のおかげで、俺様は俺様が持つスキルの効果や使い方を完璧に理解している。お前が下手に使うより――よっぽど強いと思うぜ?』


 この状況。キリヤの提案に、俺は乗るしかなかった。


 だが、俺にも一つ条件がある。


『なんだよ』


 この力は、誰かを護る為にだけ使ってほしい。私利私欲や増悪の為にこの力を使わないと誓ってほしい。


『……くだらねえ条件だな。だがまあいい。俺様はもうお前に全部任せているんだ。その意思を――尊重してやる』


 それで話は終わりだった。


 その瞬間――世界が変わった。


「かはは……久々の外は良いねえ……喧嘩をするには良い夜だ」


 ――ゆっくりと身体の筋を伸ばしていく。


 まるで自分を俯瞰するような不思議な感じだ。なのに視界や感覚は自分のままで、全て手に取るように分かる。


「俺様がスキルの使い方、ばっちり見せてやるよ――<竜鱗の護り>」


 飛んできた矢をキリヤの腕が打ち払う。矢じりは刺さることなく腕に当たった瞬間に砕け散った。


「とりあえず、こんだけ暗いと見えねえな――<蛇視>」


 先ほど取得したスキルを発動させると――劇的に世界が明るくなった。なぜか馬車の周囲に倒れている騎士達が赤く発光しているように見える――まるで、暗視カメラを通した映像のようだ。


 キリヤが素早く前後を見ると、十人近くの人間がこの橋を挟むように配置されてある。弓と短剣、そして黒い布で覆った服装や動きを見るに、かなり手練れの暗殺者だろう。


 ああ、そうか。

 夜行性の蛇の一部は確かピット器官と呼ばれる部位を持っており、それによって赤外線を感知しているという話を聞いたことがある。きっと<蛇視>はそれのスキル版なのだろう。


 だから夜闇の中でも、襲撃者の姿が見えたのだ。


「アビスヴァイパーの毒なんざ使ったことが、こいつらの運の尽きさ――<竜脈>!」


 竜の力で身体能力を強化したキリヤによる――逆襲が始まる。

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