第6話:ロゼとルージュ、薔薇と剣


「なぜここに……しかも騎士も連れてないじゃないですか!」


 俺がロゼの周囲を見ても、あの赤い騎士達――薔薇騎士ローゼンナイトはいない。


「うん? 何の話かな~? 私はただの町娘だよ?」


 ロゼが蠱惑的な笑みを浮かべると人差し指を立て、自分の唇へと当てた。内緒にしといてね、ということなのだろう。その笑顔も口調も、昼間の方よりずっとこっちのが彼女らしい。


 つまりこれがロゼ王女の素顔ってわけだ。


「困りますよ、ロゼ様」


 なぜかローヌが、またかとばかりにため息をついている。


「駄目よ、ローヌ。敬語使ったらバレるじゃない。昔みたいに話してくれていいのよ」

「はあ……まったく。王宮――じゃなかった家を抜け出すのはもう止めろって散々言っただろ?」


 ローヌが、呆れたような表情でロゼを見つめた。


 え、もしかしてこの王女様、常習犯?


「あはは。これが私の唯一の趣味なんだから、いいでしょ? 夜の街はいいわね……自由で、騒がしくて……とっても綺麗」


 酒場の喧騒の中、ロゼがなんかポエティックなことを言っているが、ローヌはそんなものは無視してロゼを睨む。


「駄目に決まってるだろ。ただですらロゼの命は常に狙われているんだから」


 ローヌのもっともな言葉に、しかしロゼは笑みを崩さない。その余裕の態度になぜか、彼女は絶対に安全だという確信を持っているように見えた。


「大丈夫だよ――。もう、何も私を脅かすものはない。あ、私もワインをください!」


 近くにいた給仕に、慣れた様子でロゼが注文する。やっぱりこの変装といい態度といい、この子、ちょこちょこ王宮を抜け出しているな。とんだお転婆お姫様だ。


「ロゼも飲むのかよ。というか、脅かすものはないってどういうことだよ」


 意味が分からない。狙われた直後だから、逆に安全とかいうそういうことか?


 だが、俺のその思考を読んだとばかりに――ロゼが口を開く。


「違うよ。凄いスキルを持っているのは……君だけじゃないってこと」

「とにかく、さっさと家に戻るぞ! キリヤ、護衛しろ。なんかお前強いんだろ」


 ローヌの雑な言葉に、俺は頷くしかない。


「お、おう」

「ワイン飲んでからだってば。それにローヌ、これは彼の今後についても関わってくるのだから。王宮よりここで話す方が、かえって安全よ?」


 ロゼが給仕が運んで来たワインを受け取ると、豪快にそれを煽った。マナーもクソもない飲み方だが、不思議とそれが様になっているように見えたのは、彼女が王族だと知っているからだろうか。


「ロゼ、例の話か?」

「そう。例の話よ。うーん、やっぱりイマイチね」


 ロゼが今しがた飲んだワインを見て、眉をひそめた。どうやら彼女もここのワインに不満を抱いているようだ。是非、何が駄目か聞きたいところだが――


 いやそうじゃない。それよりも聞くべくことがある。


「例の話ってなんだよ」


 俺の知らないところで、俺についての話が進んでいるのは、あまり良い気分ではない。しかもそれが言わば、俺の上司と社長の立場の二人の間でされた話となれば余計にである。


「今日の毒殺未遂事件。あのあとウィレーズ卿が色々と口を割ったのだけど、やはり〝剣派〟の過激派の口車に乗った結果行った犯行みたいね。調べたところ、今回の件は彼単独の仕業で、一緒に来ていたウィレーズ夫人とその息子は無関係と判断されて釈放されたわ」

「それが……どう俺に繋がるんだ? というかその〝薔薇派〟とか〝剣派〟とかも分からないし」

「ほんとにお前は物を知らないな」


 ローヌがそう言うが、それはキリヤに言ってくれ。


「あら、下級貴族の息子だった彼が関与できる話でもないし、仕方ないわ。あのね、今この国の王侯貴族達は王位継承権を巡って大きく二つの派閥に分かれているの」


 ロゼの説明をローヌが補足。


「ロゼ王女を支持するのが〝薔薇派〟だ。この国においては保守派とも言われているな。王都民からの支持もあり、王宮内でもいわゆる文官から擁護されている。そして〝剣派〟は――」


 ロゼが俺でもギリギリ聞こえるぐらいの小さな声で呟いた。


――ルージュ・クローシェを信奉している派閥よ。国内でも特に辺境や紛争地帯に近い州からは絶大な支持を得ていて、我が国の武力の象徴とも言える〝赤翼騎士団〟も彼女を信奉しているわ。彼らは革新派であり、武力による領土拡大を是としている」

「ルージュってあの〝血塗れブラッディルージュ〟か?」


 その名は、あのキリヤの記憶にすらあった。

 この国最強とも名高い、美しい騎士だそうだ。


 だが、王族だったとは知らなかった。


「そっちは知っているのか……だから男は……まったく」


 ローヌがテーブルの下で俺の足を小突く。ロゼが彼女を窘めるように、微笑んだ。


「そりゃあ知名度で言えばお姉様の方が上だからね。南方戦役、オーク東征、ルーン戦争……その全てで活躍し、この国の勝利に大きく貢献した結果、騎士達の間では英雄視されているし。それと、彼女に王位継承権があると分かったのはつい最近なの」

「なるほど……だから〝剣派〟か」


 この国の地政的状況は分からないが、中々に複雑な事情のようだ。


「だから、ロゼ様の排除を目論む連中は国の内外問わずに多いんだ。逆に、ルージュ王女を狙う者は少ない」

「薔薇派は保守・穏健派だもんな。それに向こうは英雄ときた」

「その通り。それに対抗するべく、〝薔薇騎士団ローゼンナイト・オルデン〟を設立したんだけど……精鋭といえど、所詮はこの王都やその近郊の騎士の中から選ばれただけで……常に諸外国や亜人の侵攻に備えている辺境騎士達と比べると……」


 俺は今日、あっさりとウィレーズ卿にやられたあの騎士を思い出した。


「つまりだ。ロゼ様は相変わらず暗殺の脅威に常に晒されていて、かつ護るべき人材が不足している。今日のような事件がまたいつ起こるか分からない」


 ようやく話が見えてきた。


「ふふふ……だからね、提案。キリヤ君、毒見役もいいけど……貴方、? 今日見たスキルと動き……十分に騎士をやれると思ったの。だから毒見役兼騎士の君がいてくれると、私、楽なんだけどなあ」


 ロゼが俺をまっすぐに見て、そう告げた。その表情といい、言い方といい、女の武器をよく理解してる。こんな美しいお姫様にそんな事言われたら、オスなら誰もがイエスと言ってしまうだろう。


 それほどに彼女は魅力的で、その誘惑は抗いがたかった。


 だから――


「――


 そう答えた、俺は本当に可愛げがないと思う。


「おいキリヤ! お前!」


 ローヌが鬼の形相になるのを見て、ロゼが口を開けて笑い始めた。


「あはは! そう言うと思った! だってキリヤ君って、なんかちょっと違う視点で世界を見ている気がするもん。私のことも、王女って感じに見てないし」

「なにぃ!? そうなのかキリヤ! 貴様不敬だぞ!」


 ローヌが俺に怒りを向ける。うーん、この王女、意外と見る目があるな。確かに、そういうのは正直まだあまりピンときていない。


 せいぜい、任されている店のオーナーの娘、ぐらいのスタンスだ。とはいえ、そう正直に答えるわけにいかない。

 

 だから俺は慎重に言葉を返す。初日に仕事をクビになるのは避けたいしね。


「いや……ちゃんと敬意は払っています。そもそも俺に騎士なんて無理だよ。ワインに関する仕事以外は、知識も経験もありませんし」


 確かに俺のスキルは凄いかもしれない。だが俺は、要人警護もしたことなければ軍人でもない素人だ。そんな人間に護衛を主とする騎士なんて無理に決まっている。


 まるで俺がそう答えるのを分かっていたかのように、ロゼが言葉を返した。


「騎士というのが性急であれば――まずはワインに関する仕事なら、任せても?」

「そりゃあもう」


 俺がそう反射的に答えると、ロゼがにやりと笑った。


「分かりました。それでは貴方に一つ、ワインに関する仕事を与えます。詳しくは――また明日」


 ……これはハメられた気がするな。


「ロゼ様……そろそろ本当にいい加減帰りますよ。あの話はまた明日でいいでしょう」

「仕方ないわね。じゃあ、キリヤ君……また明日ね。帰りましょローヌ」


 そう言ってロゼが立ち上がった。彼女の視線の先を見ると、酒場の入り口に〝薔薇騎士ローゼンナイト〟達が慌てた様子で聞き込みをしていた。


 こうして俺達は代金をテーブルの上に置いて――酒場の裏口から外へと抜け出した。


「あはは、こういうのって何度やっても楽しいよね!」


 嬉しそうにそうはしゃぎながら、ローヌと手を繋いで歩くロゼを見て、俺は思わず微笑んでしまう。


 彼女は想像もつかないような重圧を感じているはずなのに、あんな風に無邪気に振る舞えるのは凄いことだ。


 尊敬できる存在だと思った。


 そうして俺は王宮まで彼女とローヌを送っていくと――王宮についたところで、慌てた様子で薔薇騎士ローゼンナイト達がやってくる。


「ロゼ様!」

「どこに行かれていたのですか!?」

「無断で外出は困ります!」


 そんな騎士達の声を無視して、ロゼが俺達へと視線を向けた。


「おやすみなさい、キリヤ、ローヌ。少しの間でしたが、楽しい夜でした。いずれ、また」


 そう言ってウィンクを俺達に投げ、ロゼが騎士達と共に去っていった。


 残された俺達は顔を合わせると、小さく笑い合った。


「やれやれだな。しかしキリヤ、お前は賢いように見せて実は案外馬鹿だろ。あの王女様は人を振り回すことにかけては王国一だぞ」

「まあ、今日のところは、仕える主人の素顔が見れて良かったとしておこう」

「明日も頼むぞ。朝からワイン貯蔵庫カーヴを案内する。ロゼ様とは別に頼みたいことがあるからな」

「おっと、いきなり大役だな。うひひ、試飲が楽しみだ」


 確かにこの世界のワインは、地球に比べたらあまりにレベルが低い。だが、それは逆に伸び代があるということだ。マズイ、で終わらせたらソムリエの名が泣いてしまう。


 レベルが低いなら低いで、上げればいいだけだ。


 きっとまだ見ぬブドウ品種もあるだろう。魔法やスキルの存在もあるし、醸造や熟成の仕方も地球とは違う可能性がある。ならば、この世界のワインが、地球の物よりずっと美味しくなる可能性は十二分にある。


 もしかするとそれが――俺がこの世界へと転生してきた意味なのかもしれない。


「ありがとう、ローヌ。なんか、俺やっていけそうな気がするよ」

「……お前、今日一日振り返って、よくそんなことが言えるな……あたしはドッと疲れたよ。じゃあなキリヤ。また明日」


 ローヌが俺に背中を向けて力無く右手を挙げると、そのまま王宮の中へと去っていった。


「ああ、おやすみローヌ。さて……もう一杯だけどっかで引っかけて帰るとしますか」


 俺は大きく伸びをすると、再びあの酒場のある通りへと向かったのだった。


 もちろん……一杯で終わるはずもなかった。

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