第10話 広野星行

 開店直後の時間を狙って来たので、店内はまだガラガラだった。

 事前に調べておいた通りに四階のメガネショップに直行する。


「いらっしゃいませ」

「あのー、この子のメガネを作りたいんですけど」

「かしこまりました。眼科検診はお済みですか?」

「いえ、初めてなので」

「ではこちらへどうぞ」


 このお店の中には眼科が併設されていて、検診を受けてからそのままメガネの購入に進めるという合理的な作りになっている。

 だがここで一つ、問題があった。


「保険証をお預かりします」


 そんなものはない。

 いや僕のはあるけど、百合香ちゃんの保険証なんてあるはずもない。

 この問題には昨日の時点で気がついていた。


 眼科での処方箋なしで直接メガネを作れるショップも探せばたくさんある。

 でもやっぱり、百合香ちゃんのことを第一に考えるなら、一度しっかり診てもらうべきだろうと思ったのだ。

 本当にただの視力低下なのか、何かの病気で視力が下がっているのか、その違いなんて素人には分からないから。


 なのでまあ、僕の返答はこうならざるを得ない。


「あー……この子、一時的に預かってる姪っ子なんですけど、実家に保険証置いてきちゃったみたいで」

「そうですか……そうなりますと、本日は全額負担でお支払い頂くことになってしまいますが……」


 保険証がなければ全額負担になる。当然の話だ。

 つまり、支払う金額が保険のおかげで三割で済んでいるところが、十割になるということ。

 これは実際に全額負担で医者に掛かったことがある人には分かると思うけど、結構インパクトのある数字が出てくるので、正直ちょっとビビる。

 でも、ないものはないので、仕方がない。


「今月中に保険証をお持ち頂ければ、七割ぶんのご返金はできますので」

「わかりました。そうします」


 まあ、嘘だけど。


 開店直後ということもあってか、順番待ちをすることもなく、すぐに呼ばれた。

 僕も保護者として一緒に診察室に入る。なんだか新鮮な感覚だ。

 検査は思っていたよりも細かく、しっかりと時間を取って行われた。

 結果は、右目が〇・四、左目が〇・三。

 両目でも〇・四だった。

 左目に若干の乱視があるらしいけど、それ以外は問題なしとのこと。


「どうだった?」

「ちょっと怖かったけど、面白かった」


 検査といえば退屈なものというイメージがあるが、楽しんでいたようでよかった。

 なんだかわからないけど大きな機械を使った検査なんかは、僕も受けてみたいなとちょっと思ったくらいだ。


 結局、百合香ちゃんの視力はメガネが必要になる目安に収まっていたため、処方箋が出た。

 これでようやくメガネ選びに入れる。


 子供用メガネコーナーには、想像していたよりも多種多様なフレームがあった。

 大人っぽいシンプルなものから、冗談みたいに派手なものまで。

 百合香ちゃんは顔立ちが整っているから、フレームレスのものが似合うと思ったけど、本人の好みを尊重したかったので余計な口出しはしないでおくことにした。


「お子様用ですか?」


 フレームを選んでいると、店員さんが話しかけてきた。


「ええ。初めてのメガネなんですけど」

「でしたら、普段使うものと予備のもの、二つ選ぶのがお勧めですよ」

「二つですか」

「お子様はよく動きますし、メガネの扱いも不慣れな場合が多いですから、壊れたりなくしたりしてしまうことがよくあるんですよ。そういう時に予備のメガネを用意しておけば、修理や新しいものを買うまでの間も困りませんし」

「なるほど……」

「それに現在、当店では二つセットでお買い上げ頂くと三十パーセント引きになるキャンペーン中ですので、お買い得ですよ」


 セールストークが上手い店員さんだ。

 二つ買うなら、例え百合香ちゃんが奇抜なデザインのものを気に入ったとしても、もう一つは僕が実用的なものを選べばいい。


「それじゃあ、二つにしようかな……」

「ありがとうございます。ごゆっくりお選び下さい」


 それから百合香ちゃんが悩んだ末に選んだフレームは、太い黒縁のものだった。

 ちょっと意外なチョイスだと思ったけど、実際にかけてみると、これがびっくりするほどよく似合う。

 というか元々の顔が良すぎるから、どんなメガネをかけても可愛いんだけど。


「もう一つはどうする? 自分で選ぶ?」

「ほしゆき……おじさんが選んで」


 うっ、危ない。

 そういえば僕も設定のことを忘れかけていた。

 まあ店員さんもそんなに近くにいないから、別にいいんだけど。

 しかしおじさんと呼ばれるのは、やはり心に来るものがあるな……


 僕は最初に考えていた通り、フレームレスのメガネを選ぶことにした。

 耳にかける部分……これ何か呼び名があるのかな。そこは個人的な趣味で、ピンクとオレンジ色の組み合わせにしておく。

 女の子といえばピンク、なんて時代錯誤かもしれないけど。

 ピンクが可愛い色というイメージは、僕の中に根強くつきまとっているらしい。


「どうかな? 嫌なら別のにするけど」

「いいと思う」


 実際に百合香ちゃんにかけてもらうと、思っていた通りによく似合っていた。

 まるで普段からかけているかのような自然な可愛さだ。

 フレームレスは顔の素材の美しさを損なわずにサポートしているし、百合香ちゃんが選んだ太いフレームは彼女の可愛さを引き立たせている。やはり美少女……


 ……ふと思ったけど、これはひょっとして、親バカというやつだろうか?

 百合香ちゃんがどんなメガネをかけても、可愛いとしか言わなさそうな気がする。


「二時間ほどお待ち頂ければ、本日中にお持ち帰り頂けます。もしくは後日郵送もできますが、いかがなさいますか?」

「えっ、二時間ですか」

「はい」


 ……思っていたよりもかなり早い。

 昨日調べた感じだと、お店によっては数日かかるところもあるという話だったから、送ってもらえばいいかと思っていたけど。


「どうする? ちょっと買い物してく?」

「うんっ」


 百合香ちゃんに確認すると、元気のいい返事が返ってきた。

 珍しくテンションが上っているようだ。

 後で好きなものでも買ってあげようかな。


「じゃあ、後でまた来ます。二時間後くらいに」

「かしこまりました。お待ちしております」


 それから僕たちは、ショッピングモールを上から下まで歩いて回った。

 徐々にお客さんが増えてきて、中には僕と同じように子供を連れた親もいる。

 今日は平日のはずなんだけど……まあ僕たちが目立たなくなるからいいか。


 しかしよく見てみると、親子連れはどれも距離が近いというか、親と子供が手をつないでいることが多い。

 百合香ちゃんと同じくらいの歳の子供も、父親と腕を組んで歩いている。

 これは……僕たちも同じようにした方がいいんだろうか?

 そう思って百合香ちゃんの顔をチラリと見た。

 どうしたの? といった表情で見返してくる。可愛い。

 ひいき目があることを差し引いても、百合香ちゃんは他の子供より断然可愛いと思う。

 この子と手をつなぐというのは、結構ハードルが高い。心臓に悪そうだ。

 というか、拒否されたら僕が立ち直れないかもしれない。


 ……想像しただけで嫌な汗が出てきた。

 よし、やめておこう。

 そもそも僕たちは親子ではなく、叔父と姪という設定なのだから、むしろこれくらいの距離感でいたほうが自然だろう。


 そんな風に自分に言い訳しながら、僕たちはエスカレーターに乗って次のフロアに向かった。

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