第3話
女の子達が去っていくと、私は彼女達のLINEネイムを確認した。1人目の目があった女の子は、[さや]という名前だった。2人目は、[佐藤 綾香]と表示されている。
日差しが強くなり、私は顔をしかめる格好になってきたので、校舎の中に入ることにした。時間を確認しようと、スマホを起動すると、1時35分と表示されている。次の授業まで1時間、余裕がある。大学というものは、とてもとても時間が有り余ってしまうものだと思った。
私は、勉強することにした。行くところが無かったので、早めに線形代数の授業がある教室に入ることにした。さっきの大教室とは違って、高校の教室のようなところだった。室内には、2人の男子生徒が既に、中央の席に座り、コソコソと何かを話している。私は、彼等の邪魔をしないように左端の窓辺の席に静かに座った。鞄から、2限目にあった無機化学の教科書を取り出し、表紙裏の周期表を開いた。原子記号を指でなぞりながら、無意識に男子生徒達の小言に耳を傾けた。
「あいつ、、、だってさ。クスクスクス」
ハッキリとは聞こえないが、彼等は私とは無縁の人種だ、と感じた。彼等には、友達が沢山いて、当たり前のように彼女がいる、もしくはいただろう。小言は無視することにた。そして、無機化学のノートを取り出し、今日やったとこの復習を始めた。
ひと通りやり終えると、授業の開始15分前になっていた。気がつくと、教室には複数の生徒達が入ってきていて、チラホラと席を埋めていた。私は、緑茶を飲み、トイレを済ませた。席に戻ると、隣の席に、さやが、座っていた。彼女は、椅子に座ろうとしている私と目が合うと、口角を上げて会釈した。私も失礼だと思い、会釈を返した。
彼女は、暫くスマホを覗いていたが、暇になったのか私に話しかけてきた。
「畑山君だよね?出身は大阪?」
「あ、いや、僕は兵庫です」
「そうなんだ〜、私は大阪だよ〜」
彼女は、ニコニコしながら、私を見つめている。彼女は、運命の人かもしれない。
過去4年間、ぼっちを極めていた私は、正直いって女性に免疫がない。高校の頃は、時折彼女達を無視して生きていた。中学までは、恋愛なんてまだまだ先の話だと思っていた。なので、ここまで私の懐を掴みそうな女の子は彼女が初めてだ。期待と性欲を膨らませながら、私は彼女の横顔を眺めた。
綺麗なEラインに、長髪が耳を隠している。大きなお目々から、上にカーブのかかった長いまつ毛が大人の魅力を放っている。よくよく見ると綺麗な顔立ちをしている、と思った。まるで、私に横顔をワザと見せているように、ひたすら黒板を身動きせず見つめている。
私はもう既に彼女の事が少し好きだ、多分。彼女はどう思っているのだろうか。授業が終わると声を掛けてみようか。夜ご飯に誘ったら、ついてきてくれるだろうか。告白は、いつ頃が良いのだろうか。私がそんな事を考えていると、教室に教授が入ってきて、「はい、皆さん講義を始めまーす」と声を上げた。
キーンコーンカーンコーン
授業が終わり、生徒達が静かに筆記用具を鞄にしまい始めた。私も、ノートに書いたところを一通り眺め、鞄を机の上に置き、身支度し始めた。
右を見ると、さやさんが、犬の絵が描かれている手提げを肩に掛け、席を立っていた。
「あ、あの。さ、さやさん。駅どこですか?」
私は、脚を震わせて、彼女を呼び止めた。
「えっと、基本は鳴滝駅を使ってるんですけど、今日は常磐駅で乗ろうかなーって思ってます」
今、私達のいる10号館からは、常磐駅の方が確かに近い。
「あ、そうなんですね。僕もその駅、使おっかなって思ってるんで、一緒にどうですか?」
「どうって、一緒に帰るってこと?」
「うん」
多分、緊張で声が震えていたと思う。彼女は少しニコニコした表情で、私に向かって無言で頷いた。
私が鞄のチャックを閉じるのを見ていた、さやさんは、私が立ち上がる前に教室の外へ歩き出した。私が彼女の後を追うと、チラチラと私の方を見ながら、ゆっくり門へ歩いているのが見えた。
「おまたせ!」
私が彼女の側に立つと、彼女は「今日、実はバイトがあるから、急ぐけどいい?」と言ってきた。
私達は、少し急ぎ足で常磐駅へ向かった。正門を出て、数百メートルの長い坂を降りると、そこに駅がある。私達は、その間に他愛の無い会話をした。
「さやさんは、本名何て言うんですか?あの、LINEだと、さやだけだったんで」
「私の名前は、大園さやです」
彼女は、そう言うと、手提げのキーホルダーを裏返して、そこに書かれてある名前を見せた。私は、会釈するようにそれを見た。
「あの、僕の名前は分かりますよね?LINEの名前にしているんで」
「畑山孝介ですよね?知ってますよー」
「そうですそうです」
「畑山君は、兵庫って言ってたけど、神戸?」
「いや、姫路市です。姫路城の姫路…」
私はなんとなく頭上で三角形を作った。ふざけたつもりだったが、大園さんは苦笑いするだけだった。少し沈黙が流れたので、私は彼女に訊き返してみた。
「大園さんは、大阪のどちらにお住まいですか?」
「私はね、吹田市ってところ。知ってる?」
「知ってる知ってる」
中学生の頃に、部活の大会で行ったことがある。
「ほんまに?」
彼女は、笑いながらそう言い、私の顔を覗きこんだ。間近に迫った彼女の顔をマジマジと見つめていたら、駅のアナウンスが聞こえてきた。どうやら、いつの間にか駅のすぐそばまで来ていたようだ。
私達は、無言のまま改札に入ると、「私こっちだから」と彼女が階段を降りていった。
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