いらないものは捨てないと

第16話 広野星行

「瀧さん、わざわざ時間を取らせてしまってすみません」

「気にすんな。どうせヒマだからよ」


 そう言って瀧さんは向かいの席にどっかりと腰を下ろした。

 瀧さんに指定されたレトロな雰囲気の喫茶店は、他に数人のお客さんがいるものの、奥まったこの席には彼らの会話が全く届いてこない。

 BGMのせいか、壁や内装のつくりによるものなのか。

 恐らく偶然そうなっているという訳ではなさそうだ。


 今日は、瀧さんと込み入った話をするためにここに来た。

 まあ要するに、百合香ちゃん関連のことだ。

 あくまで相談であって、『恩返し』云々の話ではないと念押ししておいたけど……話の流れによってはそっちの方へ行かないとも限らない。

 瀧さんも僕の雰囲気でそれを察したのだろう。僕の休日を確認してから、場所と、会う時間まで指定された。


 注文もしていないのに、コーヒーが二つ出てくる。

 ウェイトレスさんがいなくなったのを見計らって、僕は話を切り出した。


「実は今、子供を保護してまして……」

「うん」


 瀧さんはコーヒーを飲みながら、静かに頷く。

 突拍子もない話を切り出したという自覚があるのに、瀧さんは全く動じていないようだった。

 百合香ちゃんと出会った経緯から、彼女の家庭環境まで、僕は洗いざらい話した。

 ずっと溜め込んでいたものを吐き出すみたいに、言葉は止めどなく続く。

 懺悔ざんげをする人はこういう気持ちなんだろうかと思った。

 まあ実際僕は犯罪を犯している訳で、洒落にもなっていないんだけど。


「なるほどな。それで、ヒロはどうしたいんだ?」

「彼女の家庭環境を改善させて、家に帰してあげるべきなんだと思います。でも部外者の僕にできることなんてあるのか……そもそも環境を改善することなんて不可能なんじゃないかって思ってしまって……」

「おいおい。それは世間一般的にはそうするべきって話であって、お前がどうしたいかって話じゃねえだろ」


 うっ、と僕は言葉に詰まる。

 それは確かにその通りだけど。


「でも、僕がどうしたいかなんて今は関係なくないですか?」

「なんでだよ」

「彼女の幸せを考えるなら、そこに僕の私情を挟む余地なんてないと思うんですが」


 間違ったことは言っていない、と思う。

 でも瀧さんは、呆れたように首を振った。


「……ヒロ、お前その子と仲いいだろ?」

「え、ええ。まあ普通に」

「朝起きたら挨拶するだろ?」

「はい」

「んで、飯を作ってやって、一緒に遊んで? 寝る前はおやすみなさいって?」

「まあ、そうですね」

「お前さあ、そりゃもう家族っていうんだよ」

「いや、さすがにそこまでは……」


 家族はちょっと言い過ぎだろう。

 僕と百合香ちゃんが一緒に暮らすようになってから、まだ一ヶ月も経っていない。

 それに僕たちは元々なんの関係もない他人なんだから。


 それでも瀧さんは、僕の言葉なんて聞こえてないみたいに続ける。


「飯は一日一回、学校にも行かせねえ、日常的な暴行……お前そっちの方が家族らしいとでも思ってんのか?」

「それと比べたらそりゃ、今の方が幾分マシでしょうけど」

「その子……百合香ちゃんがどう思ってるか、ってのをお前は軽く見過ぎだ」

「僕は彼女のためにできることだけを考えているんですが」

「その当人が、お前のことをどう思っているのか。そこは考えねえのかよ」

「百合香ちゃんが、僕のことを……?」

「困っている所を助けてもらって、面倒見てもらって。優しくしてくれる相手に情が湧くのは当然だろうが。お前が自分のことなんてどうでもいいっつって、独りよがりなことをしたら、百合香ちゃんはきっと悲しむぞ」

「そうですかね……」

「改めて聞くぜ。お前はどうしたいんだ?」


 僕は……

 いや、僕の気持ちなんて、どうでもいいだろう?

 僕は今度こそやり遂げなきゃいけない。

 一度手を差し伸べたんだ。最後まで責任を持って、百合香ちゃんの幸せだけを考えて、行動するべきなんだから。


「おい、ヒロ」


 僕がどうなろうと関係ない。

 僕のせいで彼女の人生が歪められるなんて、あってはならないことだ。


「俺はお前の気持ちを聞いてるんだぜ。お前の信念や一般常識なんてどうでもいい。お前がどうしたいのかって話をしてるんだ。ゲームじゃねえんだからよ、別にどう答えたってシナリオが変わる訳じゃねえ。ただの雑談だ。気楽に答えろよ」


 僕は……


「僕は……百合香ちゃんの近くにいたい。彼女が元気で過ごすところを、いつまでも見守っていたい。彼女を虐待するような家族の元へなんか、帰したくない」


 ああ、言ってしまった。


 これが僕の本音だ。

 散々耳触りの良いことを言っておいて、結局は自分の欲求が奥底にある。

 気持ち悪い。

 だから僕は、僕のことが嫌いなんだ。


「やっと素直になったか。お前はやたらとそれを嫌ってるみてえだけどよ、大事なことなんだよ、それは」

「よく……分かりません」

「物事を決めるのは自分の意志だ。なのにそれを自分以外の何かに託してたら、行動があやふやになっちまう。自分のしたいことを、自分で考えてしろよ、ヒロ。自分がどう思ってるか、しっかり百合香ちゃんに伝えて二人で話し合えよ」


 瀧さんは難しいことを言うな。

 怖いんだよ。本音を伝えて拒否されるのが。

 他の誰にどう思われたってどうでもいいけど、彼女にだけは、嫌われたくない。

 もう少しだけ、この甘い夢の中にいさせてほしい。


「それで……いらねえのかよ、『恩返し』はよ」

「仮に、ですけど。お願いしたらどうなります?」

「俺にできることは、真っ当な世間ができねえようなことだけだ」

「具体的には?」

「まあ……その子の母親と義父は、になるだろうな」

「うわあ……」

「んな顔すんなよ。お前だって分かってて聞いたんだろ」


 実際、それしか方法はないんじゃないかと思い始めている自分もいる。

 このどうしようもない現状を打破するためには、そういう力技に頼るしかないんじゃないかって。


 でも、多分それは最悪の手段だ。

 僕が助けた瀧さんの命ひとつに対して、二つの命が天秤に乗る。

 釣り合っていない。きっとどこかで破綻する。

 その誘惑には、破滅の予感しかなかった。


「正直な話、どうしてお前がすぐに俺を頼らないのかよく分からねえ。話を聞く限りじゃあ、八方塞がりだ。お前自身も今のままじゃいつしょっぴかれてもおかしくねえし。手っ取り早く、何もかもを解決できる手段がすぐそこに転がってるんだぜ。どうして使わねえ? 俺が信用できねえか?」


 まったくだ。

 お膳立てが調ととのい過ぎている。

 一度だけ使える非合法な力があって。

 非合法な力じゃなきゃ解決できないような状況が転がり込んできて。


「まあ胡散臭いっていう意味ではそうですけど……瀧さんの言葉は信用してますよ。きっと本当にやるし、やれるんでしょうね」

「まあな。今の俺なら造作もねえことだ。お前のおかげでな」

「怖いなあ」


 だからこそ、駄目なんだ。

 百合香ちゃんの母親と義父を物理的に排除したとして。

 その後、どうなる?

 家族を失って一人きりになった百合香ちゃんは、その後幸せになれるのか?


 それに、あのさとい子が、急に自分の母親と義父が姿を消したことに対して何も疑問を抱かないはずがない。

 彼女はそれを成した何者かに感謝するだろうか。

 それとも、恨むだろうか。

 あの子には、ニュートラルな状態で未来を選択して欲しいと思っている。

 僕のせいでそれが歪むのは耐えられない。


 ……いや、まあ、ちょっと違うな。

 僕の大嫌いな本音というやつを言ってしまえば。

 僕は、彼女との縁が切れるのが嫌なんだ。

 そのために千載一遇のチャンスを逃すとしても。

 僕は彼女と一緒にいたいんだ。


 ……くそ。本当に最悪だな、この本音っていうやつは。


「……今日はこの辺で。話を聞いてくれて、ありがとうございました」

「いいのかよ?」

「最初から相談だけって話だったでしょ?」

「まあな……」

「それじゃあ、また」

「ヒロ。こっちはいつでも待ってるぞ」

「……はい。もう本当に、どうしようもなくなった時は……」


 僕は最後の言葉を濁して、立ち上がった。

 テーブルには伝票も何もない。

 コーヒーは瀧さんのおごりということだろうと判断して、そのまま店を出た。


 誰かに相談すれば少しは進展があるかと思ったけど。

 ……なんだか、絡まった糸を直視することになっただけのような気がするなあ。


「ただいまー」


 家の玄関を開けて声をかけると、居間の方からゴトッと重いものを落とすような音が聞こえてきた。

 それに続いて、「あっ」という百合香ちゃんの小さな声。

 なんだろう。本でも落としたのかな?

 怪我でもしていたらいけないと思いながら、急いで居間の戸を開ける。


 そこには、床に落ちたものに手を伸ばす百合香ちゃんの姿があった。

 押し入れのふすまが開いていて、ダンボール箱がいくつか外に出ている。

 

 ああ、なんてことだ。

 そこには、僕の黒歴史が落ちていた。

 まさかピンポイントであのダンボール箱を開けられるなんて。


 思わず僕は自分の迂闊うかつさを呪った。

 過去は思いがけない所で追いかけてくるものだ。


 あんなもの、さっさと捨てておけばよかったんだ。

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