お話をしよう
第12話 広野星行
百人一首の説明書に書いてあったサイトから読み上げ音声をダウンロードして、昔使っていた音楽プレイヤーに入れる。これにミニアンプをつないで、ランダム再生できるようにセットしてあげれば、百合香ちゃん一人でも遊ぶことができる。
「このボタンを押せば再生されるから。止める時は……」
百合香ちゃんに一通り説明をしてから、僕はバイトに向かった。
今日も休みなら一緒に遊べたのに。残念だ。
労働とお金と時間は、バランスが難しい。
百合香ちゃんと一緒に過ごす時間が減るくらいなら、やっぱり正社員の話はやめようかな、という気持ちがわいてくる。
いやでも、もっとお金があればここよりも広い家を借りられるし、そうすれば百合香ちゃんに自分の部屋を与えられるかもしれない、とも思う。
やっぱり年頃の女の子がずっと居間で寝起きするのは気の毒だ。
彼女のためを思うなら……
でも、本当の意味で彼女の幸せを考えるなら。
こんな狭い家で知らない男と過ごすよりも、両親がいる普通の家庭に戻してあげるべきなんだろう。
ただし、その両親が彼女に最低限の愛情を与えてくれるなら、だけど。
……そうならなかったから、今こんなことになってるんだよなあ。
堂々巡りになりそうな思考を、無理やり断ち切る。
僕はスマホを取り出して、日課になりつつある情報収集に取り掛かった。
親権や養子といったキーワードで、僕が選べる可能性を探していく。
できることなら、百合香ちゃんに暴力を振るったりしない真っ当な大人が、彼女を養子に迎えるなどして保護するのが一番の理想だ。
しかしどうしても、最終的には親権者の承諾が必要、という結論に行き着く。
百合香ちゃんの場合は、親権を持っているのは母親だ。
つまり母親の許可がなければ、百合香ちゃんの面倒を見る人を変えることはできない、ということで。
「子供の幸せや利益を第一に考えるべきだから、親権者をそう簡単に変更できるべきではない」というのが現在の法律の考え方らしい。
今の百合香ちゃんの状況を考えれば、皮肉としか思えない話だけど。
僕はスマホの画面を暗くして、電車を降りた。
一番可能性があるとすれば、百合香ちゃんの実の父親が、親権者変更調停の申し立てをすることだろう。
要は、親権を母親から父親に移動させるように訴えを起こすということだ。
母親は育児放棄をしているし、義理の父親は暴力を振るっている。立派な虐待だ。
調査官がちゃんと仕事をしてくれるなら……母親と義理の父親の
だけどこれにも、問題はある。
まず、離婚して東京のどこかに住んでいるという父親を探さなくてはいけない。
手がかりは百合香ちゃんの記憶だけだ。
まさか百合香ちゃんの家に直接電話して聞く訳にもいかないし……
というか百合香ちゃんは、自宅の住所や電話番号を覚えていないらしい。
まだ年賀状などのやり取りを子供がしていたような時代なら、自分の家の住所を書いたり覚えたりする機会があったのかもしれないけど……
電話番号だって、スマホに登録しておけば覚える必要もないし。
小学生の彼女が自分の家の住所や電話番号を知らない、あるいは覚えていないのも無理もない話だろう。
……少し思考が
とにかくそういった問題をどうにかして、奇跡的に父親が見つかったとしても、当人が親権争いをしようと思うかどうかは全く別の話になる。
父親はもう、新しい自分の人生を歩んでいるはずだ。
突然そんなところに、血がつながっているとはいえ、子供一人の人生をポンと背負わせることなどできるのだろうか。
……駄目だ。仮定に仮定を重ねても、不毛なだけだ。
「おうヒロ、大丈夫か?」
「うわっ」
急に声をかけられて、僕は持っていた本を取り落しそうになった。
仕事中なのにボーッとしていたらしい。
「瀧さん……どうしたんですか急に」
隣を見れば、相変わらず目に優しくないシャツを来たガタイのいい男……瀧さんが、唇の端を曲げてこちらを見ていた。
「急にじゃねえよお前。さっきから存在をアッピールしてただろうがよ」
「そうですか?」
「なーんか最近、上の空だな。手ぇ動いてなかったぜ。悩み事か?」
「瀧さんの手を
瀧さんの『恩返し』の標的にされないよう、予め釘を差しておく。
百合香ちゃんの問題を解決するために瀧さんの力を借りたら、なんとなく血なまぐさいことになってしまいそうな予感がするから。
でも困ったことに、その方法が一番うまく行きそうな気もするんだよなあ……
「ふーん、悩みがあることは否定しねえ訳だ」
「悩みの一つや二つ、誰にだってあるでしょう」
「ま、言いたくなったら言いな。分かってるだろうが、オレは真っ当な人間じゃねえからな。そういう相手にだけ言えるような愚痴もあるだろうよ」
「……心遣い、ありがとうございます。本当にヤバい時は、頼らせてもらいますよ」
「それが社交辞令じゃねえことを祈ってるよ」
瀧さんの言葉は、本当に悪魔の囁きだ。
その優しさに、頼もしさに、思わず甘えてしまいたくなる。
しかもこの悪魔は、嘘をつかない。
やると言ったらやる。
それが分かっているからこそ、僕は気を引き締めなければならない。
真っ当な方法以外で勝ち得たものは、脆いものだ。
百合香ちゃんの問題を瀧さんに解決してもらっても、それが穏当な方法でない限り、後々取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。
……でも裏を返せば、穏当な方法ならいいんだよな。
僕は現在進行系で未成年者誘拐という犯罪行為をしている訳だけど、アウトローな瀧さん相手なら、そういう話をしても問題ないような気がする。
というか、他にこんな話ができる相手は思いつかないし……なんだ、考えれば考えるほど、瀧さんは今の僕にとって理想の相談相手のように思えてくる。
これも悪魔の囁きだろうか?
とりあえず事情を話すくらいなら、してみてもいいかもしれない。
そんなことを考えている間に、瀧さんはもうどこかへ消えてしまっていた。
まあ、またいずれ、機会を見て話してみよう。
込み入った話になるから、きちんと時間を取る必要があるだろうし。
帰宅後、夕食を済ませた後に百合香ちゃんと一緒に百人一首をやった。
昔、正月に親戚の家に集まった時に、従兄弟たちと百人一首で遊んだような記憶があるけど……あれ以来だとすると、本当に久しぶりだ。
最初は大人特有の物理的な視点の高さでギリギリ勝てたけど、二回戦は負けてしまった。子供の反射神経はすごい。
いよいよラストの三回戦……と思ったところで、百合香ちゃんが何か言いたそうにしているのに気付いた。
「どうしたの?」
「ん……」
なんだかモジモジしている。
これはかるたとは関係ないことかなと思い、僕は冷蔵庫に作り置きしておいた麦茶を二つ、グラスに注いで持ってきた。
もうすぐ七月。まだ夏と呼ぶには少し早いけど、気分だけ先取りだ。
「何か話したいことでもある?」
「えっとね……聞きたいことっていうか……気になることっていうか」
「いいよ。なんでも聞いて」
百合香ちゃんは麦茶をちびりと飲んでから、意を決したように顔を上げた。
「ほしゆきさんは、どうしてそんな親切にしてくれるの?」
「んー……」
これはちょっと、予想外の質問が来た。
今更というかなんというか。
いや、もしかしたら、ずっと気になっていたのかもしれない。
「いろんなものたくさん買ってくれるし。一緒に遊んでくれるし。ご飯作ってくれるし、勉強も教えてくれる。私、何もお返しできないのに。どうして?」
確かに、見ず知らずの男が異様に優しくしてきたら、ちょっと怖いかもしれない。
何か裏があるんじゃないかって、普通なら思うだろう。
実際は理由なんて、大したことじゃないんだけど。
ごくごく個人的な、そう、あくまでも僕が僕のためにしていることで。
あんまり格好いい話じゃないから気が乗らないんだけど……仕方ない。
百合香ちゃんに隠し事はナシだ。
正直に話すことにしようと、僕は小さな覚悟を決めた。
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