第25話

 暗い赤に茶色が混じった。

 岡部さんは、「きゃ〜」と悲鳴を上げて、手をワナワナと震わせる。

 私は、立ち上がると肘に出来たすり傷をさすりながら、彼女を見た。そして、続けてすっ飛ばしたカップを探す。一つは机の上に、もう一つは床に破片となって散らばっている。角度を変えて見ると、机上のカップも飲み口が一部欠けていた。

 彼女に近寄って、「ごめん、大丈夫?」と声を掛けた。服に付いたコーヒーの染みが目立っている。

 私に釣られて、彼女も自身の服に目をやった。今度は、体全体を震わせる。

 顔が凄い事になっていた。とても女の子とは思えない。怒り沸騰間近のその形相に、私は一歩後退りした。

 動きに反応し、彼女が目を合わせてくる。

 「もぉぉぉぉぉぉぉーーー!!!」

 甲高い声が店内に響き渡る。

 店員も他の客達も皆こちらを見ている。彼女は、これまたコーヒーの染みが付いた鞄を手に取ると、私に向かってそれを振り回した。こめかみに装飾の突起物が当たる。

 血が出る位の痛みが走った。しかし、こめかみを触れても、血の一滴も流れていなかった。

 彼女は、私を椅子に押し倒す様に蹴りを腹部に決める。そのまま、スタスタと出口に向かって歩いて行った。

 私は、椅子に倒れ掛かりながら、彼女の後ろ姿を追う。出て行ってしまうと、店内が静かになっている事が分かった。

 店員がタオルを持って、こちらにやって来た。

 「大丈夫ですか?」彼は、そう言い、私を立たせようとする。

 私は、「あ、はい。すみません」と彼の腕にしがみついて立ち上がった。

 彼から、タオルを受け取ると2人で机や椅子を拭く。もう1人の女店員がモップを持って来て、床を拭いてくれた。

 ひと通り拭き終わると、私は2人の店員にお礼を言ってそそくさと店外に出た。スマホを取り出して、ショッピングモールの出口に向かう。

 海の音が聞こえる人気の無いところまで行くと、岡部さんに電話を掛けた。

 プルプルプル…プルプルプル

 5コールで相手が出る。

 「はい?何〜?」とぶっきらぼうな声が聞こえた。

 「あ、岡部さん?さっきはごめんな。今何処におるん?」

 「今?知らなー、駅に向かってるよー。で、用件は?」 今度は語尾が怒り口調だ。

 「え、いや…なんか、大丈夫かなって」

 「はぁ、お前のせいでこうなったんやろ?家着くまで、どうすりゃええの?ほんと最悪」

 ブツッ! 電話は勢い良く、終了した。

 彼女は、今きっとコーヒーの染みまみれで街の中を歩いているに違いない。彼女に何かしてあげたいが、完全に嫌われてしまった。

 そうだ、と思ってLINEを開く。彼女にメッセージを送る事にした。

 (ごめんね。手伝う事があったら、何でも言ってね)

 既読はものの数分で付いた。しかし、返信は無い。

 30分位、その場で海を眺めながら返信を待った。しかし、一向に返ってくる気配が無かった。

 私は、諦めて一人で帰路に着いた。

 夕食を済ませて自室に戻ると、やっと彼女からメッセージが届いていた。しかし、それは私を落胆させるものだった。

 (もういいよ。一人で帰ったし。貴方と付き合うとかないなってなった)

 吉田さんに裏切られた気分をもう一度味わった。頭がすーっと真っ白になり、意識が朦朧とする。しかし、今度は前回よりもショックが大きかった。涙を流して泣いていたと思う。誰とも顔を合わせたくない。

 これは単なる一つの失恋によるダメージではない。大園さん、山崎さん、吉田、岡部さん、全員との失恋が同時に心を切り裂いた訳だ。

 自分は恋愛が上手くいかない。中井や渡邊、森田君にまで彼女が出来た。しかし、私は失敗してばっかりで、全く上手くいかない。

 お風呂を沸かして、さっさと入ってしまうと、布団に籠った。そして、再び泣いた。

 きっと、大園さんを裏切ったのが全ての始まりなのだろう。彼女と大人しく恋愛を成就させておけば、今、こんな辛い思いをしなかっただろうに。山崎さんに話し掛けるべきでは無かった。

 私の女性に対するオドオドっぷりは、より一層高まった。更には、女性に対して偏見を持つ様になった、と思う。

 私の様に真面目で浮気をしない良い男に、彼女が出来ないのはおかしい。吉田も岡部も見る目が無いのだ。ああいう奴らは、悪い男に捕まって、さんざん弄ばれて捨てられるに決まっている。

 吉田の隣に居た男は、雰囲気は真っ当そうだったが、服装にチャラチャラしたものを感じた。多分、彼も悪い男だ。実際は知らんが、きっとそうだ。

 森田君に愚痴を訊いてもらっていると、危うく自分が女性差別主義者になりかけていることに気が付いた。もうちょっとで、余計モテない男になるところだった。

 森田君からは、彼女との痴話喧嘩を聴かされた。なんと森田君の彼女、他の男と街の中を歩いていたらしい。私は、憤って再び女性差別主義者に片足を付けてしまった。それを静止させられると、その男が彼女の兄弟である事を聴かされた。

 森田君のは、単なる勘違いの微笑ましいエピソードだったみたいだ。私は、通話を切ると、その日は早目の睡眠に浸った。

 9月の半ば、大学から履修登録を済ませる様にと連絡が入って来た。

 私は、申請書を提出しに行く為だけに、ワザワザ京都まで赴く。帰り道、折角だからと京都駅にも向かった。

 到着してみたは良いものの、特にこれといって予定は無い。

 私は、ふと森田君と2人で京都駅まで来た事を思い出した。

 そういえば、駅内に人気の無い本屋さんがあったはずだ。確か名前は、「仲良し本堂」。久し振りに行ってみようかな。

 私は、そう思い、記憶を頼りに目的地に向かった。

 

 

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