第21話 広野星行

「ごめん、戻った」

「んー」

「んじゃ改めて行くかー。前と同じなら回復してないはず……」

「や、待って。ちょっと中断しよっか」


 何も聞かれていなかったという体でゴリ押ししてみようと思ったけど、そう上手くはいかないらしい。

 明らかにマジなトーンの友の声に、どうにか冗談のノリで押し通せないかと考えていた僕の計画は早くも暗礁に乗り上げてしまった。


「ホッシー、住所変わってないよね?」

「え、なに急に。変わってないけど」


 なぜ友が僕の家の住所を把握しているのかというと……以前、ゲーム中にしていた雑談の中で、友が描いた作品を見てみたいという話をしたことがあった。

 その時に、実際に広告として使われたという、そこそこ大きめなパネルに印刷されたポスターのようなものを送って貰うことになり、僕は住所を教えたのだ。


「一人暮らしだって言ってたよね」

「まあ、そうだね」

「今お客さんが来てるとか……ないよね。ずっとゲームやってたし」

「そうなるかな……」

「ていうか若いのに休みの日に昼間っからゲームしてるとか。って私も同じか」

「ははは」

「ふふふ」


 なんだろう、この足の先からじわじわと輪切りにされていくような感覚は。

 やるならひと思いにやってくれ。


「……で、さっきの女の子、誰?」


 僕の願いが通じたのか、友はいきなり直球を投げてきた。


 んん~~~。

 いや、困った。

 いざ真正面から聞かれると、やっぱり困る。


 ここで僕が取れる選択肢は、いくつかあった。

 まっさきに思いつくのは、テレビの音だとか、近所の子供の声だとか言って誤魔化すという方法。


 ただ、さっきの百合香ちゃん、明らかに僕の名前を呼んでいたんだよな……

 その時の僕のリアクションも慌て過ぎだったし、この方法はちょっと無理がある。


 次に考えられるのは、兄夫婦の娘、つまりめいっ子を預かっているという、これまで使ってきた設定をそのまま使うという手。


 だが、残念ながら友が相手の場合はこの設定は通らない。

 僕と友の付き合いは家族と同じくらい長いから、お互いの過去で知らないことはほとんどないくらい、色々なことを話してきた。

 つまり、僕が一人っ子で、兄なんてものなど存在しないということも、当然のように友は知っているのだ。


 それなら、もう少し設定の輪郭を曖昧あいまいにして、親戚の子を預かっているということにしたらどうだろう。

 従兄弟いとこでも再従兄弟はとこでも何でもいい。

 友にも、さすがにそこまで込み入った親戚関係の話をしたことはないから、誤魔化すことはできるはずだ。


 ……ただ、そうなると別の問題が出てくる。

 そもそも常識的に考えて、小学生の娘を一人暮らしの男の家に預けるだろうか?

 例え相手が親戚でも……僕が父親だったら預けようとは思わないだろう。

 というか、普通に祖父母とか、もっと関係が近い家に預けるだろう、普通は。


 「理由は分からないけど預けられた」でゴリ押しできなくはないだろうけど……

 かつて僕のことをロリコン呼ばわりしてくれた友のことだ。そんな言い訳では逆に僕への不信感が増すばかりで、最悪の場合、警察に通報されるかもしれない。

 そのリスクだけは絶対に避けたい。


 となると結局は……本当のことを最初から丁寧に説明するしかないんだよなあ。

 およそ十秒の沈黙の間にそんなことを一通り考えてから、僕は重い口を開いた。


「……全部、説明するよ」


 誠心誠意、百合香ちゃんと出会った最初の日のことから嘘偽りなく話していく。

 確かにやっていることは犯罪だけど、そこにやましい心はなくて、だから通報だけはやめて欲しいと……そんな懇願を込めて。

 今ここで僕が友を説得できるかどうかに百合香ちゃんの人生がかかっていると思えば、自然と言葉にも熱がこもる。

 どうか伝わってくれと願いながら、僕は一通りの説明を終えた。


「そっか。大変だったんだね」

「うん……だからほんと……警察だけは……」


 我ながら情けない声が出ていることは自覚していたけど、言いたいことを要約すれば「通報しないでくれ」の一点に尽きた。

 無様だろうが、幻滅されようが、この際仕方がない。

 こうなったらもう、なりふりなど構っていられないのだ。


「わかった。虐待とか、難しい問題だもんね」


 友のその優しい声音が僕の耳元に届いた瞬間、全身の力が抜けた。

 分かってくれたんだ。

 正直に話して良かったと、心から思った。

 もしかしたら信じてくれないんじゃないかなんて、少しでも友を疑ってしまった自分を恥ずかしく思う。


「ねえホッシー、私もその子……百合香ちゃんと話してみたいんだけど……」

「え? あ、ああ。もちろんいいよ。ちょっと待ってて」


 ここで下手に駄目なんて言ったら、いらぬ誤解を招きかねない。

 僕は二つ返事で了承して、隣のリビングに百合香ちゃんを呼びに行った。


 百合香ちゃんを寝室に入れるのは、なんというかちょっと……不純な感じがして避けていたところがあるけど、今回は理由が理由なので仕方がない。

 百合香ちゃんにヘッドセットをつけさせて、椅子に座ってもらった。


「もしもし……」


 おっかなびっくりといった様子で、百合香ちゃんは話している。

 まあ、急に知らない人と通話してくれなんて言われても、困惑するしかないか。

 ぽつりぽつりと、小さな話し声だけが聞こえる。

 ヘッドセットなので友の声は聞こえないけど、僕がロリコンだとか……そういう変なことは言わないだろうと信じたい。

 ……頼むぞ、友よ。


 少しすると、百合香ちゃんが小さな咳をし始めた。

 ひどい咳じゃないけど、少し喉の調子が悪そうな感じだ。

 リビングと違ってこの部屋は窓が一つしかないし、あんまり掃除していないから、埃っぽかったのかもしれない。

 けほ、けほ、と百合香ちゃんの空咳が聞こえるたびに、申し訳なく思う。

 よし、この後は部屋の掃除をしよう。


 そんなことを考えていると、いつの間にか話は終わっていたみたいで、百合香ちゃんがヘッドセットを外してこちらに渡してきた。

 画面を見るとまだ通話は繋がっていたので、僕はヘッドセットををつけて友に声をかける。


「終わった? なに話してたの?」

「ん……まあ、色々とね。女の子同士でしか話せないようなこと」

「ふーん?」

「……ごめんね」

「え? なにが?」

「なんでも。それよりホッシー、明日も休みだっけ?」

「そうだけど」

「じゃあ明日、行くわ」

「どこに?」

「ホッシーの家に」

「は?」


 は?

 ちょっと意味が分からない。

 百合香ちゃんと意気投合してそういう話になったのだろうか。


 振り返ると、そこにはもう百合香ちゃんはいなくて、ベッドの上で丸くなったトラが不満そうな目でこちらを見ているだけだった。


 一体何が起きているんだ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る