第5話:揺れ房亭にて


「……うそん」


 その力に、俺自身が一番驚いていた。いやいや、蹴りで人はあんなに吹っ飛ばないって!


「今のは身体能力強化系に見えますが……凄い」


 俺の横にいたロゼも驚いたような声を上げていた。

 なるほど……身体能力強化なら、確かに今起こったことに説明がつく。


「……えっと、一件落着?」


 俺がそう言うと同時に、騎士と衛兵が広間へと雪崩れ込んでくる。


 その場は一気に騒がしくなり大混乱に陥るが、ロゼだけは俺へとピタリと身体をくっつけると、こう囁いたのだった。


「――二度も助けていただきありがとうございました。キリヤ様は……本当に素晴らしいですね。是非、


 そんな甘い声と共に――ロゼは騎士達に保護され、去っていったのだった。


「……やれやれ、初日からとんでもない事になったな。だが、よくやったキリヤ」


 完全に固まっていた俺の背中を小突いたのはローヌだった。


「……ああ。何がなんだかさっぱりだが」

「後は、騎士達に任せたらいい。あたし達は片付けを行おう。クレマン先生は一応あっちで伸びているウィレーズ卿を診てやってください」

「わかったわ」


 こうして――俺は初仕事で死にかけるという波乱もありながら……無事終わったのだった。


 結果としてロゼの信頼を得られたので、まあ良かっただろう。


 その後、後片付けやらなんやらを行った結果、俺はようやく家に帰れることになった。よし、帰りに市場に寄るか!


「やれやれ……これでようやくワインを探しにいけるな!」


 なんて言っていると。


「――それ、あたしも連れていけ」


 そうローヌが言ってきた。


「……へ?」

「お前が優秀なのは認める。だけども、やっぱり変な奴だ。だから上司として見極める必要がある」


 変な奴呼ばわりである。


 というかローヌさん、俺の上司だったのね……。

 そう言われたら、今後の仕事がやりやすいようにここでローヌと仲良くなっておくのも手か。


「そりゃあいいけど……ローヌ、成人してんの? ワイン飲むけど」


 見た目がどう見ても小学生か精々中学生なんだよなあ……胸は大人サイズだけども。


「……お前より十は年上だぞ」

「ほえー……って十!? ってことは二十代後半!?」

「うるさい! 乙女に年齢を聞くな馬鹿!」

「乙女って年齢か?」


 ローヌが目を釣り上げて、俺を睨んでくるので、それぐらいにしとこうと口を閉ざした。うーむ、前世の俺はそんな軽口を叩くタイプではないのだが……その辺りはどうもキリヤの方に引っ張られてる気がするな。


 心まで若くなってしまった感じがある。


「まったく……生意気な」

「悪い悪い。じゃあ、早速いこうぜ。うひひ……どんなワインがあるのかなあ」


 どうせ、今日のあの最高級ワインとやらも中身は安物なんだろう。毒殺する相手に高いワインを飲ませても仕方ないし。さあ、異世界ワインのポテンシャルを見せてくれ!


「なあ……」


 そんな俺を見て、ローヌがジト目で俺を見つめた。


「なんだよ」

「お前ってワインが関わってくると、なんか人が変わるよな。仕事の時もそうだが……ワイン馬鹿か?」

「それは俺にとっては褒め言葉だな。むしろこっちが普通なんだが」

「そうか……まあいいや」


 俺はローヌを連れて王宮を出ると、城下町の市場へと向かったのだった。


 待っててね、ワインちゃん!


***


 結局。

 既に日は傾いており、市場は早々に閉まっていた。


「ぐぬぬ……閉まるのが早すぎる」

「当たり前だろ……ワインを飲みたいなら酒場に行くしかない」


 隣を歩くローヌは王宮を出る際に、メイド服から町娘のようなワンピースに着替えていた。まあメイド服、目立つしね。


「あたしが良いワインを出す酒場知っているから、そこに行こう」

「お、流石だぜ、ローヌ姉さん。頼りになる」

「誰が姉さんだこら」


 とか言いつつまんざらでもない表情を浮かべるローヌを見て、頼られるのが好きなタイプかと心の中にメモしておく。


 閑散とした市場を通り過ぎて、飲み屋と宿屋が連なる通りへと入って行く。既にそこには酔っ払いやそれを客とする娼婦達がそこら中に立っていた。半ばオープンになった酒場からは陽気な音楽や歌が聞こえてくる。


 こういう雰囲気、好きだなあ。外灯が放つLEDみたいな不思議な蒼色の光が、妙に雰囲気を出している。


 こちらに流し目を送る娼婦をチラチラ見ていると、獣っぽい耳を付けた子がいれば、メイド服を着た子もいた。うーむ、この世界でも性癖の幅は広い。


「顔がニヤけているぞ」

「なるほど……だからローヌはメイド服から着替えたのか」


 俺がそう言うと、ローヌの蹴りが炸裂。俺の脛を直撃!


「殴るぞ」

「け、蹴ってますがな……」


 めちゃくちゃ痛いんですけど!?


「ほれ、ここだ」


 涙で滲む俺の視界に、一軒の酒場が移った。吊り看板には、〝ふさ亭〟と書かれている。


「この街で一番美味いワインが飲める酒場だ」


 ローヌが胸を張って、ドヤ顔をする。

 うむ。口調は男っぽいし歳も上だが、これはこれで可愛いな。


 なんて思いながらジッと見つめていると、ローヌがこちらの視線に気付き光の速さで顔を逸らした。


「……い、いくぞ!」


 ちょっと頬を赤らめたローヌが足早に店内へと入っていく。


 店内は他の酒場と同様に賑やかで、そこかしこで人々が嬉しそうにワインやビールらしきものを煽っている。見れば、俺と同様に成人になったばかりの若者達が騒いでいる。


 日本での成人式の日のことを思い出し、どの世界でも一緒だな、と笑ってしまう。


「しかし、この国は景気が良いんだな」


 ローヌと共に空いているテーブルに座ると、すかさずやってきた給仕にワインを頼む。とりあえずはハウスワインでいいだろう。


「マルサネ王の執政のおかげだな。自由貿易に、三国同盟……まさに名君だよ」


 マルサネ王ってのは、多分ロゼのお父さんのことだろう。どうやらかなりの名君のようだ。


 というか自分の国の王の名前も知らないとかキリヤ君、本当にこの十六年何してたんだ……?


「我が国のワインを求める国は多い。軍事力も資源もある。だが、王は常々こう仰られていた。〝ワインと薔薇ロゼこそが、我が国の宝だ〟……とな。だが、今は重い病に伏せてしまっている」


 ローヌが沈んだ声で、ため息をついた。


 ふむふむ、色々読めてきたぞ。王は病に伏せ、次期王位継承権を持つロゼの派閥と別の派閥があるって感じだな。


 だが深入りする気はなかった。どうせ俺はただの毒見役だ。そういうめんどくさい政治に関わるつもりはない。


「ふむ……王がそこまで言うなら、ますますワインが楽しみだな」

「当たり前だ。我が国の誇りと魂だぞ」


 ローヌが当然とばかりそう言うと、給仕が大きめのワイングラスになみなみ入った赤ワインを運んできた。


「うひゃあ、これこれ!」


 深い赤色の液体が揺らめいている。ああ、未知のワインと対峙する時ってなんでこうもワクワクするのだろうか?


「じゃあ、まあ歓迎会っていうほどではないが――我が国と薔薇に乾杯」


 ローヌの言葉と共に、俺は酒杯を掲げた。


 異世界最高! 


 なんて思っていたら。


「……マズい」

「おい」


 駄目だ……なんじゃこりゃ。ブドウジュースを日なたに五日間放置したような酷い味がする。はっきり言って、今日毒見したあのワインの方がいくらかワインらしい味だ。


「マズくはないだろ。ここはこの街で王家御用達のワインを扱っている唯一の酒場だぞ」


 ローヌがグイッとグラスを煽って俺を睨む。


「王家御用達のワイナリー……ほんとに? ブドウジュースと水で嵩ましとかしてない?」


 俺が小声でローヌにそう聞くと、テーブルの下で思いっきり足を踏まれた。


「お前は失礼な奴だな……どう味わってもこれはワインだろ。昔のワインはもっと酷くて、蜂蜜やらハーブやら入れないと飲めなかったらしいが、ここまで味は良くなったんだ。お前の味覚がおかしいんじゃないか? 今日のあのバルトワインだって最高級品なのに、マズイとか言うし……」


 ……こうなってくると、あの毒見したワインはマジで高級品だったのかもしれない。ハウスワインでこのレベルで、しかもローヌはこれが美味いと言っている。


 ああ……そうか。俺はなんて馬鹿なんだ。


「この世界のワインは……まだまだ醸造技術もブドウの栽培技術も未発達なんだ」

「とにかく、気に食わないならビールでも飲んでろ。あたしは飯を頼むぞ」

「いや、悪かったよローヌ。マズイは言い過ぎた」


 いかんいかん。ソムリエとして、感想がマズイってだけなのは、三流の証拠だ。


「とりあえずこれはブルゴーニュっぽく、単一品種で作られたワインだな。ただ収穫の時期も熟成のさせかたもイマイチだ。おかげで酸味と雑味が残りすぎている。清澄もやってない可能性が高いな」

「ぶるごーにゅ?」

「気にしないでくれ。そういうワインの名産地があるんだよ」

「初めて聞いたぞ。この大陸で一番のワイン産地といえば、我が国のバルト州だが」


 バルト州は確か、ここの隣にある州で、あのウィレーズ卿が治めている一大農業地帯だ。王都があるこのラトル州と並ぶ、古い歴史を持つ土地だ。


「今日飲んだワインの味を思い出すとそうかもしれないな。あれは今思えば、頑張っている方だ」

「だからなんでお前はそんな上から目線なんだよ……」


 そうしてるうちに、ローヌが頼んだ大量の飯がテーブルの上に並んでいく。肉を焼いて塩を掛けただけのものや、揚げたジャガイモ、パイ、野菜スープ、ソーセージ。ドイツの田舎料理みたいなラインナップだ。揚げ物があるということは、それなりに料理技術と厨房設備は整ってそうだが。


 というかこれ、軽く五人前はないかい?

 

 しかしローヌはその小さな見た目に反して、モリモリそれを平らげていく。


「ここは、料理も美味いんだよ」

「ふむ」


 俺も自分の店では料理を出していたので、下手なビストロよりは美味しく作る自信はあるし、色々な店を食べ歩いた経験もある。


 その経験から言うと……


「うーん……塩味」

「胡椒もあるぞ」

「ありがとう……」


 とにかく、全部しょっぱい。ハーブで臭いを消しているが、それでも肉は獣臭い。なんだろこれ……牛じゃないな。どの料理も塩が尋常でなく効いているせいで、俺は思わずワインをがぶ飲みしてしまう。


「ん? ワインが……ちょっとマシになった」


 なんかしょっぱさとワインの酸味と雑味が中和されて、それなりの味になっている。とはいえ、やっっぱりそれなりでしかないのだが。


「こういうマリアージュもあるのか……」


 ワインの世界はまだまだ奥深いなあ。


「……お前、ほんとワインのこととなると、人が変わるな」


 肉にかぶりつきながら、ローヌがしみじみそう呟いた。

 おっと、いけないいけない。レディと一緒なのにワインに夢中になるのは、昔からの俺の悪い癖だ。


「ワインを愛していてね。ボトルを抱いて寝るぐらいには」

「変態だな……だがある意味、納得だ。そこまで言うぐらいだ、ワインの知識は相当にあるのだろうな。毒見役に相応しい」

「毒さえなければなあ」


 天国みたいな仕事なんだがなあ。


「それじゃあ毒見役の必要性がないだろ」

「ですよね」


 なんて会話していると――いきなり横から、聞き慣れた声が掛かる。


「ふふふ……二人とも楽しそうですね――私も混ぜてくださいな」


 その言葉に、俺とローヌが同時に声を発したのだった。


「ん?」

「っ! 貴女は!」


 そこには――町娘のような白いワンピースを着た、黒髪の眼鏡をかけた少女が立っていた。


「いや……え? なんで……!」


 俺には分かる。例えカツラと眼鏡で変装していようともそれは――


「だって、言ったでしょ? ゆっくりとお話しましょう……って」


 そう言って笑ったその少女は――確かにどうしようもなく、俺の主である――ロゼ王女だった。

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