第9話:ルージュの甘言


 ロゼへの報告、そしてローヌとの明日からの視察の打ち合わせを終えた頃には、すっかり夜も更けていた。


「今日飲みに行くのは止めとくか」


 王女専属の毒見役は危険な仕事と認識されているらしく、賃金はかなり良い方だ。なので、ついつい飲みに行こうと思ってしまうのだが、明日からの旅に備えて今日は早く寝ることにしよう。


 そう思って足早に王宮の中を歩いていると、中庭に差しかかってところで、その中庭の方から声が掛かる。


「……おや? おやおや? 君は――」


 そこにいたのは――背の高い、夜でもなおその鮮やかさを失わない紅に染まった長い髪をなびかせた、とんでもない美女だった。どこかロゼと似た顔付きだが、なんというかもっと迫力があるというか、気の強さが出ているような、そんな美人。


 動きやすそうな服を着ているが、それがかなりの上物であることが一目見ただけで分かる。腰にはまるで彼女を模したような赤い鞘に入った剣が差してあった。


 その顔に浮かぶのは、悪戯を今まさに思い付いたような無邪気な笑みだ。


「ああ、そうか。君がロゼの……新しい毒見役か」


 この時間。服装。そしてその纏う雰囲気。俺はすぐにそれが誰か分かった。


「――こんばんは、ルージュ様」


 だからそう挨拶し、かしずいた。


「ちぇっ、知っていたか。せっかくからかってやろうと思ったのに。いいよ、顔を上げてくれ」


 その残念そうな声を聞いて俺は顔を上げる。


「っ!」


 すると俺の目と鼻の先に、ルージュの顔があった。怖いぐらいに綺麗で、恐ろしいほどに美しい。


「君は可愛い顔をしているな。ふむふむ……なるほど、ロゼの好みは分かりやすい」

「な、なんの話です?」


 スッと音もなく俺から離れたルージュのその身のこなしは、どこか大型の猫型肉食獣を思わせた。静かで、隙がない。


「ロゼを助けてくれたそうだな。姉として礼を言う――ありがとう」

「あ、はい」


 スッと頭を下げるルージュを見て、俺は拍子抜けしてしまう。見た目は聞いていたイメージ通りではあるが、思っていたよりずっとまともだ。


 そんな風に考えていると、ルージュが苦笑する。


「くくく……せめて、名乗ってくれないか?」

「おっと、すみません。ロゼ様の毒見役であるキリヤ・サンタディです」

「サンタディ、というとあの〝影縫い〟サンタディの家の者か」

「へ? 影縫い?」


 なんだそれ。聞いた事ないぞ。


「ああそうか……君の父は早くに亡くなったから、知らなくても無理はない。君も母君も、随分と苦労したようだな」

「はあ……まあ」

「君が毒見役とは何とも因果な話だ。聞いた話だが、明日からバルト州にロゼと共に視察に向かうそうだな」

「はい」


 隠し事でもないし、俺は素直に頷いた。相手はロゼの言わば敵である〝剣派〟のトップだ。下手な嘘は付かない方がいい。


「ロゼは……。どうかこの姉の代わりにあいつを護ってやってくれ」

「……はい」


 うーん。なんか違うんだよなあ。

 その言葉に、嘘は混じってないように思える。彼女とロゼは王位継承権を巡って争っている立場のはずなのに。


「ふふふ……何を考えているか当ててやろうか? 君はこう考えているはずだ――〝剣派〟のトップで、ロゼの敵であるはずなのにそう感じない。演技なのか、それとも……〟ってところだろう」

「……当たりです」

「よく勘違いされているんだがね……。ロゼは聡明だ。見た目麗しく、そしてそれを正しく武器として使うことができる。決断力もあり、創造性もある。まだまだ実現までは遠いが、今ある三国同盟内で共通通貨を流通させようなんてとんでもない提案をするぐらいにな。あいつこそ、このヴァロワ王国の王に相応しいだろう」


 おいおい。これじゃあ、ルージュはただの妹想いで良識ある奴にしか見えないじゃないか。


「その一方で姉の私はと言うと……剣を振ることと、敵を殲滅させることぐらいにしか能がない人間さ。血の気の多い連中に担がれた、虚構の英雄、偽りの偶像……そんなところだろうな」

「では、なぜ王位継承権を」


 ちと、踏み込み過ぎたか? でもそう聞かざるを得なかった。そうすれば、ロゼの命を脅かす連中もいなくなるのに。


「君もまた聡明なのだろう。だから分かると思うが、国というものは、個人の想いや意思だけ何とかなるようなものではないんだよ。私が王位継承権を放棄すれば…。そしてそれを虎視眈々と狙っている諸外国の存在を知ってしまった以上は……無視できない」

「なぜ、荒れるのですか」

「軍人とはめんどくさい連中でな。ロゼを王とすることを良しとしない馬鹿が多いんだ。だがそういう馬鹿がこの国の平和を維持しているのも事実。この国はこの大陸において最も栄えている国であり、ゆえに護るべきものも多い。彼らを蔑ろにすることは出来ないんだよ」

「それは分かりますが。それならルージュ様が彼らを上手く掌握して……」


 俺がそう言うと、ルージュが力無く笑った。


「はは……簡単に言ってくれるな。その結果が今の状況だ。何とか抑え込んではいるが、外部からの動きもあって、〝剣派〟は中々統制が取れていないんだよ。はっきり言っておこう。ロゼが不慮の事故で死に、私が王になった方が平和になる……それが結果としてこの国の将来に影を落とすかもしれないがね。国を想うなら――そういう決断をする必要性もあるって話さ。もちろん、ロゼ暗殺を是としているわけではないよ。なんせ可愛い妹だ。いつまでも元気に幸せでいてほしい」


 あえて〝剣派〟のトップに立つことで、〝剣派〟が暴走しないように抑えている……という感じか?


「俺には……そういう政治的駆け引きは良く分かりません」

「だろうね。だけども、君は――国の為なら、大多数の平和の為なら、――そう冷静に判断できるぐらいの頭はあるはずだ」


 まっすぐに俺を見つめて、ルージュがそう断言した。


「それは……買いかぶり過ぎですよ」

「そうかな? 私はこう見えて人を見る目はあるつもりでね。ふふふ、私は君みたいな子が好きだよ」


 目を細めて妖艶に笑うルージュを見て、俺は苦笑するしかない。


 この人は……ロゼと全く真逆だ。ロゼは素顔を隠すが、彼女はまずはそれをぶつけてくる。


 だけども、彼女は建前で人を殺すことが出来る人だと思う。


 それは――とても怖い人だ。


「話しすぎたな。ま、とにかく、私の可愛い妹を護ってやってくれ。今はまだこの均衡を崩すには早すぎるからね」

「かしこまりました。命に賭けて……とでも言っておきましょうか」

「心にもないことを。だがその言葉、素直に受け取っておこう。ああ、そうだ。最後に」


 そう言って、ルージュがポケットから取り出したのは――俺がロゼの為に作ったあの貯蔵庫カーヴに眠るリストだ。


「これ、一応ロゼから確認してほしいって言われて目を通したんだが……これは何のリストだ? か何かか?」

「へ? 歴史書? いやこれは地下の貯蔵庫カーヴに眠っているワインのリストですよ」

「……ああ……なるほどなるほど……そういうことか。それで、バルト州に行くってことに繋がるんだな。ふむふむ」


 納得とばかりに頷くルージュを前に、俺は困惑する。あのリストを見て、なぜ歴史書だと思ったんだ? いや待て、ということは――


「その古代文字……まさか読めるのですか?」

「ん? ああ、そうだな。古代文字……ね。まあ間違ってはいないがそれが本質ではない」

「どういうことですか!? それには何と書かれているのです!?」


 俺は思わずルージュへと詰め寄ってしまう。ワインに関することで、ずっとモヤモヤとして気になっていただけに、余計にだ。


「それは自分で見つけることだね。ヒントは既に与えているだろ? バルト州で調べるといい、ウィレーズの歴史を、彼ら〝竜狩り〟の功罪を。そうすれば自ずと見えてくるさ」


 ルージュが再び猫のように目を細めて、俺を見つめた。これは、これ以上いくら問い詰めても無駄そうだ。


「……分かりました」

「でも、どうしてもすぐに教えて欲しいと言うのなら――」


 そこで一拍間を置いたルージュが、やけに扇情的な動きで胸元のボタンを一つ外した。


「今夜、私の寝室に忍び込むといい……ピロートークでならうっかり話してしまうかもしれないぞ?」


 ルージュが露わになった豊かな胸元をよせ、音も無く俺に近付くと――耳元でそう甘く囁いてきた。


 こいつ……! できる……!


「ふふふ……ロゼも可愛い顔をしているが、色気の部分ではまだまだお子ちゃまだ。私の方がおっぱいは大きいぞ? 君も大きい方が好きだろう?」

「……ご冗談を」


 そりゃ大きい方が好きですけど!


「くくく……そう、ただの冗談だ。ではなキリヤ。良い夜を」


 そう言って――何事もなかったようにルージュは俺を置き去りにして、中庭から去って行ったのだった。


「ああ……くっそ」


 久々の敗北感だ。まったく……何が、剣を振るしか能がない女だ。全然違うじゃないか!


「ロゼといい……とんでもない姉妹だよ……」


 俺はため息をつくと、今度こそ帰ることにする。


 肌寒いはずの春の夜は――火照る身体には丁度良かった。

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