第7話:失われたワインを復活せよ!
翌日。
俺は母に起こされる前にベッドから抜け出し、顔を洗うと着替えを済ませた。結局あの後ワインを数本空けてしまったが、後悔はない。
なんとなくだが、この世界のワインの特徴を掴めた気がする。
「キリヤ! 早く起きな――ってあら、もう起きてたの!?」
既に出掛ける準備を済ませた俺を見て、部屋に怒鳴り込んできた母がぽかんと口を開けたまま扉の側で突っ立っていた。
「毒見役の朝は早いからね! じゃあね母さん!」
俺は家の扉を開けて、外へと出た。春先とはいえ、朝はまだまだひんやりとする。
俺は朝から忙しくしている人々の間を抜けて、青空の下、王宮へと向かう。
王宮前の石段を一段飛ばしで駆け上がり、昨日ローヌに教えてもらった使用人専用の入口へと回った。そこには二人の衛兵が立っていて、名簿と、やってきた王宮外に住むメイドや使用人を照らし合わせていた。
「おはよう。悪いが規則なんで名前を」
右側の槍を持つ赤髪の若そうな衛兵が眠そうな声でそう聞いてくるので、俺はハキハキと答える。
「キリヤ・サンタディ、毒見役です」
「ああ、昨日からの新入りか……って君が例の毒見役か!?」
その衛兵が驚いたような声を上げるので、左側の名簿を持っていた白髪の中年ぐらいの歳の衛兵も俺へと視線を向ける。
「お前が、ウィレーズ卿による毒殺を防いだ奴か……」
「もう噂になっているんですね」
まあ、あんだけ騒ぎになれば噂にもなるか。
「噂も何も、昨日から君の話で王宮内は持ちきりだよ。危うくロゼ様が毒を飲みそうだったところ、君が防ぎ、襲ってきたウィレーズ卿を撃退したんだろ? いやあ、初日でそんな活躍する毒見役なんて初めて聞いたよ!」
「あはは……運がいいのか悪いのか……」
俺は苦笑するしかない。
「おっと、あんまり立ち話していると怒られるから、通っていいよ。俺は衛兵のニュイで、そっちがボーヌだ」
そう言って、槍を持っている赤髪の衛兵――ニュイがおどけて槍を胸の前にやった。
「よろしくな、新入り。ロゼ様の毒見役、頼んだぞ」
名簿を持った白髪の騎士――ボーヌがゆっくりと頷いたので、俺は頭を下げて元気よく答える。
「はい! お二人ともよろしくお願いします」
二人の衛兵の間を通って狭い廊下を進むと、その先でローヌが待っていた。
「おはようキリヤ。早速だが仕事だ」
「おはようローヌ」
「まずは、ワイン
俺がローヌに連れられて向かった先は、厨房の横にある扉だった。ローヌが鍵でその扉を開けようとするが……。
「ん? 鍵が掛かっていない?」
「へ? 鍵が?」
「ちっ。ポルトの野郎、さては昨日かけ忘れやがったな……まあいい。行くぞ」
ローヌが舌打ちしながら扉を開けたその先は、地下へと続く階段になっていた。
「降りるぞ。足下が滑りやすいから気を付けろ」
「はいはい」
ローヌが壁に掛けてあったランタンを取り、それに右手をかざすと、どういう原理か中に火が灯った。
なにかの魔法かスキルかな?
そうやって降りた先は、この城とは違う造りの空間だった。石を積み上げたようなその空間はひんやりとしていて、カビの臭いで充満していた。
うんうん、いいぞ!
壁沿いにはワインのボトルが棚に並べてあり、大樽もいくつか置かれていた。いずれも分厚いカビの層で覆われている。
「初めてここに来た奴はみんな嫌そうな顔をするんだがな……なんでお前はそんなに嬉しそうなんだ」
「室温、湿度がワインの貯蔵に最適だからだよ。カビが繁殖しているのがその証拠さ」
「……流石ワイン馬鹿」
「おい」
呆れたようなそのローヌの物言いに、思わずそう短く返してしまう。
「さて……早速だが、お前にはここのワインの整理とリストアップをしてもらいたい。勿論時間は掛けてくれて構わない」
「へ? リストアップって……前任者は何をやってんだよ」
おいおい、まさかこれ、管理されてないまま放置されてたの?
「……この王宮はな、元々古い修道院があった土地に建てられたんだ。この
ローヌが階段の横を指差した。確かにそこにはカビはなく、新しそうなボトルや樽が置いてあった。なるほどなるほど。
「で、修道院時代のワインについてはほぼ分かっていない。なので、その整理とリストアップを任せたい。出来るだろ?」
「もちろん! 飲んで良いんだよな?」
「……飲み過ぎるなよ。ここのワインは全て王からロゼ様とルージュ王女に譲られたものだが、あくまで
ローヌがそう言った瞬間――奥でガタリと音がした。そしてその瞬間、何かの影が動いたのを俺は見逃さなかった。
「? なんだ? ネズミか?」
ローヌの言葉を俺が否定する。
「ネズミ……にしては大きいな」
ランタンをかざして、奥へと進むと――
「――ここのワインは、決してお前らのような盗人の物なんかじゃないぞ!」
そんな声と共に緑髪の青年が飛び出してきた。その端正な顔は、なぜか怒りで染まっている。
「うおっ! びっくりした」
「貴方は――」
その身なりの良い、どこか見覚えがある顔の青年を見て――ローヌが驚いたような顔でその名を口にしたのだった。
「――リヨン様! なぜここに」
「ローヌ、知り合いか?」
俺に問いに、ローヌが静かに答えた。
「知り合いも何も――彼は……
「ウィレーズ卿の……息子?」
そうだ、昨日ロゼが言っていたな。ウィレーズ卿の夫人と息子は釈放されたって。ってことは彼がその息子ってことか。なるほど、顔付きがなんとなく似ている。
「リヨン様、ここは立ち入り禁止ですよ」
ローヌがリヨンを窘めるようにそう声を掛けるが、彼の表情は硬いままだ。
「僕は認めない。ここのワインは我がウィレーズ家の誇りなんだ」
「えっと……どういうこと?」
俺はリヨンの言葉の意味が分からず、ローヌへと視線を向けた。彼女が口を開けようとした時――カツカツと石造りの階段を降りてくる音が聞こえた。
「それについては……私が説明しましょう」
そう言って現れたのは――ロゼ王女だった。薔薇騎士はいないが、おそらく扉のところで待機しているのだろう。
「ロゼ様!」
その姿を見て、リヨンが慌てた様子でかしずく。ローヌはまたいつものようにため息をついた。
「顔を上げてくださいリヨン様」
「はい!」
リヨンが嬉しそうに顔を上げる。うーん、もし彼に尻尾があればブンブンと振り回しているだろうことが容易に想像できる。
「キリヤ、彼はウィレーズ家の家督を継ぐ方で、かつ我々と同じ陣営です」
「ってことは薔薇派ですか」
俺がそう言うと、リヨンがキッと俺を睨んでくる。
「当たり前だ! 僕は昔からロゼ様の聡明さに常々感服していたんだ! なのにあのバカ親父は
両手を床に付けて頭を下げるリヨンを見て、ロゼが微笑む。
「リヨン様とは幼い頃から交友があります。貴方が私と共に歩んでくれることに、一片の疑いもありません。顔を上げてください。昨日の件は、ウィレーズ卿のみの責任と私は考えています」
「あ、ありがたきお言葉! 僕は僕の全てをかけて、必ずやロゼ様を玉座に!」
何やら盛り上がっているが……俺はそんなことなんてどうでもいい。それよりも俺らを盗人呼ばわりしたことについて説明して欲しいんだが。
そんな俺の心中を察してか、横にいたローヌが説明してくれた。
「……元々このラトル州とバルト州は古くよりウィレーズ家が治めていてな。初代クローシェ家がこのラトルの地を征服した。そして破れたウィレーズ家はバルト州での地位をそのままにすることを条件に忠誠を誓ったんだ」
「そして、この場所に元々あった修道院は、ウィレーズ家ゆかりの場所でした。だから当時のまま唯一残っているこの
ロゼの言葉で俺はようやく納得した。なるほど、リヨンが盗人と言ったのも納得ができる。
「ここのワインはウィレーズ家の誇りと魂なんだよ。さっきは盗人呼ばわりしてすまなかった。分かっているんだ、これはもう僕らの物じゃないってことぐらい。でも、やっぱりすぐ足下にあるのに、何もしないってのは……我慢できなくて」
そのリヨンの顔を見て、俺は同類の匂いを感じた。流石ワイン造りの家系だけあって、ワインに対する愛は人一倍強いようだ。
「だから、忍び込んだのか」
「ちょっと見に来ただけだ!」
「ふふふ、構いませんよ。ここのワインの処遇については、キリヤとリヨン、貴方達二人にお任せするつもりでしたから」
ロゼの言葉に、俺とリヨンが同時に驚いたような表情を浮かべてしまう。
「へ? 処遇ってどういうことです?」
「僕はともかく、なぜ彼と?」
俺とリヨンの問いに、ロゼが微笑みながら答えた。
「私――
おいおい、ワイン嫌いだなんて初耳だぞ!
「いやいやだって昨日もワインを……いやでもそうか……昨日もイマイチって言ってましたもんね」
「はい。ワインの不味さを再確認する為に飲みました。ですが、やはりあんな酸っぱくて苦いものを、美味しいとは思えません」
なるほどなるほど。どうやらこの王女様、人を見る目だけではなく、舌も中々のものを持っているようだ。
「――確かに昨日のワインは不味かった。あんなものはワインではない」
「……あれはウィレーズ家のワイナリー産だぞ」
ローヌがポツリとそう呟いた瞬間に、リヨンが声を上げた。
「そんなバカな! 我が家はこの大陸で最も古いワインの造り手ですよ!? それが不味いだなんて! 僕だって一生懸命勉強して、実際に畑に入って一から携わっているんですよ!? 去年の物なんて最高傑作なはずです!」
「そうかもしれないが……もっと上があるってことを知らないからだよ」
俺がそう言うも、リヨンは信じられないとばかりに首を横に振った。
「ふふふ、実は昨日、キリヤがあのワインを不味いと言っていたのを聞いていました。やっと私と同じ感想を抱く者が現れたと喜んでいたのです。さて……本題に入りましょう。キリヤ、覚えていますか? ワインに関する仕事を任せたいと言ったことを」
「もちろん」
どうやら、それはここのワインをどうするか……だけではなさそうだ。
「お父様が仰っていたのですが……古い、古い時代のワインは今よりももっと美味しかったそうです。それこそ、神が人類に与えし最高の祝福だと……そう語り継がれるほどに。はっきり言って今のワインは美味しくありません。ですからキリヤ、貴方が私と同じ味覚を持っていて、かつワインの知識があるのなら……この国でおそらく最も腕の良いワインの造り手であるウィレーズ家……つまりリヨン様と協力して――
その言葉を聞いて、俺は全身に鳥肌が立った。
ああ、やっぱりだ。きっと俺はこのためにこの世界に来たに違いない。
そう、最初から疑問だったのだ。この世界のワイン文化は妙に進んでいる。ワイン酒場があるぐらいには平民にも普及していて、かつボトリング技術もあり、この
なのに、味だけが妙に悪い。この矛盾について考えていたが、ようやく理解できた。
この世界……かつては美味いワインがあったんだ。だが、何が原因か分からないがそれが廃れてしまった。そしてワイン文化の残骸だけ残り、肝心のワインは失われてしまった。
ならば……俺のやることは一つだ。
「やらせてください。俺だって美味いワインを飲みたいですから」
「決まりですね。必要なもの、人材、全て用意します。その手始めとしてかつてのワインのヒントとなる、ここのワインについてはリヨン様と相談して好きにしてくださいね」
そう告げると、ロゼは去っていった。
「ううう……僕のワインは……美味しくないのか」
隣で凹んでいるリヨンの肩を俺は慰めるように叩く。まあ造り手からすればショックな話だ。
「まだ伸び代があるってことだろ? 王女直々の仕事とあれば、仕方ない。改めてよろしく頼むよリヨン。俺はキリヤだ」
俺が手を差し出すと、リヨンが迷った末に俺の手を取った。
「ロゼ様の口振りからして、君にそれなりにワインについては知識があるそうだが……僕はまだ君を認めていないからな!」
「ま、そう言うなよ。まずはここのワインを吟味してみようぜ。お前も本当は飲んでみたかったんだろ? 俺は飲むけど……どうする?」
「飲む!」
パッと顔を明るくしたリヨンを見て、俺は分かりやすいなと心の中で苦笑する。
「……飲み過ぎるなよ。あと、本来の仕事である毒見役も、サボったら怒るぞ」
そんな俺らを見て、ローヌが釘を刺す。
「分かってるって。仕事の時にまた呼んでくれ。あとは、紙とペンがいるな。リストアップしないと」
「心配だ……まあいいすぐに持ってきてやる」
そう言ってローヌが去っていった。
こうして俺は、ロゼが納得するワインを造るべく、若き造り手であるリヨンと手を組んだのだった。
失われたワインの復活。なんともワクワクする言葉じゃないか!
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