第18話 岸辺百合香

 朝からタクシーに乗って、けっこう時間が経つ。

 やっぱりずっと車の中で座っているだけだと退屈になってくる。

 そんな私に気を使ってくれたのか、ほしゆきさんはこまめに休憩を入れてくれた。

 途中のサービスエリアで食べたソフトクリームがおいしかった。


 知らない景色、見たことのない道ばかりが続く。

 今日は海に行く日。

 拳銃を捨てるための、そして初めての旅行の日だ。


「そろそろ着くよ」


 ほしゆきさんの言葉を聞く前から、遠くに広がる海は見えていた。

 車が民宿の駐車場に止まり、ドアが開くと、私は待ちきれずに飛び出した。


「なんかくさい」

「磯の香りってやつだね」


 元気よく飛び出したはいいけど、辺り一面に変なにおいが漂っていて、私は思わず顔をしかめた。

 これが海のにおいなのかと思うと、ちょっと出鼻をくじかれた感じがする。

 思っていたよりも生っぽいっていうか。

 海と言ったら、もっとこう爽やかな感じを想像していたから。


 民宿の中に入ると、外が明るかったぶん、ちょっと薄暗い感じがした。

 カチャカチャと食器の鳴る音が聞こえてくる。

 ちょっと広い階段を上って、二階の一番奥が私たちの泊まる部屋だった。

 四角い畳の部屋だ。

 窓を開けると海が見える。

 前に泊まったことがあるホテルと違って、トイレや洗面所がない。

 水場は共同の場所を使うんだって。なんだか不思議だ。


「夜までどうしようか」

「海!」


 私はちょっと被り気味に答えた。

 海に来たんだから、当然海に行くしかない。

 ほしゆきさんの話だと拳銃を捨てるのは夜になるから、それまでは自由時間だ。

 私たちは民宿を出て、近くの海岸に向かった。

 その頃にはもう、磯の香りにもすっかり慣れてしまっていた。


 初めての砂浜に足を踏み入れると、私のテンションは一気に上がった。

 そうそう、海って言ったらこういう感じ。

 靴と靴下を脱いで、砂の感触を確かめてみる。

 あったかくて、サラサラだ。

 波打ち際に立つと、足の下の砂が生き物みたいに動いてくすぐったい。

 水はまだ少し冷たく感じる。


「パパ! カニがいる!」

「小さいカニだねえ。可愛いね」


 民宿に泊まるから親子の設定にしようとほしゆきさんが言っていたので、旅行の間だけほしゆきさんは私のパパということになった。

 ちょっと照れくさいけど、思っていたよりも違和感はなかった。

 呼ばれたほしゆきさんは恥ずかしそうに笑ってるけど。


 砂浜を満喫した後は、近くの水道で足を洗って、ほしゆきさんがウェストポーチから出してくれたタオルで足を拭いて、靴下と靴を履いた。

 海水はそのままにするとベタベタになるらしい。

 そういうところはちょっと面倒くさいな、海。と思う。


 砂浜の次は港に向かう。

 途中の道を歩いていると、片方は山みたいな崖で、もう片方は海で、正反対のものがすぐ近くにあるみたいでおもしろい。


 到着した堤防はちょっと広くて見晴らしがよかった。

 釣りをしている人がけっこういる。

 堤防の上は砂浜とは違った楽しさがあった。

 海が遠いのに、近い感じ。


 砂浜と違って海が深そうだからか、さっきからほしゆきさんが心配そうな顔で、私が落ちないかと気遣う視線を向けてくる。

 仕方ないなあと思って、私はほしゆきさんの手を握ってあげた。

 そんなに心配しなくても落ちるようなところは歩かないけど、言葉でそう言うよりも、こうしたほうが安心できるだろうから。


「パパは釣りやったことある?」

「小さい頃に釣り堀に連れてってもらったことだけは覚えてるけど……自分でやったかどうかは全然覚えてないなあ。理子は?」

「やったことない。ちょっとやってみたいかも」


 親子のはずなのに、お互い釣りをしたことあるかどうか知らないなんておかしいと思うけど、あまり細かいことは気にしない。


「釣り道具を貸してくれるところでもあればいいんだけどね」

「ねー」


 海に来た目的は拳銃を捨てることだから、まずはそれが第一だ。

 私もどうしても釣りがしたいって訳じゃないし、ゆるい感じで返事をする。


 お昼ごはんは、港の近くにあるお店に入った。

 畳のお座敷があるお店で、ごろんと寝っ転がりたくなる。

 私は海鮮丼、ほしゆきさんはうにいくら丼を注文した。

 こんなにたくさんお刺身を食べるのは久しぶり……初めてかもしれない。

 素材の味って感じがして、おいしい。


「こっちもちょっと食べる?」

「うん。じゃあ交換ね」


 丼を交換して、うにを食べてみた。

 いくらは海鮮丼にも入ってるからね。


「うにはどう? おいしい?」

「……私こっち食べるね。パパはそっち食べていいよ」

「ちょっ、ちょっと理子ちゃん?」


 とろっとしていて、甘くて、複雑な味がして、おいしい。

 これは高いやつの味だ……

 もうこのままうに丼だけを食べたくなって、私が半分くらい本気でそう言ったら、ほしゆきさんはけっこう慌てていておかしかった。


「冗談だよ。はい」

「いやまあ、気に入ったなら良かったけど……ごめんね、僕は甘エビが駄目だから」

「そうなんだ」

「なんか痒くなるんだ。喉が」

「かわいそー……」

「いや、そんな深刻な話じゃないんだけどね」


 甘エビもおいしいのに。

 学校の友達にもアレルギーを持ってる子がいたけど、美味しいものが食べられないのはやっぱりかわいそうだなと思う。


 ご飯の後はまた少し歩いた。

 さっきの海岸とは別の海岸が見えてくる。

 あっちの方が砂浜が広くて、三日月みたいにぐーんと曲がっているのが遠くからでもよく分かる。


 道を挟んで海とは反対側に小さな喫茶店を見つけたので、入ることになった。

 最初、私はただの家かと思ったんだけど、外に看板が出ているのをほしゆきさんが見つけて、そこで初めて喫茶店だということが分かった。

 お店の中はひんやりとしていて涼しい。

 お客さんは私たちの他には誰もいなかった。


「好きなもの注文していいよ」

「いいの? じゃあチョコレートパフェにする」


 お昼ご飯を食べた後だけど、まだ全然いける。

 甘いものは別腹っていうやつだ。


 ほしゆきさんは温かい紅茶を頼んだみたいだった。

 ポットごと来たからちょっと驚いていたけど、夏にあえて温かい紅茶を選ぶあたり、大人って感じがする。

 それに比べて私の注文したチョコレートパフェはイチゴやさくらんぼが乗っていてかなり可愛い感じで、子供っぽいけど気にしない。


 チョコレートパフェは、味よりなによりこの見た目が最高だと思う。

 白いクリームとアイスに、チョコレートソースがまだら模様を描いている。

 透明なグラスに甘い中身が詰まっているのが透けて見えて、テンションが上がる。


 夢中で食べていると、ほしゆきさんがカップをもう一つ出してもらって、私にも紅茶を注いでくれた。

 甘くない紅茶は好きじゃないけど、ちょうど喉が渇いていたし、冷たいアイスをたくさん食べてちょっと体が冷えそうだったのもあって、おいしく飲めた。


 ……もしかして最初からこれを予想して、温かい紅茶を頼んだのかな?


 そういう気遣いも大人だなあと思う。

 ほしゆきさん、旅行っていういつもと違う時間の中で改めて見てみると、実は結構いい男なんじゃないかなと思う。

 背が高いし、清潔感もあるし、優しいし。

 恋人がいないっていうのが不思議なくらいだ。


 チョコレートパフェを食べ終わって、紅茶をちびちび飲んでゆっくりしているうちに、いつの間にかうとうとしていた。

 ハッと目を開けるとほしゆきさんが優しい顔でこっちを見ていて、ちょっと恥ずかしくなる。

 寝てないよ、というアピールで紅茶に口をつけると、すっかり冷たくなっていた。

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