第2話 死体探しの依頼
――紫煙の味が煤にまみれている。
昨夜の仕事を終えたジェイクは、ケアンズ郵便社事務所の椅子に座り、足をテーブルの上に投げ出した姿勢で煙草を吸っていた。
このアンテルシアでは、珍しい嫌煙家である同僚のケインのせいで、普段は事務所で煙草を吸うことはできない。
だが、いないのなら事務所で堂々と紫煙をくゆらせる。
普段はやらないことをやった時、煙草の味は各段に良くなるという自負のあるジェイクであるが、今日の味は最悪に近い。
煤の味がする。
これは決して外で煙草を出したから降り積もる排煙の味が付いたのだという話ではない。
これは、純粋に気分の問題だ。
「あー、最悪だ」
こういった日には、大抵の場合、厄介事がやってくる。
経験則だった。
以前、煙草の味が悪かったときに遭遇したのは、洪水事件だったか。
死体運搬中に橋が落ち、濁流に呑み込まれたことは記憶に新しい。
下手をすれば死んでいたこともあり、ジェイクは以来、川が苦手だ。
「来るな」
「ええ、来ましたよ。なので、煙草やめてくれませんか」
がちゃりとドアを開き、戻ってきた大男。
いや生物的ではない。もっと機械的だ。
黒光りする鎧甲冑のような姿が部屋の中に戻ってくる。
蒸気甲冑である。小型のパワードスーツというやつ。
戦場で兵士や工事や鉱山の重労働者が着るような代物だ。
こんな街中、それも室内で着るようなものではない。
それは、ジェイクの相棒であるケインだ。
ケインはいつも蒸気甲冑を着込んでいる。
事務所にいないと思っていたが、どうやら別室にいたようだ。
おおざっぱで、細かいことにはそれほど意識を向けない己とは、対極にあるような相棒の登場にジェイクは肩をすくめながらしぶしぶ煙草を消す。
「チッ、いたのかよ」
「ええ、いました。それより依頼人が来ますよ」
「どっちのだ」
「さて」
知らぬはずのないケインが肩をすくめるということは、裏の仕事である。
けして郵便社に対する仕事ではないのだろう。
ならば、少しばかりはやる気を出すか、などと思ったところでジェイクは足を降ろす。
やたら大きなエレベーターのブザー音が鳴ったのは同時だった。
じっと耳をすませれば彼に聞こえるのは、足音がひとつ。
わざと軋むように作った床板が軋む音が少ない。
体重は軽い。
マットを踏む音からして小柄。
歩幅は狭く、歩数が多い。
キツめの香水の匂い。
最新モード。
「女性ですね」
そんなかすかな情報を察知したケインが、そう呟くとすかさずジェイクは居住まいを正す。
乱れた着衣もきちんとする。
「そりゃ楽しみだ」
女と聞けば、ジェイクは本人がキメていると思われる表情で待ち構えるのだ。
「どうだ?」
「かっこいいですよ」
「良し」
「ですが、女性だからとやる気を出すのは正直に言って格好悪いです」
「うっせよ。男は女の前で格好つけるもんだろうが」
「いつも格好つけてくださいよ」
「そんな労力はねえ」
「ならせめて、私の前でも格好つけるとかどうですか」
「嫌に決まってんだろ」
「我儘ですね」
「どっちがだ!」
ケインはやれやれと首を振りながら、隣の部屋にあるキッチンで紅茶を入れる。
アンテルシアの人間は話をするとき、まず紅茶がなければ始まらない。
紅茶はすべての源。活力になる。
コーヒーなどという泥水は、アンテルシア人の飲むものではない。
かぐわしい紅茶の匂いが漂うと扉が控えめにノックされる。
ジェイクはよくもまあ蒸気甲冑を着込んでいるのにそんな器用なことが出来るものだと常々思っている。
しかもジェイクが今まで飲んだどの紅茶よりも美味しいのだからなおさらだ。
「どうぞ」
ジェイクが許可をだせば、ノックと同じく控えめな声とともにひとりの少女が事務所に入ってくる。
「失礼します」
美しい女であるとジェイクは思った。
女優とすら言ってもいいかもしれない。それほどまでに美しい女性が薄汚れたボロ郵便社の事務所に来た。
歳の頃は十六か、十八。
ほどほどに手入れされた金色の髪には、煤汚れ。
衣服の裾や肩にも排煙を払った跡がある。
身なりはふつうの町娘といった風情。
最新モードのドレスではなく、ひと昔前の装いは彼女の家がさほど裕福でないことを示している。
しかし、感じられる美しさはまさしく貴族と言っても差し支えない。
さて、どう話しかけ、お近づきになろうかとジェイクが思案している間にケインが紅茶を出し、先んじ話す。
「どうぞ、紅茶です。ハローンストリートから走ってきたのでしょう? お話をする前に、まずは1杯どうぞ」
女は目を見開いている。
蒸気甲冑がぬっと現れ紅茶を出してきただけでも驚きだと言うのに、それの言ったことが全て当たっていたのだから、かなりの驚きだった。
一種のパフォーマンスだ。
裏の客に対し、このようなパフォーマンスをすることにより、他とは違うのだということを教えてやるのだ。
そうすることとにより、依頼の数が増えるのである。
これは、かの有名な諮問探偵もやっていることであるゆえに珍しくはないが、知らぬものからすれば、驚きになる。
「どうして……!」
どうやら彼女はワトソン氏が書き、コナン・ドイル氏が物語としたホームズ氏の自伝を読んだことがないらしい。
「私、観察が得意でして。煤汚れの具合と、傘を持っていないことから2択です。ここから女性の足で走ってこれる場所となればハローンストリートか、リブロールストリートのどちらかです。リブロールは、犯罪が多いですからね、あなたのようなご婦人が来るとすればハローンストリートだと思ったのです」
「すごい、当たってます」
「いえいえ、すごくなどありませんよ。彼のホームズ氏でれば一目見た瞬間に、あなたの目的や名前まで知れましょうが、私にはあなたがどこから来たかくらいしかわかりませんので」
「おい、そんなこと、どうでもいいだろ。俺はジェイク、そっちがケインだ。相棒はシャイなやつだ。だなら蒸気甲冑を着込んでいる。気にしないでくれ」
「訂正してください。私はシャイではありません。やむにやまれぬ理由があるだけです。嘘はいけません、ジェイク」
ジェイクの紹介に異を唱えるケインだが、ジェイクとしてはそんなこと知ったこっちゃない。
やむにやまれぬ理由?
もちろん把握している。その上で、説明が面倒だからこう言っているだけだ。
しかし、そんな相棒の心遣いをケインは割りとふいにしてくれる。
嘘が嫌いだとケインはよく言うがお堅すぎる。
「わかったわかった。とりあえず客のあー」
「……わたしは、リシアと言います」
「リシア。そう、リシアの話を聞いてからだ。それにしても、リシアとは良い名前だな」
「ありがとうございます。父がつけてくれたのです」
「良いセンスだ。それで、だな。俺とこのあと――」
「はいはい。口説かないでください。話が先ではなかったのですか? リシアさんでしたね。郵便社に来たということは、何か届けてほしいものがあるということですか?」
ジェイクの話を遮り、ケインが話を進める。
この野郎と、ジェイクは内心で罵倒する。
本来であれば、ジェイクは普段は使わない語彙をフル活用して、つらつらと彼女がどれほど美しく、自分がどれほど彼女を思っているのかを語って、ふたりで恋の階段を昇ろうと思ったわけだ。
その目論みをケインはさっさと潰した。
そんなことをされては、話が進まない。
ケインは、ジェイクほど気長ではないのだ。
もちろん、ジェイクに口説いてほしくないという気持ちも大いに存在していたが、これはジェイクも知らぬ話である。
「……ここで、依頼をすれば望むものを盗んでくれるとお聞きました」
話が本題に入ってしまってから口説くわけにもいかないジェイクは、話を進めることにした。
「……だれから聞いた、かは聞かねえよ。だが、アンタは俺たちが盗むもんが何かわかっていってるのか?」
ジェイクとケインが盗むのは、決して普通の怪盗が盗むものではない。
宝石だとか、絵画だとかそういったものを盗んでほしいのならば、来る場所を間違えている。
「俺らが盗むのは、宝石でも美術品でもねえぞ。死体だ。そこのところ、理解してるか?」
「はい。どうしても、あなた方に盗んでほしいものがあります」
「なんだ」
「父の死体です」
「親父さんの死体を盗め?」
不思議な依頼だ。
不可解ともいって良い。
肉親の死体をなぜわざわざ盗んでほしいのだろうか。
「それは……信じられないかもしれませんが」
リシアがそう前置きし、おずおずと説明する。
曰く、リシアの父は、数週間前に工場の事故で亡くなったのだという。
工場の機関士として働く彼女の父は、先日工場の事故で不運にも頭に重蒸気を浴びてしまい、即死したのだ。
既に葬儀も終わり、墓に入った。
しかし、その翌週、亡くなったはずの父が歩き回っているという話を聞いたのである。
まさかと思ったが、確かめたところ死体は盗まれていたのだという。
「男手一つで父はあたしを育ててくれました。死んだあとくらいゆっくりしてほしいんです!」
「なるほど。つまり、盗まれ、動き回っている死体を探して盗んできてほしい、そういう依頼ですか。受けましょう、ジェイク」
どうやらリシアの話はケインの琴線に触れたようだ。
「また、お前の騎士道ってやつか? 俺には厄介事って感じしかしねえがな。なんだ、死体があるくって、リビングデッドかよ。ホラー小説の中じゃねえんだぞ」
「ええと、すみません……」
「ジェイク!」
「アンタが謝る必要はねえよ。ケインもそう怒るなよ。出すもん出してくれるってんなら、受けるぜ」
「……まったく。素直になったらどうですジェイク。貴方はよっぽどお人好しでしょうに」
「うるせえよ!」
「お金なら必ず用意します! 用意できなかったら、あたしがなんでもします!」
「よし、マジか!」
なんでもしますという言葉の魔力にジェイクは即行で屈した。
女のなんでもします、という言葉ほど男を安く動かす言葉はない。
「…………」
ケインのじとりとした軽蔑したような視線を感じるが無視だ。
「ありがとうございます!」
リシアは安堵したように言った。
おそらく、どこの探偵にでも話を持っていき、断られ続けたのだろう。
探偵という生き物は、大抵の場合、死体を探すのではなく出くわす存在であるし、生者を探すことが仕事だ。
死体を探すなどという仕事に彼らが関わることはない。死体を探すのは、警察か、あるいは別のだれかの仕事だ。
この場合は、ジェイクら
「聞いたな? ケイン」
「はぁ、聞きましたよ。不本意ながら。契約はしませんが、もしこの約束が果たされない場合、あなたの身の安全は保証しません」
「はい」
怪盗仕事に契約書を交わすことは出来ない。
パンチカードによる契約を交わせば、それは地下に広がる機関情報網に記録されてしまう。
そうなれば最後、
彼のディオゲネスクラブを率いているのは、シャーロック・ホームズの兄だ。
弟以上に優秀な彼から逃れられた犯罪組織はない。
「さて、それじゃあ、話は終わりだ。そういうわけで、リネア、俺とこれからお茶にでも――」
「――ケイン、郵便がたまってます。行きますよ」
「あ、すみません。では、あたしは帰りますね」
「良い報告を期待しておいてください」
リネアは、礼をしてから帰っていった。ふわりと、香水の香が、しみ込むように事務所に溶けていく。
「チッ、邪魔しやがって」
「本当のことを言ったまでです」
閉まる扉を見て、ジェイクは舌打ちするも確かに壁の郵便棚には確かに郵便物がたまっている。
それも、ケインが仕分けした最優先の棚にである。
一応は郵便社を名乗っているため、この棚のものは今日中にすべて配達しなければならない。
「卑怯者め」
「事実を言うことは卑怯ではないと私の騎士道が言っています」
「ハッ、そーかよ!」
この事務所の家賃に加え税金もある。
アンテルシアの税金は安いが、払わなければおっかないヤードに追われることになる。
お仕事は大事である。
最近、死体探しで死体を見つけられずにいるのだから、表の仕事でも稼ぐ必要がある。
そうでなければ蒸気機関も動かせず、水もない生活をしなければならなくなってしまう。
飯はどうにでもなるが、煙草も吸えない生活などジェイクには耐えられない。
「行くぞ」
「はい、行きましょう」
ジェイクは郵便物を鞄に放り込み、ケインと共に郵便社を出た。
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