最終話:彼が見た夢

 それからというものの、僕は何も手につかず、仕事にも行けなくなってしまった。そんな僕を、彼の両親は献身的に支えてくれた。何もしなくても良いと甘やかすのではなく、出来る範囲で良いからと、家事という仕事をくれた。


「……陽希くん。僕は……君のいない世界では生きる意味を見出せません。けど……君のご両親に支えられ、なんとか生きてます」


 仏壇に話しかける。彼はもちろん返事をくれなかった。それでも語りかけたのは、自分への決意表明のためでもあった。


「強くなるって、誓いましたもんね。君の隣に立つに相応しい人になるって。……待っててください。僕は……僕は頑張るので。けど……もし寂しくなったら、迎えに来てくれても良いですからね」


 むしろ、迎えにきてほしかった。だけど、待てど暮らせど彼は僕を迎えに来てくれなかった。ちょっとした家事をこなしながら、彼と再会する日を待ち焦がれてただただ時間を無駄に浪費する日々を過ごした。


 それから一ヵ月後のこと。西野にしの望海のぞみさんという、彼の幼馴染の女の子がお参りにやって来た。彼女が語る彼の思い出話を聞いて、僕はふと、彼が語っていた夢を思い出した。

 パソコンを立ち上げ、小説投稿サイトに彼のアカウントでログインする。一ヵ月放置している間に、多くのコメントが寄せられていた。その中に彼が言っていた、いつもコメントをくれる常連のカナエさんという人もいた。続きを期待するコメントを見て、僕は彼が亡くなったことを告げようとした。だけど、送信しかけたところでやめた。それをするのはあまりにも残酷だと思った。だけど、二度と更新の無いことを知らずに待ち続けるのもまた、残酷だと思った。悩んだ末に僕は、彼の書きかけの物語を完成させてから全てを語ることにした。

 数ヶ月の間無心で書き続け、未完だった物語を彼が残してくれたプロットに従って完成させた。そして、書き上げたのは彼ではないと正直に綴った。

 すると、いつものファンからはこう返ってきた。『別の人が書いたとは思えないほど、月季先生の文体でしたので驚きました。先生に代わり、二人の物語を最後まで綴ってくださり、ありがとうございました。先生のご冥福を心からお祈り申し上げます』と。

 僕はその日、彼の夢を継ぐことに決めた。彼のアカウントと、蒼井あおい月季げっきというペンネームを借りて、同性同士の恋愛を綴った。ちなみに蒼井月季というのは恐らく、青い薔薇からきているのだと思う。月季は薔薇の異名で、青い薔薇の花言葉の中には不可能という縁起の悪いものもあるが、奇跡や夢叶うという、不可能とは真逆の花言葉もある。薔薇には青色の色素が存在しておらず、実現不可能と言われていたが、研究の末に実現が可能となったことからつけられた花言葉だと、彼は熱く語っていた。


 そして、彼の一周忌の日に奇跡は起きた。彼が書き上げられずに終わってしまい、僕が引き継いで完成させた物語に書籍化の打診が来たのだ。聞いたこともない出版社だったため怪しんだが、調べたら確かに存在していた。社員五人の小さな出版社だった。

 彼の作品だから勝手に受けるのはよくないと思い、一度は断った。しかし、彼は語っていた。物語を通して一人でも多くの人を救いたいと。そのために映像化して、一人でも多くの人に届けたいと。悩んだ末に、書籍化の打診をくれた出版社の人に会うことにした。代表だというその人は女性だった。彼女は言った。「私はレズビアンなんです」と。そして「私は蒼井先生の描く世界に救われました。先生の作品を世に出すために友人と一緒に出版社を立ち上げたくらい、ファンでした」と熱く語った。


「もしかして、あなたは彼の作品にいつもコメントをくれていた……」


「はい。カナエです」


「……そうでしたか。以前お伝えしましたが、僕は蒼井月季ではありません。あなたを救った月季先生は亡くなりました」


「はい。聞きました」


「……だから、悩みました。勝手に受けていいものか。けど……彼は言ってました。自分の作品を世に出したいと。映像化するのが夢だと。作品を通してより多くの人を救いたいと」


『同性愛者が同性愛者であるだけで絶望する必要のない世界になるまで気が済むことはあらへんよ』


 彼の言葉が蘇る。


「悩みましたが……僕は、彼の夢を引き継ぎたいと思います」


「じゃあ……」


「はい。お受けします」


「ありがとうございます!」


「こちらこそよろしくお願いします」


 彼が描いたのは、異性愛者を自認するホモフォビアな主人公と、主人公が恋したゲイの男性の物語。最終的に主人公は彼にフラれてしまうが、恋がきっかけで主人公は成長し、二人の間にはかけがえのない友情が生まれた。

 最後に主人公は、彼の恋を応援することを決意し、ありがとうと彼が笑う。これが彼が描きたかった結末。

 結ばれてほしかったという声も多かったが、僕はこの終わり方に納得している。結ばれてしまうのは少々都合が良すぎる気がするから。


 彼の夢を継いだ僕は、あれから十五年経った今も、物語を紡ぎ続けている。二代目蒼井月季として。これからも書き続ける。この身が滅びて、いつかまた彼と再会するその日まで。

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