第12話 岸部百合香

「このボタンを押せば再生されるから。止める時は……」


 ほしゆきさんが貸してくれた音楽プレイヤーのおかげで、一人でもかるたで遊ぶことができるようになった。

 最初は百枚全部を並べて練習をする。

 漫画でやっていた競技かるたは五十枚だけ使うみたいだけど、まずは全部を覚えないとどうしようもない。

 覚えてきたら五十枚でやってみよう。


 始めてから気づいたけど、メガネがなければまともに遊べなかったかもしれない。

 それくらい、メガネありとなしとでは札の見やすさが違った。

 ほしゆきさんが選んでくれたふちのないメガネは、私が選んだ黒縁よりもマシだけどやっぱり目の端にチラチラと棒みたいなものが見えるから、最初は違和感があってやりにくかった。

 でも遊んでいるうちにそれが見えなくなるというか、気にならなくなっていく。

 人の目は不思議だ。


 ひらがなしか書いてない取り札は見た目の違いがわかりにくくて、思っていた以上に難しかった。

 札を探しているうちに、次の札が読み上げられてしまうこともある。

 なかなか漫画みたいにはうまくいかない。

 苦戦しながらもだんだん慣れてきた頃に、トラがやってきた。


「ほう、かるたか。また渋い遊びをしておるのう」

「トラはやったことある?」

「いや、ない。猫じゃからな。近くで見ていたことはある」

「じゃあ一緒にやろ?」

「いいじゃろ」


 百枚の札を適当に並べて、二人でどれでも取っていいルールにする。

 トラは最初、じっと見ているだけで手を伸ばそうともしなかった。

 私もなかなか取れないから、お見合いみたいになる。


「ちと読み札を見せてもらっていいか?」


 途中でトラがそう言い出したので、読み上げの音声を止めた。

 分厚い札の束を持ってさっさと目を通していくトラの横から、私も一緒に読み札を眺めてみる。

 着物を着た人の絵の、畳のふちの柄が微妙に違うのが面白い。

 派手な色は偉い人のような気がする。

 昔の言葉だから書いてある字と読み方が違ったりして、紛らわしいことがある。


「よし、続きをやろう」


 一通り読み札を見終わったトラがそう言うので、読み上げ音声を再開させた。

 するとトラは、下の句が読まれる前から札を取るようになった。

 当然、私は全然取れない。


「えーずるい」

「ずるいことあるかい。覚えれば誰にだってできる」

「そんなすぐに覚えられないよ」

「ならまずは暗記からじゃな」


 トラはさっき見ただけで全部覚えたのかな。

 すごいけど、やっぱりずるい。


「歌の意味を考えて楽しめば覚えやすいぞ」


 確かに漫画でもそんなことが描いてあった。

 でも昔の言葉は今と違いすぎて、意味がよくわからない。


「どういう意味かわかんないよ」

「学校で習っとらんのか。仕方ない、わしが教えてやろう」


 それから、トラによる歌の解説が始まった。

 トラも本当に合ってるかどうかは自信がないって言ってたけど、私はもっとわからないから問題ない。


「これは恋の歌じゃな……これも恋の歌。これは振られて恨んでる歌じゃ」

「恋の歌多いね」

「人間は年中発情期じゃからなあ」

「はつじょうき?」

「猫は発情期といって、子供を作る季節が決まっとるんじゃ。猫以外にも、そういう動物はけっこういる。人間にはそれがなくて、いつでも子供を作れるらしいぞ」

「ふーん」


 トラは物知りだ。

 色々勉強になる。

 解説してもらった感じだと百人一首には、恋の歌と秋の歌が多かった。

 そういうテーマは人の感情を動かしやすいからじゃないかってトラは言っていた。

 私はまだ恋のことはよくわからないけど。

 一つ一つの歌の意味を教えてもらうのは結構面白い。

 すごくどうでもいいことを歌ってるのもあるけど、そういうのは言葉遊びになってるんだって。奥が深い。


 一通り解説してもらった後、もう一度トラと勝負をしてから(今度は手加減してもらった)一息つくことにした。

 かるたは楽しいけど、頭を使うのでずっとやってると疲れてしまう。


「……ねえトラ」

「んー」


 私はいつものようにトラを抱っこしながら、ソファに座っていた。

 一通り撫で終わったので、トラも満足そうだ。


「これ、座り心地いいでしょ」

「妙にふにゃふにゃしとるのう。昨夜も思ったが」


 ソファの上に重ねられたマットレスパッドを、トラは手のひらでふにふにと押しながら、そんな感想を述べる。


「ほしゆきさんが買ってくれたの」

「じゃろうな」

「でもね、これがいいって言わなかったら、ベッド買いそうだった」

「いいことじゃないか」

「すごい高かったんだよ。これも高かったけど」

「あいつ、あれで甲斐性あったんじゃな」

「かいしょう?」

「経済的に頼もしいっちゅうことじゃ。金を使ってくれる」

「……なんで私にそんなにお金を使ってくれるんだろう」


 それはずっと、この家に来てから私が疑問に思っていたことだった。

 ほしゆきさんは優しい。

 色々買ってくれる。

 でも、どうして?


 昨日のお買い物で、その思いはますます強くなった。

 なんというか……ちょっと、普通じゃないっていうか。

 何か理由がないとおかしい気がする。

 知らない子供にここまでするのが普通の大人だとは、ちょっと思えない。


「なんでって……そりゃ、ユリカが大切だからじゃろ」

「でも私たち、ちょっと前に初めて知り合ったばっかだよ? 普通ここまでする?」

「人間の普通なぞ知らん。わしゃ猫じゃからな」

「もー、トラはそればっかりですねえ」

「これ、腹を撫で回すな。まあ、気になるなら直接本人に聞けばいいじゃろ」

「ちょくせつぅ?」

「言葉にしなければ伝わるものなどほとんどないぞ。人間相手の場合はな」

「うーん……そうかも」


 トラの言うことはいちいちもっともだ。

 このままモヤモヤしていても仕方ないから、今夜聞いてみようと思った。

 相談に乗ってくれたお礼に、トラのお腹を重点的に撫でてあげたら逃げられた。


 ほしゆきさんが帰ってきて、ご飯を食べた後、一緒にかるたで遊んだ。

 トラと違ってほしゆきさんは私と同じくらいの実力だったから、かなり白熱した。


 ……いやいや、そうじゃない。

 つい楽しく遊んでしまったけど、昼間、トラに言われたことを聞いてみないと。

 私はタイミングを見て話を切り出した。


「うーん……まあそんな大した理由じゃないんだけど」


 すると、そう前置きしてから、ほしゆきさんは話し始めた。

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