第17話 岸部百合香
「百合香ちゃん、ゆっくり後ろに下がって」
私は言われた通りに、ずりずりとおしりを滑らせた。
ほしゆきさんは引きつったような顔をしながら、床の上に落ちている拳銃をダンボール箱の中に戻す。
私は不思議と、拳銃もほしゆきさんのことも、怖いとは思わなかった。
ただ、「どうして?」とは思う。
どうして本物の拳銃なんて持っているんだろう。
純粋に理由が気になって、私は聞いてみることにした。
「ほしゆきさん、なんでそんなの持ってるの?」
「あーいや……話せば長くなるんだけど……あんまり話したくないというか……」
「それ、本物なんだよね。私が聞いちゃだめなお話?」
「……そういう訳じゃなくてね。ただ僕が恥ずかしいからってだけなんだけど」
「じゃあ話して」
「う……わかった」
聞かない方がいいお話があるっていうのは、なんとなく分かる。
ほしゆきさんが私のことを考えた上で話さないことにしたなら、受け入れる。
でもそうじゃないなら、知りたいと思った。
知らないのは、怖いことだ。
知っていれば怖くない。怖くても、向き合える。
私はほしゆきさんのことを、怖いとは思いたくなかった。
知らない部分をできるだけなくしていきたいと思った。
「僕が今のバイトを始めてからそれほど経ってなかった頃だから、四、五年くらい前だったかな……」
そうしてほしゆきさんは、拳銃を手に入れた時の話を始めた。
それはなんだか漫画みたいなお話で、さっきの拳銃を実際に見ていなかったら、本当にそんなことあるの? と疑ってしまうような内容だった。
「それでまあ、持ち帰った後にネットで調べてみたら、安全装置がないこととか分かって……そもそもこんなもの、持っているだけで犯罪だからね。そう考えたら一気に冷静になって、怖くなっちゃって」
「それで捨てられなかったの?」
「それもあるけど……それだけじゃなくて。お守りみたいな感じで、持っておきたいっていう気持ちも少なからずあったんだと思う」
「お守り?」
「どんな困難も、これがあれば解決できる……って本気で思ってたのかもしれない。まあ今になって考えれば、それで解決できるのはほんの一瞬だけで、それじゃ何の意味もないって分かるんだけどね……」
わかるような、わからないような。
もし私が拳銃を持っていて、あの夜、私の部屋に入ってきたあの男を撃っていたとしても、何も変わらなかっただろうなとは思う。
人を殺したって、昔に戻れる訳じゃない。
「すぐに捨てなかったのは、ほしゆきさんが悪いと思う」
「おっしゃる通りで……さっきは百合香ちゃんを危ない目に遭わせるところだった。本当にごめん」
「謝らなくていいよ……私が勝手にダンボール開けちゃったのが悪いんだし。私の方こそごめんなさい」
「百合香ちゃんは悪くないよ。僕がもっと……」
なんだかこのままだと謝り合戦みたいになりそうだったから、私は無理やりお話を進めることにした。
「でもね、捨てずに持ってたのは悪いと思うけど、ほしゆきさんがその男の人を助けてあげたのは、すごくいいことだったと思うよ」
「……それは、前に話したアレだよ。僕はずっと昔の間違いを取り返す機会を探していて、それがたまたま瀧さんを助けることになったってだけで」
「そんな理由なんて別に、どうでもいいと思うけどな」
本当に、どうでもいいと思う。
その人が何を思っていたって、救われたっていう結果は変わらないんだから。
他でもない私自身が今、そう実感しているんだから。
「ほしゆきさんは優しい人だよ。きっと私が今の私じゃなくても、ほしゆきさんの好みの顔じゃなくても、助けてくれたんだろうなって。今の話を聞いて思ったよ」
「僕は……そんな立派な人間じゃないよ」
「立派かどうかなんて、誰かが勝手に決めることでしょ? そんなのどうでもいい」
「うーん、でも犯罪は犯罪だしなあ。社会で生きていく上では……」
「誰かを救うのが悪いことになるなら、そんなの法律のほうが間違ってる」
ずっと、思ってた。
ほしゆきさんが私をこの家に置いているのは、もしかしたら良くないことなんじゃないかって。
そして、きちんとお話をしたあの日に、その疑いはほとんど確信に変わった。
私は法律のことは分からないけど。
今のほしゆきさんの言葉……「犯罪は犯罪だ」って。たぶん拳銃のことじゃなくて、私のことについて言ったんだと思う。
私を助けてくれたほしゆきさんが犯罪者になるのはおかしい、と思う。
悪いのは新しく家に来たあの男だったり、ママだったり、もしかしたら離婚して家を出ていったパパだったり……辛くて逃げ出した私も少しは、その『悪い』の中に入っているかもしれない。
でも、ほしゆきさんはそんなのとは無関係だ。
何の関係もないのに、私に手を伸ばしてくれた。
何の関係もないのに、拳銃を持った怖い人の命を救った。
そんな人が犯罪者になるなんて、そんな法律はおかしい。
「ほしゆきさん、あなたはいい人だよ。優しい人。自分を大事にできなかったとしても、それでも誰かを助けられる人だと思う」
自分を大切にできない人は他人も大切にできないなんて、よく小説なんかにも書いてあるけど、私はそれは嘘だと思ってる。
心の中なんて誰の目にも見えなくて、見えるのは表に出ている形だけ。
私はほしゆきさんにしてもらったことだけを見て、自分の中に自分だけのほしゆきさんを作っていく。
私が言葉にできるのは、私が作ったほしゆきさんの姿だけ。
少しでもその姿に近付いて欲しいって思いながら、私は言う。
「あなたは悪くない。あなたに助けられて感謝している人がいる。鳥もきっと、助けてもらって喜んでた。だから……」
なんだか今日の私は、いつもの私じゃないみたいだ。
胸の奥が熱くなって、複雑な言葉や想いがあふれてくる。
まるで昔からずっと同じことを考え続けてきたみたいに。
「だから、そんなもの、さっさと捨てに行こう?」
「……え?」
ほしゆきさんは、ぽかんとした顔で私を見ていた。
私がなんだか難しいことを話し始めたあたりから、そんな顔だったけど。
「拳銃。優しいほしゆきさんにはもう、そんなものいらないでしょ」
「ああ、うん、まあそうだね……」
「私、海行ったことないんだ」
「……なんで急に海の話?」
「捨てるんでしょ? 海に」
「う、うーん……ちょっとだけ、ネットで調べてもいい?」
「いいけど」
しばらくスマホをいじっていたほしゆきさんは、何かを諦めたような顔で「捨てるなら海だね」と言った。
「ていうか百合香ちゃんも行くの?」
「……だめ?」
「うーん……そういう風に可愛い顔で……上目遣いでお願いするのとか、他の人にはやっちゃ駄目だよ……」
「海、行きたいな」
「わかった。行こう。どうせ捕まったら何もかもおしまいだ」
「やったー」
なんだか難しいことを色々話したような気がするけど、最終的には海に行くことになった。
私はちょっと投げやり気味のほしゆきさんの腕に掴まって飛び跳ねる。
全身で喜びを表しておいて、後でやっぱり駄目とは言わせない雰囲気にしよう。
「あっ、それと、この小説の続きを探してたんだけど、ある?」
「ああ……それでこうなったのね。ちょっと待ってて……」
ほしゆきさんは私の腕からするりと抜け出して、押し入れの中のダンボール箱を探し始めた。
小説の続きが見つかったら、海で読んでみようかな。
楽しみだな、海。
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