deux -ドゥ-

「今までお世話になりました」

 幼少期、暇な時に遊び相手になってくれた娼婦達へ礼を言った。まるでリオートを弟のように可愛がってくれた人たちと今後は滅多に会えなくなってしまう事に少し悲しみを覚えた。

 母がリオートを連れて働いていた場所は国随一の高級娼婦と名高く、客以外は簡単に出入りできない。それも、客は国の上層部やその道トップの有名人。つまり、家庭を持っている場合もありスキャンダルになってはいけないからと誰が誰と体を重ねただのという噂が立っては困るのだ。今までリオートは子供だからと許されていたが、親元を離れて一人で暮らすようになってからはきっと母の住む地域、夜蝶街やちょうがいに気安く行けなくなる。

「年に一回くらいは帰っておいで。話は通しておくから」

 リオートの母がちょっと悲しそうにそう言って彼を優しく抱き締めた。歳を重ねても全くそれを感じさせない母の香りと若々しさにリオートは苦笑いを浮かべてしまう。

 自分はこれだけ背も伸びて声も低くなったというのに、母は記憶にある姿と変わらないなんて。

「はい」

 手に持った革製のトランクケースの重みに、笑顔で手を振って見送ってくれる人達の多さにどれだけ自分は幸福だったのかを感じ,思わず涙が溢れた。きっと、このままではここから離れたくなくなる。

 幼少期を過ごした建物に背中を向けて、リオートは夜蝶街から離れた。

 歩いて十分ほどのところで待っていた二輪馬車ハンサムに乗り込んでここから馬車で三十分の場所にある王都中心部へと向かった。

あんちゃん、新人剣士団の方で?」

 二輪馬車ハンサムの御者がちらちらとリオートを振り返りながら話を振ってきた。

「ええ、そうです。幸運な事に剣士団の方と幼い頃に出会いまして」

 凸凹の道をかなりのスピードを出して進む所為で横に置いていたトランクケースが大きく跳ねる。慌ててリオートは手で押さえつけた。

「いやあ、凄いなあ。剣士団ったら凄い強い人達の集まりだろ。あんちゃん、言っちゃわりいが軟弱そうな見た目してんのになあ。屈強な奴等に勝ったんだろ。いやあ、すんげえなあ」

 ガッコン、ガッコン。

 そんな音を出して二輪馬車は道を駆ける。リオートは振り落とされないように必死で返事を碌に出来なかったが御者は一人で楽しそうに始終話していた。

「もうそろそろで着くから、減速するぞ」

 その言葉にほっと息を吐く。

「ああ、そう言えば最近職人街で結構な頻度で事件が起きているみてえだから気を付けろよ。って剣士さんに言ってもあれだな」

 快活に笑いながらそう注意してくれた。

「いえ、ありがとうございます」

 リオートを心配してくれているのが伝わり、御者の優しさが心に沁みた。

 二輪馬車はゆっくりと剣士団本部の門の前に止まり、リオートは少し大目に馬車代を支払った。

「兄ちゃん、多いぜ」

 律儀に差額を返そうとしてくる御者にリオートは笑った。

「車輪部分にさす油代に使ってください。きっと、乗り心地が良くなりますので」

 揺れるのは道が舗装されていなかっただけが理由ではないだろう。

「そうかい、なら、有り難く貰っておく。じゃあ、良い王都生活を」

 二輪馬車が走り去るのを手を振って見送り、見えなくなるとリオートはトランクケースを持って門番へ声を掛けた。

「こんにちは、今日からここで働く者ですが」

「こんにちは。現在、警備を強化していますので許可証の提示をよろしくお願いします」

「分かりました」

 リオートは懐から紙を取り出して門番に見せる。門番は受け取ってじっくりと確認して本物だと認めたのか、今までの堅い表情から一転、柔らかい笑顔でリオートを中に入れてくれた。

「剣士団へようこそ」

 許可証を返しながらそう言われて、リオートは小さくお辞儀をして中に入った。


 剣士団本部は王宮の側に建てられている。緻密な装飾が施された白亜の宮殿とは対照的な、武骨な見た目から漆黒の城砦と言われている。しかし、内装は思いの外凝っており、神話をモチーフにしたレリーフが壁に彫られていた。ただ、とてつもなく暗かった。リオートは絵本のような、物語性のあるレリーフをじっくり見ながら足を進めていく。等間隔に置かれた蝋燭が時折通り抜ける風に揺れてレリーフの溝を神秘的に揺らすせいで不思議な感覚に陥った。

 レリーフから目を離さず歩いていたリオートは前から人が来ている事に気付かなかった。

「君がリオートかい」

 声を掛けられたリオートははっと顔をそちらに向ける。

「はい、そうです」

「良かった。他の剣士達が集合場所に集まっている中,君だけなかなか来ないから心配していたんだ」

 三十代くらいの金髪の男性の言葉に、怪訝そうに眉を顰めた。

「集合場所,とはどう言う事でしょうか」

 リオートが事前に貰った紙には、直接寄宿舎に行ってそこで待っている人にこれからの事を聞けと書かれていたのだが。そう思いながらその紙を男性に渡す。

「成る程、あんの馬鹿が勝手にしやがったんですね。すみません、此方の確認不足です」

 男性はグシャリとその紙を握り潰してポケットに突っ込んだ。

「すみません、まだ名乗っていませんでした。私はシュティレ・ラノと言います。階級は大佐です。何か困ったことがあれば言ってくださいね。よろしくお願いします」

「シュティレ大佐、ですか。こちらこそよろしくお願いします」

 大佐と言えば元帥、大将、中将、少将に次いで偉い地位にいる人ではないか。畏まっているとシュティレ大佐は笑って肩を叩いた。

「私の肩書きが凄すぎて驚いているのかい。でも、私自身そんな堅いのは好きじゃないから普通に接してくれれば良いから」

「しかし、ラノ家と言えば……」

「うーん、そうだよねえ。まあ、追々仲良くなってくれれば嬉しいかなと」

 貴族の中の貴族、この国の始皇帝の血を濃く引き継いでいる四つの分家の一つであるラノ家の人間である。

 堅苦しくするなと言う方が無理な話だ。

「これから集合場所に行っても、あいつのくだらない話を聞かされるだけだから案内しがてら寄宿舎に向かってしまおうか」

「それって良いんですか」

「あいつ自身そうしたがっていたから大丈夫じゃないかな。何か問題があっても私がなんとかするから」

 リオートが持っていたトランクケースをシュティレ大佐が持って「じゃあ、行こうか」と言って歩き出してしまったのでリオートはついていくしかなかった。

 入り口から続いていた細い道を抜けると、開放感のある開けた場所に出た。上を見上げれば遥か彼方に硝子の天井があり、キラキラと太陽の光が優しく降り注いでいる。

「ここは夜にも不思議と明るい場所で、憩いの場所として使われている。寝っ転がってもよし、仲間達と馬鹿騒ぎしてもよしの場所だ。私は誰もいない時に趣味の読書をしている」

 床に嵌められたベージュ色の石は綺麗に研磨され、ツルツルとしている。よく見れば、リオートの姿が石に写っていた。

「綺麗な場所ですね。気に入りました」

「気に入ってもらえて嬉しい。何時までに就寝,とかいう堅苦しい規則はないから寝れない時とか来てみると良いよ」

 それから訓練場、食堂、公衆浴場などの場所を案内され、最後に入り口から一番遠くにある寄宿舎へ向かった。

「寄宿舎が門から一番遠いのは、一番最初に建てられたからだ。外側に増築を重ねていったせいで非常時に現場に駆けつけにくい構造になってしまったが逆に攻め入られた時には対抗しやすくなった」

 寄宿舎には三棟あるらしく、二等兵、一等兵、上等兵、兵長の兵クラスが使うのはウェントゥス《風》と呼ばれる建物だそうだ。

 一等兵までは二人で一部屋を使い,一人部屋になるのは上等兵からなのだとか。

「リオートと相部屋なのは……カリマか。悪いやつじゃないけれど、もしかしたらうるさく感じるかも知れない。その時は遠慮せずに言って良いから」


 ウェントゥス棟の入り口でシュティレ大佐とは別れた。

「すみません、これからここに住みますリオートですが、部屋は何処でしょうか」

 棟に入り、この棟の管理人のような人に部屋を聞けば「ちょっと待っていな」と言われる。

「はい」

 確かに,年季を感じさせる建物だが崩壊しそうな気配はなく中も居心地が良い。

 観察をしていれば、確認が済んだようで「307号室だよ。ほれ、これが鍵だ。なくしたら弁償しなきゃいけないから大切に扱えよ」と鍵を渡された。

 階段を登り、三階についた時にはトランクケースのせいでへとへとになっていた。

「ええと、307,307……」

 ドアプレートを確認しながら進んでいき,ようやく307号室を見つけたリオートは鍵穴に鍵をさして回し,ドアを開けた。

「失礼します……」

 もしかしたらルームメイトのカリマ、という人がいるかも知れない。そう思いながら声を掛けたが中は無人だった。

「いないか」

「んー、だーれがいないかだって?」

 突如,背後から声を掛けられてリオートは肩をビクリと震わせた。ゆっくりと後ろを振り返れば、燻んだ赤毛の青年が首にタオルを巻きつけた状態で仁王立ちしていた。

「これからルームメイトになるカリマさんがいないかと思いまして」

「ルームメイトねえ……」

 赤毛の青年は首を傾げた後,かっと目を見開いて口を開いた。

「おお、そうか。君がリオートか。成る程。そういえば今日は新人剣士の入団の日だったなあ」

「それで、貴方は……」

「俺がそのカリマだ。よろしくな」

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