第21話 岸辺百合香
「トラ、どうしたの?」
ほしゆきさんが出てきてから急に不機嫌になったトラに聞いてみると、珍しくトラの方から私にくっついてきた。
「あやつは女心というものを何だと思っとるのか」
「なにそれ」
「昔からヒロノは、同じ女とばかり遊んでおるんじゃ。恋仲でもないというのに」
「え、ほしゆきさんが一緒にゲームしてるお友達って、女の人なんだ」
てっきり男の人かと思ってた。かなり意外だ。
「でも別に、女の人がゲーム友達でもいいんじゃない?」
「相手は、ヒロノを慕っておる」
「好きってこと?」
「うむ。そしてヒロノもその気持ちに気づいておる。気づいていながら、知らないふりをして遊んどるんじゃ」
「えー……っていうか、なんでトラはそんなこと知ってるの?」
「この家で起きたことなら、わしはだいたい把握できる。どうしてと問われても、そういうものだからとしか言いようがないが」
おお……ちょっと妖怪っぽい設定だ。
最近は単なる猫耳と尻尾がついた妹みたいになっていたから、座敷わらし的な部分が出てくると新鮮な感じがする。
「でもそれでトラが怒る理由がよくわかんないんだけど」
「え? だってそりゃあ……なんちゅうか……不義理じゃろ」
「ふぎり」
「正しくないとか、誠実でないということじゃ」
「ふーん。でもなにか理由があるのかもしれないじゃん」
「どんな理由があろうとも、女心を弄ぶのは許せんのじゃ!」
シャーッとトラの口の端が上がって、猫耳がイカみたいにペタンとなっている。
猫が威嚇する時のやつだ。
人間にしか見えないトラがやると、笑ってるみたいに見えて可愛い。
それにしても、今のトラはいつもと違って冷静じゃない気がする。
珍しく感情に振り回されてる感じ。
「なんかさっきから変だよ、トラ」
私が背中を撫でながら指摘すると、意外なことにトラはすぐに落ち着いた。
「……確かに。我ながら考えが短絡的じゃったな」
よかった。
さっきまで興奮していたのに、すぐに自分を客観的に見ることができる辺り、やっぱり普通の子供じゃないんだよなあ。
「自分でもよくわからんが……胸がざわざわするんじゃ」
「昔なにかあったとか?」
「そうかもしれん」
「覚えてないの?」
「昔のことはあまりな……」
私はなんだか腕の中のトラが寂しそうに見えて、強めに抱きしめた。
トラの高い体温と、小さな心臓の鼓動が伝わってくる。
「よしよし……あれ?」
首のところを撫でてあげようと思ったら、ぬるんと脱出されてしまった。
「子供に慰められては世話ないわ。無様なところを見せたな」
「慰めさせてよー」
「やーじゃ。もうそういう気分ではない」
まったくトラは気まぐれだ。
くっついてきたり、離れたり、どう見ても座敷わらしより猫成分の方が強い。
そこがまた可愛いんだけど。
「百合香ちゃん、ちょっといい?」
ソファの上で丸くなっているトラと見つめ合って無言の戦いをしていると、急に
「なに?」
「友達が百合香ちゃんと話したいって言ってるんだけど……」
「私と?」
っていうことは、ほしゆきさん、お友達に私のことを話したんだ。
大丈夫……なんだよね。ほしゆきさんが大丈夫って判断したなら。
トラが言うには、相手はほしゆきさんのことが好きな女の人らしいけど……それが本当かどうか、ちょっと確かめてみたくなってきた。
「んー、いいよ」
「じゃあ、こっちに来て」
手招きされて、初めてほしゆきさんの部屋に入った。
ちゃっかりトラも一緒に入ってきている。
リビングと比べると圧倒的に物が多くてごちゃごちゃしているけど、床に服が落ちているとか、お菓子の食べかすが落ちてるとか、そういう汚い感じじゃない。
どちらかというと倉庫みたいなイメージだ。
中でも、壁に飾られた大きなポスターの絵がひときわ目を引いた。
くすんだような青い空に、白い雲。そこに飛ぶ、白いシルエットだけの鳥。
シンプルなのに、なんだか懐かしくなるような絵だった。
「これ、つけたらもう繋がってるから、話してみて」
ほしゆきさんからマイクがくっついたヘッドホンを渡されて、勧められるままに大きな椅子に座った。
眼の前には二つのモニターが並んでいて、正面のモニターには銃を持った人が立っている。たぶんこれはゲームの画面だ。
右側の画面は黒くて色々な文字が書いてある。こっちはなんだか分からない。
ヘッドホンをつけると、一瞬、相手の息遣いみたいなものが聞こえた。
「もしもし……」
「あっ、百合香ちゃん?」
「はい」
「えっと、はじめまして。私、ホッシー……星行の友達の、藤森
「どうも……はじめまして」
すごく可愛らしい感じの、女の人の声だった。
トラの言う通り、本当に女の人の友達がいたんだ。
「突然ごめんね。星行から話は聞いたけど、直接お話してみたくなって」
「いえ……いいですけど」
「それで……んんっ」
友花さんは軽く咳払いをして、息を吸い込んだ。
なんだろう、と思っていると。
「ホッシー! おーいホッシー!」
「えっ」
「ホッシー聞こえてるー?」
「あの……代わりますか?」
「ちょっと待ってね」
突然ほしゆきさんを呼んだかと思うと、じっと黙ってしまった。
ヘッドホンだから私にしか聞こえないと思うんだけど……
ひょっとして、ちょっと変な人なのかな?
私が頭にはてなマークを浮かべていると、友花さんは小声で話し始めた。
「星行には聞こえてないかな?」
「はあ……たぶん」
「でも近くにはいる?」
「はい」
私がちらっと横にいるほしゆきさんを見上げると、ん? という顔で見返してくるけど、友花さんの声は聞こえていないみたいだ。
「今からいくつか質問をするけど、「はい」なら何も言わず黙っていて、「いいえ」なら小さく咳払いを一回してもらっていいかな?」
「……」
「……頭の回転速いねぇきみ」
よくわからないけど褒められた。
ゲームとか心理テストみたいなものなのかな?
なんだか楽しそうなので乗ってみることにする。
「あなたの名前は岸辺百合香ちゃん?」
「……」
無言で、「はい」の返事だ。
「今、痛いところとか怪我をしているところがある?」
けほ、と小さく嘘の咳をして、「いいえ」と答える。
手の怪我はもうすっかり治っているし、膝のアザもきれいに消えたから。
「ご飯を食べてなかったり、量が少なかったりしてお腹がすいている?」
変な質問だなあと思いながら、もう一度、咳で返事をする。
ていうか、こういうの外国のドラマか何かで見たような……
「あなたは自分の意思で家出をして、星行の家にいる?」
「……」
ああ……そうだ、思い出した。
「その家に来てから、嫌な思いをしてる?」
けほっと咳をして、いいえの返事。
これは、一緒にいる犯人に聞かれないように電話で人質から情報を聞くやつだ。
友花さんは、ほしゆきさんを疑っているのかな。
私がほしゆきさんに無理やり、自分の意志でこの家に来たって言わされているんじゃないかとか、もっと言えば、本当は誘拐されてるんじゃないかとか。
ここで私が冗談で「助けて」とか言ったら、本当に警察を呼ばれて大変なことになるんだろうなあ……なんて、ちょっと危ない想像をしてみる。
真剣な友花さんには申し訳ないけど、その心配は的外れなんだから仕方がない。
「……家に帰りたい?」
私は少し考えてから、咳をした。
帰りたいと言えば帰りたい。
でもそれは、パパとママが仲良くしていた頃の家に、だ。
きっともう、そんな日は来ないから。
「ありがとう。質問は終わり。変なことさせちゃってごめんね」
「あのー……友花さんが心配してるようなことはないですよ」
「あはは、そうだね、恥ずかしいな。昔ちょっと海外ドラマで見たことがあって、やってみたかったの」
冗談みたいな感じで言ってるけど、友花さん、結構本気だったよね……
あんまり信用されてないのかなあ、ほしゆきさん。
友花さんがほしゆきさんのことが好きっていうトラの予言は、外れかも?
「それじゃあ、星行に代わってもらえる?」
「はい」
私はヘッドホンを外して、ほしゆきさんに渡す。
ほしゆきさんが話し始めたので、邪魔しないように部屋から出ることにした。
「ほら、トラも行くよ」
声をかけたけど、トラはベッドの上に座ったまま動こうとしない。
「わしはここで抗議の座り込みをする」
「なにそれ?」
「ヒロノを監視して、時々キーボードの上とかに乗って抗議の意思を示すのじゃ」
「……ほどほどにね」
なんだかんだ言って、トラもほしゆきさんのことが好きだからなあ。
友花さんに対して嫉妬してることに、自分で気づいていないだけなのかも。
優しそうな人だったな、友花さん。
私もちょっと気になるけど、まあ、直接顔を合わすわけでもないし、別にいいか。
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