丘の上の少年たち
ゆかぼう
丘の上の少年たち
子どもたちと絵本を読みあう時間のわくわくがたまらなく好きだ。
保育士として、お母さんとして、図書ボランティアとして、子どもたちと絵本が出会う場を共にさせてもらう幸せをたくさん味わって、もしかしたらもう少しすそ野を広げられるかも、なんて、今年は新しいフィールドにおじゃますることになった。
丘の上にある、少年院。
なんの肩書も実績もないわたしが、「少年たちと一緒に絵本を読みたいんですが」と電話をかけてきて、少年院の職員の方はさぞ訝しがられただろう。お返事第一声は、「え、えっと…どういった目的で…?」だった。
でも、私の想いに本当に丁寧に耳を傾けてくださり、絵本の魅力を感じ取って、実現に向けてご尽力くださった。
わたしの最初のイメージはごくごく軽く、おばちゃんがときどき大きな袋を持ってやってきて、少年数人と絵本を数冊読んで帰っていくような、というものだった。
施設の特性上、そんな軽いものにはできず、1時間の「講話」という時間の中で60人ほどの少年たちに講師スタイルで絵本を読むことに。思ってたよりだいぶ仰々しいぞ、とおじけづいたが、与えられた場に感謝して進んでみよう。
ときどきふらっとやってくるおばちゃんにはなれず、最初で最後の機会になるかも、と思ったとき、読む絵本が浮かんだ。
「たいせつなきみ」 マックス・ルケード作/セルジオ・マルティネス絵/ホーバード・豊子訳
木で作られたこびと同士が互いに金ぴかのシールやだめじるしシールをくっつけあっている世界の物語。
メッセージ性が強い作品は、ともすると価値観を押し付けてしまうこともあるが、様々な事情や経験があって少年院というところにいる彼らに、あなたは大切な人なんですよ、ということはお伝えしたくて、その上で一人ひとりに考えてもらう時間になったらいいな、と思った。
絵本の読みがたりの後に感想を話すことにも賛否あって、学校の先生がたまに、読み終えた余韻もそこそこに「作者は何を言いたかったのでしょう」的なクイズを出し始めると、「野暮!」とどつきたくなることもある。でも、絵と物語にふれて心の中に湧きあがった形のないものを言葉にしようとする、その時間を共にするのはわたしにとって魅力的なもの。出てきた言葉を評価することなく、聴くこと、対話することに心を向けられるのなら、深みへの楽しい探検にもなりえると思っている。
そんなわけで、少年院では「たいせつなきみ」を読んだ後に、少年たちが感じたこと、考えたことを話してもらうスタイルにしようと決めた。そして、ワークシートを作ってみた。紙面を4分割して、①「ん?」どういう意味?わからない…②「あ~!」なるほど。そっか!③「よし!」こうしたいな!④「でもな…」そうは言ってもな。 と書いたシンプルなものだけど、絵本を読みながら自分の感じていることを認識するヒントになるかなと思った。
また、この機会が彼らにとっていろいろな本に出会うきっかけになったらいいなと思い、「こんな本もあるよブックリスト」を作って当日それらの本の表紙や一文を紹介させていただくことにした。
一度少年院に出向かせていただいての打ち合わせを経て、ドキドキの7月16日、「講話」当日。
丘の上の少年院は、緑の中庭のある落ち着いた建物。少し早くおじゃますると、院長さんともお話しする機会に恵まれた。「ここにいる子たちの半数以上は、反社会的なことがしたい、いわゆる『ワル』というわけではなく、発達障害グレーゾーンと呼ばれる特性のためにいじめられてきた子や、親の虐待を受けて居場所がなかった子たちです。おそらく、親の膝の上で絵本を読んでもらったことがない子も多いでしょう。」とのこと。悲しい現実だけど、ここに絵本を持ってきた意味があったかも、と思える言葉だった。
会場として案内された講堂には穏やかなBGMが流れていて、緊張をいくぶん和らげてくれた。時間になると職員の方に続いて少年たちがきびきびと入ってきた。簡素な作業服にシンプルなヘアスタイルの子たちが60人余り、ざっとこちらを向いている。人生初めての景色に体がキュッとした。司会は、この数か月の間わたしと何度もやり取りを重ねてくださった職員の方で、心を開いたやり取りを通して誠実さや少年たちへの愛情を感じてきた。彼の少年たちへの語り口調は柔らかく、わたしへのそれと変わらない雰囲気がほっとさせてくれて、勇気づけられた。
そして、わたしは絵本を開き、少年たちにはスクリーンで絵を見てもらって、読みがたりを始めた。時々彼らの顔を見ながらゆっくりと読み進めた。―きれいに絵の具が塗られていたり才能のあるこびとたちには周りのこびとたちが金ぴかのお星さまシールをくっつけていく世界。パンチネロというこびとは失敗ばかりして灰色のだめじるしシールをいくつもくっつけられてしまう。そんな中出会ったルシアというこびとは、どちらのシールもつけていない。パンチネロは「だめじるしが ひとつもないなんて すごいねえ」とルシアにお星さまをくっつけようとするが、おちてしまうのだ。―
講堂は静かで、絵本を読む自分の声だけがぽわんと浮かんでいるように感じた。スクリーンを見つめる少年たちの表情もたしかに反社会性のようなものはなく、どこかあどけなく、やわらかいなと思った。わたし野球部の合宿に来てるんだっけ、と心の中でニヤッとしたりもしていた。
静かな中に物語が終わり、絵本を閉じてまた彼らの顔を見た。スクリーンから手元のワークシートに目を落としている彼らは今、どんなことを感じているんだろうな、としばらく黙って彼らを見ていた。
「何か今感じていることやわからなかったことはありますか?」と尋ねると、手は挙がらなかったが、職員の方がひとりにマイクを向けると、ぽつぽつと言葉が出てくる。
―ルシアは人にどう思われてるか気にしていないからシールが貼られないんだと思った。
―自分はパンチネロに似てると思った。
―声が良くて読み方がうまかった。
何人かが話すと、手を挙げてくれる人も出てきた。
―女の子(ルシア)は、信念があるから人のことを気にせずいられたのかなと思った。自分も、何か信念を持っていきたいと思った。
「なんだかわたしは、あなたの信念を感じるよ。」
他の人の言葉を聞きながら、少しずつ彼らの心が動いているように感じる。わたしと何度か目が合う子がいる。
真ん中の席から手が挙がった。
―絵本の中にシールが出てきて、レッテルみたいなことかと思ったんですけど、自分もけっこうレッテルを貼られてきたなあと思いました。
「もし良かったらどんなレッテルか教えてもらえる?」
―例えば、こういうところにいるんで「非行少年」とか。それを自分ではがしていきたいと思いました。
彼の中から出てきたどストレートなワードにビリっとした。
マイクを向けられ、
―ちょっとよくわからなかったです。
と一言発して座った子もいたが、どんなところが?と尋ねてみると、
―いや、これからも良いとか悪いとか、評価はされていくから。
との言葉。彼の心の深いところに物語が入っていると感じた。
「そっか、わからないよね。わからないというより、どうしたらいいか考えてるように感じたよ。オリンピックも金メダルとかあるしね。人生の中でほめられたりダメ出しされたりはずっとしていくんだよね。その中で、自分が大切な存在なんだというのはどうしたら感じていられるんだろうね。」
と、彼の問いはわたしへの問いになった。
何度この絵本を読んでも、人と自分を比べて落ち込んでしまうわたし。どうしたら良いのかまだまだわからない。絵本から何かを教えるべきではない。でも、ここに来て、これはお伝えしたいと思ったことは言って帰ろうと思った。
「この絵本を読んだり、皆さんのお話を聞いて、今お一人おひとりが感じている気持ちは、今の自分自身で感じている、何の間違いもない気持ちです。それに気づいたことはとてもすてきだと思います。そして、あなたはあなたしかいない、とても大切な人であるとわたしは感じています。一人ひとりが価値ある大切な存在、そのように自分にも周りの人にも感じる時、皆さんはどう感じるでしょうか、幸せになるかな?これからまた考えていただけると嬉しいです。」
その後、ブックリストからスクリーンに「まゆとおに」や「100万回生きたねこ」の表紙を映しながら、大好きな絵本の一文とおすすめポイントを紹介した。
最後に職員の方がサプライズ的に、赤川次郎の「三毛猫ホームズ」シリーズの表紙を映してタイトルを当てるというクイズをされていた。少年たちが生活する寮で回し読む図書の中で人気だという。わたしと何度か目が合っていた彼もクイズに答えていた。わたしが「三毛猫ホームズ」を読んだことがないと言うと、一人の子がシリーズの一冊のあらすじを語ってくれた。「え、ほんとに猫が出てくるんだ。私は勝手に、探偵が『三毛猫ホームズ』というあだ名なのかと思ってた」と言うと、「三毛猫と探偵が相棒なんです」とはにかんで答えた。
時間が来ると少年たちはまたきびきびと講堂を後にし、わたしも職員の方に続いて中庭へと出たが、すがすがしさとともに、彼らとの時間が名残惜しく、もっと一緒にいたかったなという愛おしさでいっぱいになった。帰る前に対応してくださった次長さんにもその気持ちを伝えると、にっこりして「嬉しいです。」と言ってくださった。お話しながら、彼らがいつかお父さんになって、膝に座る子どものために絵本を読んでいる情景を思い浮かべていた。
あれからもときどき丘の下の道を通る。その度に、スクリーンを見つめていた彼ら、ぽつりぽつり話してくれた彼らの顔が思い出され、元気にしているかなあ、元気だといいなあ、と思っている。わたしのたいせつな、丘の上の少年たち。
丘の上の少年たち ゆかぼう @watayukabo
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