第22話 広野星行

 どういう流れでそうなったのか分からないが、友が家に来ることになった。

 理由を聞いても、「久しぶりに顔を見たくなったから」とか当たり障りのないことを言ってはぐらかされる。

 これはやっぱり……百合香ちゃんのことで疑われてるのかな。

 昨日は渾身の説得で信用してくれたと思ったんだけどなあ。


 とは言え、久しぶりに友と会えるのは素直に嬉しい。

 大学を卒業してから地元には二、三回くらいしか帰ってないから、数年ぶりに顔を合わせることになる。

 この際だからしっかり今の状況を見てもらって、やましいことなどないということを理解してもらう方がいいだろう。


 そんなことを考えながら、駅の改札口の大きな柱に寄りかかって待っていると。


「おっ、ホッシー」

「おー」


 胸の前で小さく手を振りながら、友が改札を抜けて小走りで駆け寄ってきた。

 黒い薄手のワンピースの上に白いブルゾンを羽織っている。

 この時期にしては少し暑そうな格好に見えるけど、折りたたみの日傘を持っている所を見ると日焼け対策なのかもしれない。

 最後に見たときよりも髪が長く、黒い。どうやら茶髪はやめたらしい。


「思ってたより大きい駅だった」

「そう?」


 この獅江駅は横には広いけど駅ビルがあるわけじゃないし、駅前は狭くて雑然としている。

 良く言えばアットホームな感じで、僕は結構気に入っているけど。


 駅から離れるとすぐに住宅街に入る。

 平日の昼間だからか、とても静かだ。


 道すがら、友との会話は無難な内容ばかりだった。

 地元のあの店が潰れたとか、駅の見た目が新しくなったとか。

 あえて百合香ちゃんのことに触れてこないのは、嫌でもこの後分かるからだろう。


 しかし、友と話しているとしみじみ思うことがある。

 なんというか、気持ちが楽になるのだ。

 何も考えずに自然体の自分でいられるのは、昔から、友の前でだけだった。


 友とは小学校からの付き合いで、大学までずっと一緒だったのは奇跡的というべきか、腐れ縁というべきか。ともかく縁があったのだろう。

 友と始めて会話を交わした時から、他の女の子とは違うという気がしていた。

 自分でも理由は分からないけど、お互い遠慮する必要がなくて、思ったことをズバズバ言い合える。

 男女間の友情が成立するかどうかなんて話があるけど、僕は友との間に限っては、間違いなく成立するだろうと……ある時まではそう思っていた。

 それくらい、僕と友は仲が良かった。同性の友達よりもずっと。

 大学を卒業して、友が田舎に帰るまで、僕たちはいつも一緒だった。


「着いたよ」

「え、普通の家じゃん。一軒家借りてるの?」

「違う……けど、似たようなものかも」


 玄関を開けてただいまと声をかけると、百合香ちゃんがリビングの引き戸を控えめに開けながら顔を出した。


「こんにちはー。あなたが百合香ちゃん? 私、昨日話した……えっでっかい猫! めちゃくちゃでっかい猫いるんだけど!?」


 友は百合香ちゃんの横から出てきたトラを見て、自己紹介の途中なのにさっそくキャラ崩壊を起こしかけていた。


「トラ来てたんだ」

「うん、さっき」

「友、これが昨日言ってたトラ。でかいっしょ」

「いや大きいとは聞いてたけど……」

「ほらほら、いいから上がって上がって」


 台所で立ったまま話しているのも変なので、僕は友と百合香ちゃんとトラをリビングに押しやってから、人数分の麦茶を持っていくことにした。

 猫に麦茶を飲ませてもいいか分からないからトラの分はない……のも可愛そうなので、お椀に水を入れて持っていってやる。


「そうなんだ。百合香ちゃん、トラちゃんと仲いいんだねー」

「はい。いつも一緒に遊んでます」

「トラちゃんいい子だなあ。すっごく大人しいし」

「普通に私より頭いいですよ」

「ふふっ、それはすごいねえ」


 両手でお盆を持っているので行儀悪く足でリビングの引き戸を開けると、友と百合香ちゃんが和気あいあいとお喋りしていた。

 嘘だろ……麦茶を注いで来るまでの短時間でもう仲良くなってる。

 友のコミュニケーション能力が高いのか、百合香ちゃんの度胸がすごいのか。

 僕はそっとテーブルに麦茶を置いて、台所に戻ることにした。

 少し早いけど、昼食の準備をしてしまおう。

 女子同士の会話に割り込んでいけるほどのパワーは持ち合わせていないから……


 さて、昼食のメニューを何にするか。

 これは昨日の時点でかなり悩んだ。

 なにせ、「お昼ごはんはホッシーの家で食べたい」と、友から直々にリクエストを貰っていたのだから。


 つまり、言うなればこの昼食は、友による試験だ。

 僕がしっかり百合香ちゃんに食事を提供できているか、栄養バランスはいいか、そういう部分を審査されるようなものだろう。

 ここできっちりアピールして、友の信用を勝ち取りたい。

 とは言え、あまり張り切りすぎると、特別感が出てしまってよくない。

 今回は気合が入っているみたいだけど、普段はどうなの? ということになってしまう。

 あくまで無理のない日常的なレベルでありつつ、それでいてちょっと感心させるくらいの、ギリギリのラインを狙っていきたいと思う。


 という訳で、悩んだ結果パスタを作ることにした。

 男の一人暮らしと言えばパスタ。簡単で安くてうまい。定番だ。

 今回は明太子としらす、ネギと海苔で和風にしてみようと思う。

 これだけだとバランスが悪いのでサラダと、デザートに果物もつける。

 パスタの白と海苔の黒、レタスの緑とトマトの赤、パイナップルの黄で色のバランスもかなりいい感じに仕上がった。


「お昼ごはんですよー」

「おおー」


 出来上がったものをリビングのテーブルに並べていく。

 友の反応は悪くなさそうだ。

 トラには猫缶とカリカリを両方出してやって、ちょっと見栄を張った。


「えーこれ全部ホッシーが作ったの? すごくない?」

「いやまあ、普通だよ」

「百合香ちゃん、いつもこんなに豪華なの?」

「はい。ほしゆきさんのご飯はいつも美味しいです。この間も……」


 ナイスアシストだ、百合香ちゃん。

 別に事前に打ち合わせをしていた訳じゃないのに、まるで仕込んでいたかのような気の利いたセリフが次々と出てきて、逆に怪しまれそうでヒヤヒヤするけど。

 そんな僕の内心とは裏腹に、和やかに昼食は進んだ。

 友と百合香ちゃんはすっかり打ち解けているように見える。

 やっぱり同性の方が心を許しやすいのかなと、少しだけ羨ましくなった。


「ていうかホッシー、百合香ちゃんってアレルギーとか大丈夫なの?」

「アレルギー……?」


 不意に友から聞かれて、僕は首を傾げる。

 そのまま百合香ちゃんに「どうなの?」と視線を送ると、


「特にないと思う」


 との返事が返ってきた。


「だそうですが」

「いや……今まで確認してなかったの?」

「そういう発想がなかった」


 僕が言うと、友は呆れたような顔になった。


「百合香ちゃん、これまで何か食べた後に気持ち悪くなったりとか、じんましんが出たりとか、咳が止まらなくなったりとか……そういうのない?」

「ないですけど」

「それならいいんだけど……」


 ほっと安心した様子で、友は僕に向き直る。


「食べ物のアレルギーって結構怖いんだから、確認しないと危ないよ」

「あー……蕎麦とか?」

「そう。それに卵とか、小麦とか。広く使われてる食材が駄目っていう子、結構いるんだよ。場合によっては死んじゃうこともあるんだから」

「マジか……」


 そんなの、考えたこともなかった。

 自分としては百合香ちゃんにできる限りのことをしているつもりだったけど、それでも自分一人の視点でしか考えられていなかったということか。

 どんなに僕が精一杯やっていると思っていても、他人の、友の目から見たらそれは穴だらけだったりするのかもしれない。


 ともかく今は、百合香ちゃんに食べ物のアレルギーがなかったことに感謝する。

 運が良かっただけとも言うけど。

 また一つ、反省だ。


「あーでもおいしー。ホッシー、料理の才能あるんだね。知らなかったな」

「あっそれ、私も思います。なに作っても美味しいから」

「あ、ありがとう」


 僕としては反省モードに入っていたのに、友と百合香ちゃんの中ではその話題はもう終わったらしい。

 それはそれ、これはこれ、という感じで昼食は普通に進んでいく。

 女性陣は切り替えが早いなあ……

 それに、料理に対する反応が予想以上に良くて少しひるんでしまった。

 僕に対する友の評価は、大きめのミスを料理の味でどうにか打ち消して、プラスマイナスゼロといったところだろうか。いや、まだマイナスが多い気もするな。

 うーん、表情からは全く分からない。

 昔は顔を見るだけで、何を考えているか大体分かったんだけど。


 その後は、一緒にかるたなどをして遊んだ。

 結果は当然ながら、百合香ちゃんの圧勝だった。

 何度やっても最下位の友は悔しそうにしていたけど、練習しているかどうかで差がつくのは仕方がない。

 僕も一応、百合香ちゃんとの付き合いでちょっとは暗記できてるし。

 ……しかし、毎回上の句が読み上げられる瞬間に、トラが正解の札を見ていたような気がするんだけど……まあ、偶然かな。

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