第5話:抗えない本能
僕は彼に全てを打ち明けた。同性愛者になってはいけないと言われて育ったこと、初恋の男性に『いつか女を好きになれる』と言われたこと、普通になりたくて女性と付き合ったこと、彼女と付き合って自分は女性を愛せないのだと気づいたこと。
そして、兄も姉も結婚して、次は自分の番だと両親からプレッシャーをかけられていること。
彼の顔は見ずに、淡々と語る。誰にも打ち明けずに抱え込んでいた全てを吐き出すように。すると、鼻を啜る音が聞こえてきた。顔を上げると、彼の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。その顔を見た瞬間、堪えていた涙が溢れ出す。人前で泣くのは多分、幼少期以来だった。泣きたくても泣けなかった。『男は人前で泣いてはいけない』と、呪いをかけられていたから。それなのに自然と泣けたのは、彼が先に泣いてくれたから。たとえ世間が許さなくても、この人の前では泣いても良いんだと思えたから。
胸が高鳴る。その感覚の正体を、僕は知っている。何度も何度も誤魔化してきたけれど、もう言い逃れなんて出来なかった。
僕は彼に恋をした。僕の話を聞いて泣いてくれた、優しい彼に。いや、僕はきっと最初から彼に惹かれていた。ゲイであることを隠さずに堂々と生きようとするその姿に憧れた。関わってしまえばこうなることは明白だった。だから避けた。普通の人生を歩むために。その普通の人生が、心を押し殺してただただ死を待つ日々を送るだけのつまらない人生だとしても。痛くて苦しい人生よりはマシだと思っていた。怖かった。幸せを求めることが。両親の、世間の目が。
「……幸人先輩」
彼の腕が伸びてきて、僕の身体に触れる。ぐいっと引き寄せられて、僕より一回り大きな彼の身体に包まれる。泣きたくなるほど暖かかった。
「俺な、先輩と初めて会ったあの日、先輩に一目惚れしたんよ。『大丈夫ですか?』って声かけられて、目があった瞬間、一瞬で心持っていかれた。先輩が俺と同じかもしれへんって気づいて、あ、これ、運命なんかなって思った。普段は運命なんて信じてへんけど、信じたくなるくらい、好きになってもうたんよ。なぁ……聞こえる? 俺の心臓の音」
彼の心臓の音が、重く、速く、大きく響く。
「好きです。先輩。これは紛れもなく恋やって、俺は知っとる。初めて恋をしたあの日と同じ感覚やから。先輩は? やっぱり、知り合ったばかりやのに困るって言うん?」
彼の心臓の音が、声が、僕の心を侵食していく。
「僕は……」
僕は彼とどうなりたいのか。そんなの、自問自答するまでもなかった。だけど、口にするのは怖い。口にしてしまえば、もう後戻りは出来なくなるから。
「……先輩。顔上げて。俺の目を見て」
誘うように囁かれ、誘惑に抗えずに顔を上げる。熱に浮かされたような彼の熱い眼差しに囚われ、体が動かなくなる。
「なぁ、先輩。キスしてもええ?」
僕の頬に手を添えながら、彼は言う。
「……」
「あかん?」
「……っ……」
耐えられなくなり、俯く。すると、床に置かれた手に彼の手が重なった。ゆっくりと持ち上げられ、彼の唇に運ばれる。
彼はそのまま、指の一本一本に唇の感触を伝えていく。五本の指に伝え終わると、今度は手のひら、甲、そして右手の親指、人差し指——その温もりが、僕にかけられた呪いの鎖を一本一本溶かしていく。呪いに囚われた本能が叫ぶ。彼に触れたいと。抑えていた欲が溢れ出す。それに抗うことはもう出来ない。
彼の頬に手を触れる。彼と目が合う。どちらからとも無く近づいて、唇が重なる。初めてキスをした時のような嫌悪感は一切無かった。むしろ、高揚感で満たされる。
一度だけでは足りなくて、もう一度。息継ぎを挟みながら、何度も繰り返す。
あぁ、気持ち良い。彼の唇の柔らかさが堪らない。もっと、もっとほしい。
「あかん……止まらへん」
「僕もです。っ……ん……」
唇の隙間から舌を入れる。舌先が触れ合うと彼はびくりと飛び跳ねたが、受け入れてくれた。
彼の手が僕の服にかけられる。もう完全にそういう空気だった。付き合っていないのにとか、そんなことを考える余裕なんてなくて、彼をそのまま床に押し倒す。押し倒された彼のきょとんとした顔で正気に戻り、慌てて彼の上から退く。
「す、すみません……がっつきすぎて引いてしまいましたか?」
「いや……その……えっと……そういう流れでええんやけど……え? 俺が抱かれる側なん?」
自分が抱かれることは考えてなかったと彼は言う。沈黙が流れ、気まずい空気になる。
しばらくすると彼はため息を吐き、頭を掻きながら語った。
「俺さ……その……別に初めてやあらへんのやけど、ほとんど抱く側やったから、抱かれんのは慣れてへんのよ。やから……その……お手柔らかに、頼むな……」
「……はい」
「……ほな、とりあえずシャワー浴びよか。先ええよ」
「……はい。お借りします」
シャワーを浴びて、彼のベッドで彼を待つ。横になると、彼の匂いがした。それだけで、心臓が高鳴る。
「幸人はん」
彼の声でハッとする。起きあがろうとするより先に、彼が僕の上に乗っかった。
「もしかして、我慢出来なくて一人でしてたん?」
彼が耳元で囁く。揶揄うような声だった。
「み、未遂です……」
「なんやねん未遂って。正直すぎやろ」
彼は「揶揄ってごめん」とくすくすと笑いながら、僕の上から退いて横に並んだ。
「……ええよ。先輩。来て」
誘われるがまま、彼の上に乗り上げる。
その日僕は、初めて男性を抱いた。
『あんな風になっちゃ駄目よ』
ずっと守ってきた母の教えはもう、守れない。母の教えより、両親から押し付けられる幸せより、目の前の彼がほしいという本能に従った。
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