第11話:いつか話したかったこと
彼は、男だからという理由で、ほとんどの家事をやらせてもらえなかったらしい。故に、洗濯機の回し方や、包丁の握り方すら知らなかった。
「食材を切るときは、猫の手で押さえるんやで」
「猫の手……こうですか?」
「ん。そうそう。ゆっくりでええよ。慌てなくても逃げたりせぇへんから」
彼の後ろに周り込み彼の手に手を重ねると、彼はびくりと跳ねた。ドキドキしているのが伝わってくる。その姿が愛おしくて揶揄うと「揶揄わないでください……」と控えめに文句を言う。
「ははっ。ごめんごめん」
それから一週間後。彼のケータイに電話がかかってきた。実家からだった。
「大丈夫か? 俺、居ったほうがええ?」
「いえ。……大丈夫です。一人で対処します」
「分かった。じゃあ外に居るからな」
部屋の外に出て、声が聞こえなくなるまで待つ。一旦終わったかと思えば、また始まった。それが何度か繰り返されて、やがて話し声は嗚咽に変わる。冷蔵庫からチョコレート出して、部屋の隅で膝を抱える彼に渡す。彼は顔を上げて俺を見たが、首を振ってまた膝に頭を戻してしまった。
「……一人にした方がええか」
立ち上がり部屋を出ようとする。すると、袖を引かれ引き止められた。彼は引き返して、彼を抱き寄せる。すると彼は、俺の名前を呼びながらゆっくりと体重をかけてきた。
「陽希くん。好きです」
そう言って彼は俺に顔を近づける。ここは流されてはいけないと思い、唇が触れ合う前に手で制した。
「そういう現実逃避の仕方はあかんよ。癖になるから」
「……ごめんなさい」
「……うん。ええよ。今はハグで我慢しとき。な」
彼を腕の中にしまう。失恋して、南原さんにつけ込まれたあの頃の自分に彼が重なる。
「……すみません」
「ええよ。大丈夫。落ち着いた?」
「……はい。すみません」
「ええってば。……なぁ、あのさ……前に俺、初めてカミングアウトした相手が親や言うたやろ?」
「はい」
「俺、すっげぇ緊張して、何言われるんかビクビクしながら打ち明けたんよ。けど……案外、あっさりしとって……あぁ、世の中敵ばっかりやないんやって安心した。俺が堂々と出来るんは親に恵まれとったからなんや。あぁ、あとな、幼馴染がレズビアンでな……その子の存在も大きかったと思う。やから……幸人はんと同じような家庭やったら、こんな堂々としてられへんと思う。俺にあんたの辛さは計り知れん。やけど……そんな恵まれてる俺でも、一時期は自暴自棄になって、どうでもいい人と——」
ほとんど語ってしまってから、ハッとする。これは恋人からしたら聞きたくない話だろう。
「あー……ごめん。恋人にする話やないなこれ……ごめんな」
「……今は、そういうことしてないんですよね」
「当たり前や。あんたを悲しませるようなことはせぇへん」
「……うん。大丈夫。信じてますよ」
「ありがと。……さ、飯作ろうか。手伝って」
「はい」
台所に二人で並び、料理をする。昔から俺は、両親のそんな姿を見て育った。
「ふふ」
「なんですか?」
「いや……なんか、ええな思って。一緒に台所に並んで料理するって、ふうふみたいで」
「……僕の両親が台所に並んでるところは見たことはないです」
「そうなんや」
「……はい。羨ましいです。君の家族が」
「……ほんならさ——」
言いかけて、止める。
「なんですか?」
「……なんでもあらへん。気にせんといて」
「気になります」
「……また今度話すわ」
両親に頼めば、彼を養子として迎え入れてくれるかもしれない。そういう形で彼と家族になるのもありだなと一瞬考えた。だけど、言えなかった。そんな形でしか家族になれないことが悔しかったから。そんなモヤモヤを、いつかは彼に打ち明けるつもりだった。
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