un -アン-

「まだ受付はしていますか……!」

 重厚な扉を力の限りこじ開けた白髪の青年は、椅子に座って煙を燻らせる老人に問いかける。

 青年の綺麗な髪は額に張り付き、全力で走ってきたのだろうか、息も荒い。

 老人は腕時計をチラリと見て、無惨に青年に言い放った。

「残念だが、受付は一分前に終了している」

「そんなあ」

 青年はその場にへたり込み、老人はやれやれと言った感じで息を大きく吐いた。

「これで十回目だ。もう縁がないと思って諦めてみてはどうかね」

「いいえ、僕の情熱が他に向くことなんてあり得ませんよ、浮気はダメ絶対ですからね」

「なら、ちゃんと早よ来んかい」

 この青年が何を目指し、何の受付に十回も間に合わなかったのか。それを語るとなると少し時間を遡らねばならない。


 この青年、名をリオートというのだが、娼婦である母と二人で暮らしていた。

 リオートの母は娼婦というものにはなりたくなかったのだが他につける仕事もなく仕方なく、自身の美貌をうまく活かしてこの仕事についた。

 きっと、皆は娼婦と言われれば誰にでもその体を売り、淫らなことをしているのだろうと考えるだろうが、そう言ったことをひどく嫌っていた彼女は遊戯のみを客に売っていた。ボードゲーム、例えばチェスなどで客を楽しませていた。幸いな事に彼女は地頭が良く一度チェスのルールを学んだ後はめきめきとその腕を上げていった。チェスの名人が彼女と対戦をしたいがために娼婦との時間を売る店に初めて足を運んだ、なんて逸話があるほどだ。

 さて、そんな彼女ではあったが、一度だけ体を許したことがあった。それが誰なのかは彼女のみしか知らないが、その一度で彼女は身籠った。そして、その子供がリオートというわけだ。彼女曰く、リオートの見目は許した人物にそっくりなのだという。きっと、分かる人には分かるのだろうが彼女の周りにリオート似の人物を知る人はいなかった。

 幼い頃、リオートは女と見間違えられるほどに線が細く、また白髪と相まってたおやかな雰囲気を醸し出していた。リオートの母が働く店で将来女装をして働かないかと言われたほどだった。しかし、リオート自身は女のような見目を気にしており、早く男らしくなりたかった。幼いリオートは立派な男の子だね、と言われたかったので身近で一番物知りな母に尋ねた。

「男らしくなるにはどうすれば良い?」

 リオートの母は考え込んだ。この国では治安を守るための剣士が多くいる。剣士といえば、とても名誉のある職として人気だ。そして、何より給金が良い。リオートの男らしくなりたいという願いも叶う。少数女性剣士はいるのだが、剣士といえば男性の花形職業という意識がまだ根強く残っていたのだ。

「剣士はどうかしら」

 そうか、剣士か。

 幼く愚直だったリオートはその言葉を信じて次の日から道端に落ちていた太い枝で訓練を始めた。訓練といってもリオートは剣士の何たるかを知らないのでただ振り回していただけだったが、その姿は可愛らしくそれを見た娼婦がほのぼのとした表情でつい見守ってしまうくらいだった。そして、たまたま娼婦の店を訪れていた剣士団団長がリオートの頑張りを見て気まぐれに剣士養成所に見学に来ないかと誘った。

 その所為で剣士団団長は娼婦の元へ通っていた事が妻にバレてしまったが、筋の良さそうな者を拾えたと剣士団団長は喜んだ。

 何度も見学に行くうちにリオートに何か感じるものがあったのだろうか、剣士団団長は正式に生徒として通わないか、とリオートに言った。リオートは行けるのならばと深く考えずに頷き、剣士への道を一歩進む事になった。

 受講料は要らないという養成所に通い始めたリオートはまず初めに自分の手に合う武器を選ぶ事となった。

「良いか、武器選びというのは慎重に行わなくてはいけない」

 剣士団団長の弟であるというがっちりとした体付きの男性が一人しかいない生徒に向かってレクチャーする。

 リオートはその言葉をこぼさないようにと目を見開いて聞いていた。

 講師はまず剣と弓と槍を持ってきてリオートに見せた。

「剣士団、と名乗ってはいるが実は剣を扱う者以外にも弓、槍を使う者もいる。剣も、大振りなものと小振りなもの、その人にあったサイズを扱っている」

「先生はどの武器が得意ですか」

 リオートはふと興味に駆られて問うた。講師はニヤリと笑って「何に見える」と質問で返す。

「大振りの剣ですか」

 熊のような姿だ、重たいものを担いでぶん回しているのだろうと勝手に想像していたが、彼はそれが違うんだなというかのように首を横に振った。

「これだ」

 そう言って、床に置いていた武器から一つ手に取った

「弓ですか」

 リオートは驚き、弓と彼とを交互に見てしまった。一番あり得ないと思っていた武器が彼の得意とするものだった為だ。

「実は、俺は腕力はあるんだが全くと言って良いほど持久力がない。だから、走り回って敵を打つ必要のある剣や槍ではなく弓と相性が良いんだ」

 おもむろに弓に矢を番えて引き絞り、養成所の壁に止められていた的へ放った。

 見事な放物線を描いて矢は的の中央部、赤い円に突き刺さる。

 リオートは思わず拍手をしてしまった。

「んとまあ、こんな感じだ。じゃあ、まずは槍からやってみようか」

 リオートは刃先がボロボロになった槍を渡されてまずどこを持てば良いのか悩んだ。

 八歳であったリオートに渡された槍は大人も使う長い物。使いこなすには重心を探り、力を最大限乗せられるところを握らなければならない。色々な場所を持っているうちに、握るべき場所を見つけたリオートの様子に満足そうに頷いた講師は続いて奥から積み藁を持ってきてこれに何度も槍先を突き刺せと言った。

 リオートは体の奥から力を振り絞って持ち上げたが、それを突き刺すほどの力は残っておらず足を震わせてその場に棒立ちすることしかできなかった。

「槍は難しそうだな。いずれ使いこなせるようになるかもしれないが、今はやめておこう」

 そう言ってリオートから槍を取り上げた。リオートは名残惜しそうな表情で手元から去っていく槍を見つめた。

「身長が伸びたらまた挑戦すれば良いさ」

 そう励まされてリオートは頷いた。そうだ、出来なかったのはまだ成長途中だから。身長が伸びたらきっとできるようになる。

「次は何にしますか」

 ワクワクしながら次の武器をねだるリオートに、大剣、弓という順番に渡したがどちらも力不足でうまく扱えていなかった。

 残すは小ぶりの剣のみ。ここまで全敗のリオートは自信をなくしており不安そうに瞳を揺らしていた。

「もしかしたら、僕にこういうものの才能がないのかもしれません。身長が伸びても武器を上手く扱えないかもしれません」

 俯いてボソボソと言うリオートに、講師は何とか元気付けようと小ぶりの剣を押し付けた。

「俺だって、そんくらいの年齢の時は何にも扱えなかったさ。弓だって出来るようになったのは十歳くらいだ。だからさ、そんな悲壮的になるな」

 リオートは剣を握った。今までで一番小さく軽い剣。敵の懐に一番潜り込まなくてはいけない武器故に一番選ぶ人の少ない武器だ。

「じゃあ、今度は人に見立てた的に走って剣先を突き刺してみろ。チャンスは一度だ。一度で刺せ」

「はい」

 リオートが今立っている場所から結構離れたところにある的。どう言う原理でかは分からないが左右に移動しているので走り出すタイミングを考えなければならない。

 的を目で追い、どのくらいの速度で移動しているかを確かめると、剣を握り締め、腰を落として走り出した。

 的が右に行き切って二秒後に走ったリオートは右から来る的を横目に捉えて剣を握り直した。刃が親指側に来るように持っていたのを反対にしたのだ。そしてそのまま失速することなく、いや逆に加速しながら的に抱きつくように突進し刃を突き立てた。

 ぐさりと小気味良い音を出して刃が刺さり、的は動きを止めた。

 リオートは膝から崩れ落ち小ぶりの剣から手を離して講師を見た。

「僕、やりました」

 そう言って、倒れ込んで嬉しそうにもう一度言った。

「やりましたよ」


 これでリオートが何を目指す事になったのか、大体の予想は付いただろうか。

 そう、彼が十回も遅刻した試験とは剣士団入団の試験だ……と言いたいところなのだが、それが違うのだ。

 リオートはその後、講師の言った通り身長が伸びて力が付いてきた頃に槍や弓、大剣に挑戦して見事全て使いこなせるようになった。

 そして十八歳になった時にリオートをスカウトした剣士団団長が直々にリオートを試験して合格、リオートは晴れて剣士団に入団した。

 では、何の試験だったのか。

 それは、リオートのその後を知ればきっと分かる。もう少しだけ過去の話にお付き合い頂こう。

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