第22話 岸辺百合香
友花さんが家に来ると聞いた時、私は「ああ、やっぱり」と思った。
いくら私やほしゆきさんが大丈夫だって言っても、電話だけでは本当のところなんて分からない。
だから友花さんは、直接確かめようと思ったんだろう。
遠くに住んでいるはずなのに、思い立ってすぐに行動に移すなんて、それだけ友花さんの中でほしゆきさんは大きな存在なのかなと思う。
家出してきた子供がまったく関係のない人の家に住んでいるということが、どのくらいおかしなことなのか、私は自分なりに理解しているつもりだ。
それがほしゆきさんにとっては、犯罪になるっていうことも。
私はほしゆきさんに感謝している。
ほしゆきさんの味方になってあげたい。
だから友花さんと直接お話をして、大丈夫だよって伝えないと。
「それじゃあ、迎えに行ってくるね」
朝からやっていた掃除が一区切りついたところで、ほしゆきさんは駅に友花さんを迎えに行った。
私も掃除を手伝ったけど、もともとリビングはきれいだったし、トイレや台所はほしゆきさんがやっていたので、私はあまりすることがなかった。
粘着シートでコロコロするやつをかけながら、「なんでトラの毛が落ちてないんだろう……」って不思議そうな顔をしているほしゆきさんを見ているのはちょっと楽しかった。
それから一分も経たないうちに、ちょうどほしゆきさんと入れ違いみたいにして、トラが家にやってきた。
トラも今日、友花さんが家に来ることは知っている。
それでもやって来たということは、トラも友花さんに対して何か思うところがあるのかもしれない。
「トラー」
「なんじゃなんじゃ」
リビングに入ってきたトラを両手で抱えて持ち上げたけど、普通に重かったから、お相撲さんみたいな体勢で二、三歩くらい歩いてすぐに下ろした。
「どうしよう、ちょっと緊張してきた」
「だからといって急に持ち上げるな。びっくりするじゃろ」
「妖怪のくせに重いよね。食べ過ぎなんじゃない?」
「おぬしはわしを何だと思っとるんじゃ……」
「猫耳としっぽが生えた妹みたいな」
「誰が妹じゃ。どちらかと言えば姉じゃろ」
「お姉さんっぽくはないかなー」
リビングのソファに座って、いつもみたいにトラとじゃれ合っているうちに、緊張していた気持ちが少し楽になってきた。
ひょっとしたらトラは、私が心細くならないように来てくれたのかもしれない。
「ただいまー」
ほしゆきさんの声がしたので、私はトラと一緒に台所まで迎えに行った。
玄関でほしゆきさんの斜め後ろに立っていたのは、髪が長くて、肌が白い女の人だった。
黒いワンピースと白い上着の組み合わせから感じる、なんだか強そうな印象とは逆に、いつも目尻が下がっていて笑顔でいるような、優しい顔立ちをしている。
服装以外は昨日話した時のイメージそのままだった。
「あなたが百合香ちゃん? 私、昨日話した……えっでっかい猫!」
女の人……友花さんは、私の隣にいるトラを見て急に大きな声を出した。
ほしゆきさんとトラが同時にビクッとしていてちょっと面白い。
トラのサイズを猫に置き換えたら、そんなに驚くほど大きく見えるのかな。
最初から人間に見えている私にはよくわからないけど。
リビングに移動してからも、友花さんの目はトラに釘付けだった。
トラは気を利かせたのか、友花さんに近付いていって、ペロッと手を舐める。
友花さんは「うわー」とか言いながら、恐る恐るトラの頭を撫でている。
それでようやく落ち着いてきたのか、友花さんはたった今気がついたみたいに、私に向き直って自己紹介をやり直した。
「藤森友花です」
「岸辺百合香です」
ドーモドーモと頭を下げ合う。
「わしはトラじゃ」
「そしてこの子はトラです」
張り合うみたいにトラも自己紹介したので、私が通訳してあげた。
すると友花さんは満面の笑顔になって、トラの首をさわさわと撫でた。
「可愛いねえ、ふたりとも」
「……どうも」
友花さんも可愛いですよと思ったけど、私が言うと生意気な感じになりそうなので言わないでおく。
「トラちゃんは野良猫なんだっけ?」
「じゃなくて、大家さんが放し飼いにしてるんです」
どうやら友花さんはトラのことを詳しくは聞いていなかったみたいだから、私が知っていることを教えておいた。
と言っても、大家のおばあさんが飼ってる(ことになってる)らしいことと、近所の家を回って餌をもらったりしていることくらいしか私も知らないんだけど。
「この家にはよく来るのかな? すごく懐いてるし」
「そうですね。ほとんど毎日来てるかな……」
そういえば、私がトラと遊ぶようになってから、昼の時間はほとんどこの家にいるみたいだけど、他の家にはあまり行ってないのかな?
あんまり独占するも悪いのかな……と思ってトラの顔を見たけど、そんなに気を使う必要もないかなと考え直した。
トラは自分の好きなように行動する。
鍵が開いていれば勝手に入ってくるし、出ていこうと思えば勝手に出ていく。
私たちがあれこれ考えても、トラにはあまり関係なさそうだ。と思う。
「そうなんだ。百合香ちゃん、トラちゃんと仲いいんだねー」
「はい。いつも一緒に遊んでます」
「トラちゃんいい子だなあ。すっごく大人しいし」
「普通に私より頭いいですよ」
「ふふっ、それはすごいねえ」
かるたで勝負したら、この家の中でトラが一番強いですよって言っても、友花さん信じないだろうなあ、なんて考えて一人でニヤニヤしていた。
その後、ほしゆきさんが持ってきてくれていた麦茶を飲んで一息つく。
トラはお水が入ったお椀を片手で持って、じゅるっと音を立てて飲んでいる。
これ、どう聞いても猫が水を飲む音じゃないんだけど、大丈夫なのかな。
チラッと友花さんの顔を見ても、特に変な表情はしていないので、うまいこと猫が飲んでいる感じに見えたり聞こえたりしているんだろう。
こうしてほしゆきさん以外にもトラが猫に見えている人を実際に確認してしまうと、やっぱり私の頭がおかしくなっているのかなあとも思う。
まあ、今のところ特に不都合はないから、別にいいんだけど。
「百合香ちゃん、お昼ごはん作るよ」
「あっ、はーい」
ほしゆきさんに呼ばれて、私は立ち上がった。
昨日、友花さんが家に来るって聞いた時、どうせならお昼ごはんも三人で食べようということになって、それなら私も作るのを手伝いたいって言ってあったんだ。
「あ、じゃあ私も何か手伝う……」
「友はお客さんなんだから、座ってて」
「トラと遊んでてください」
「はい……」
腰を浮かせかけていた友花さんは、ほしゆきさんと私の間髪入れない言葉に押し戻されて、そっと座り直した。
一人で放っておくのも悪いような気がしたけど、仕方ないなあといった感じでトラが膝の上に乗っていたから、大丈夫かな。
「ほしゆきさん、ここ開けといていい?」
「え?」
私はリビングと台所を仕切る木の引き戸を指さした。
「友花さん、気になるだろうから」
「あー、確かに。そうだね」
私とほしゆきさんが見えない所で二人きりになったら、きっと友花さんはやきもきすると思う。
それに知らない家で一人だけ仲間外れにされたみたいな感じになると、きっと寂しいだろうから。
私にも手伝えるお昼ごはんということでほしゆきさんが考えてくれたのは、ロコモコ丼だった。
昨日の夜ご飯の煮込みハンバーグを作る時に多めに作っておいたハンバーグを焼いて、目玉焼きを焼いて、後はサラダと一緒にご飯の上に乗せて、ほしゆきさん特製のソースをかければ完成。簡単だ。
私はレタスをちぎって、トマトを切って、目玉焼きを焼く係になった。
難しいのは目玉焼きだけで、他は簡単だ。
包丁の使い方も教えてもらっているから、トマトを切るくらい、もう慣れている。
ほしゆきさん、最初は私が包丁を使うのをすごく怖がって慎重になってたけど、何度もお手伝いするうちにようやく信頼されてきたのかな。
慣れたと思った頃が一番怪我をしやすいって何度も言われているから、今も気は抜かないようにしてるけどね。
「目玉焼きにはいろいろな宗教があってね……」
突然、ほしゆきさんが神妙な顔で言う。
「宗教があるの?」
「人が信じるやり方のことを、ちょっとからかって言ってるだけだけどね。水を入れるとか入れないとか、蓋をするとかしないとか、味付けは先だとか後だとか、ひっくり返すとか返さないとか卵を常温にするとかしないとか……たくさんあるんだ。たくさんありすぎて正解はないから、適当にやろうねっていう話」
「ふーん」
ただ焼けばいいと思ってたけど、目玉焼き……奥が深い。
「強火じゃないほうがいいよね?」
「さすが百合香ちゃん、わかってるね。まあそこも諸説あって……いや、やめよう」
よくわからないので、弱火でゆっくり焼くことにした。
黄身がとろっとしてる方が好きだけど、あまり生すぎてもよくない気がするから、じっと目を離さないように観察する。
私が三つの目玉を見つめている間に、ほしゆきさんはハンバーグを焼いて、スープを作っていた。
コンロの口を三つ全部使うのは初めてだって言いながら、ちょっと楽しそう。
だいたいこんなものかなと火を止めてから、ふと後ろを振り返ると、友花さんがリビングから顔を出してこっちを覗いていた。
トラを抱えて斜めになっている姿はとても可愛い。
私と目が合うと、へへっと照れたみたいに笑う。
うーん、可愛い人だな。
出来上がったものを盛り付けてリビングに運ぶと、友花さんから歓声が上がった。
ロコモコ丼はそれだけで彩りがきれいだし、野菜たっぷりのスープはパプリカが入っているので色鮮やかだ。デザートには、パイナップルのシロップ漬けと冷凍ブルーベリーが入った無糖のヨーグルト。可愛くてきれい。
よくできたと自分でも思うし、ほしゆきさんも褒めてくれた。
「すごい、全部おいしい。百合香ちゃん天才」
「へへ」
「僕には何かないの?」
「ホッシーもまあまあやるね」
「でしょ」
「ほしゆきさんはすごいんですよ。なにを作っても美味しくて」
「へー、知らなかったなあ……」
楽しくお喋りしながら食べるお昼ごはんは大成功だったと思う。
これで、友花さんのほしゆきさんへの疑いは晴れたかな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます