第22話

 着替えを済まして、作業に取り掛かる。今日は、トイレ掃除をする事になっている。

 私は、佐藤さんに連れられると一階から作業に取り掛かった。3階まで済ませると、佐藤さんが「仕事覚えた?一人で出来る?」と訊いてくる。私が「出来ます」と応えると、4、6、8階と一つ階置きずつを1人で回る事になった。

 14階まで辿り着いた。

 便器をかしゃかしゃと磨く。すると、佐藤さんがやってきて、「畑山君、ここ終わったら、昼休憩ね」と耳打ちした。私は「分かりました」と返事して、緩めていた手を速めた。

 昼ごはんは、吉田さん達と取りたい。彼女達がもう食事を始めていたらどうしよう。

 私は、手早くその化粧室を終わらせて、外へ出た。早足で手に持ったバケツが大きく揺れる。

 廊下に出た瞬間、あっ、と心の中で叫んだ。丁度、トイレに入ろうとしていた男社員にバケツがぶつかって傾き、中に入っていた水が彼のスーツに飛び散ったのだ。

 「ひやっ」と彼はびっくりする。

 私は「すみません」と咄嗟に謝った。そして、逃げる様にはその場から立ち去ろうとした。

 すると、彼は、声を上げて怒りを露わにした。

 「おい、コラ!お前、俺のスーツ汚しといて、逃げるつもりなんか?全く、どーすんねん、これ。洗濯せなあかんくなったやん、おい」

 見ると確かに、彼の内側に着ているYシャツにクッキリと水模様ができている。

 私は、オドオドしながらも、謝らねばと思って、反省の顔を見せながら「すみません、すみません」と連呼した。

 しかし、彼の怒りは収まらない。遂には、「上の者を呼べ」と言われて、私は休憩室まで彼を案内する事にした。

 予想通り佐藤さんがそこに居た。しかも、佐藤だけでなく、吉田さんや岡部さん、その他数人の同業者が居た。そして、皆が昼ご飯を口にしている。

 佐藤さんは、男の怒声を耳にすると、直ぐにここまで歩いて来た。

 彼は私の隣に立って、男の話を聞く。そして、丁寧な言葉遣いで何度も謝罪した。

 数分間それが続くと、男は、怒りが収まったのか「もう良いよ」と捨て台詞を吐いて、帰って行った。

 男の後ろ姿が見えなくなると、私は佐藤さんにお礼の言葉を述べた。彼は、「うん、次からは気を付けてね」と言って私の肩に手を掛けて、部屋の中に戻って行った。

 休憩室の扉が全開に開かれていたので、中に居た人達、全員に私のヤラカシを聞かれていたと思う。私は、手に持ったバケツを倉庫にしまい込み、昼食を取る事にした。

 私のヤラカシはこの事件だけでは済まなかった。この事件がキッカケなのか、鳴り止まぬミスのオンパレードを披露する事となる。

 次の週に小さなミスを数回繰り返していると、私はバイト内で世話の掛かる学生というレッテルを貼られた。

 しかも、それだけじゃ無くて、その怒られている様子を吉田さんに見られるといった赤っ恥までかく羽目になった。彼女の視線を感じると、恥ずかしくなって頷きが雑になる。こんなみっともない格好を見られたら、もう好いてくれないだろう、と思った。

 そして、ちょっとでも見られない様に、覗きに来る彼女を逆にチラリと見つめ返してやった。すると、彼女はぎくっとなって何処かへ消えていく。これを利用して、何度も撃退した。

 私にとって2週間目は、悪いレッテルを貼られて、交際チャンスを喪失した最悪の週となった。

 その週も相変わらず、途中まで彼女等とは一緒に帰っていた。しかし、レッテルの主張が激しくなるのを感じると、引け目を感じて、彼女等とは次第に距離を置くようになっていった。

 そして、吉田さんとは、何の進展も無いまま、3週間目を迎えた。

 いつものツインタワーに向かう。しかし、休憩室に着いてみると、私物を全て待たされて、佐藤さんと他男性2人とで車に乗せられた。

 車が動き出すと、私は隣の佐藤さんにどこに向かうのか尋ねる。

 「出張だよ。今日からは他のビルもやるんだ」

 車はツインタワーからそこまで離れていない建物に入った。

 清掃員の服を着込むと、前と同様にモップ掛けをやらされた。ここはツインタワー程、大きなビルでは無い。しかし、汚れが凄まじく多くて、擦っても擦っても、取れないものが至る所にあった。

 それで、私達は床掃除で1日を潰す事となった。

 帰り際に、佐藤さんが「暫くこの建物を掃除するので、次からはここに来て下さい」と言った。

 私は、もう吉田さんには会えないのだ、と沈んだ気持ちになる。とはいえ、どうせ進展も無かった訳だし、とアッサリと諦める事も出来た。

 こうして、私の夏の恋は終わりを迎える、そう思っていた。

 8月の終わりに、吉田さんからLINEが入った。

 (今から、来れる?)

 私は、唐突な通知にベッドを飛び上がり、落ち着いて返信し、服を着替えた。

 (いいよ。何処に行けばいい?)

 窓を開けて、ぐうたらにも今日初の外の空気を吸う。キュンキュンと鳴く雀の声に耳を傾けながら、返信を待った。

 通知が直ぐに鳴って、それは彼女からだった。

 (○○○○店に6時、来れる?)

 (行けるよ) 即座に返信する。

 今の時刻は4時35分、不味い間に合いそうにない。

 私は、鞄に必需品を放り込むと、それを背負って、靴に足を突っ込み、勢い良くドアをこじ開けた。

 

 

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