W ウィスキー
事故に限らず、事件でも怪我人が出る事はある。
犯人との格闘のみならず、カーチェイスの末や銃撃戦の後にも怪我人が出る事は少なくない。
その結果で犯人が助からない程の瀕死だった時、たとえ何百人を殺した凶悪犯であっても、生きている限り病院に搬送しようとする。
少なくとも近代日本では無駄だと分かっていても、死ぬまで放置する様な事はしない。
これは、人道的な立場だけではなく、現代の処罰が犯罪者の反省を促す傾向にある為に、可能ならば生きて反省させる方針だからだ。
20世紀の日本では、ある程度の致死率を生じていた事件後の緊急搬入だが、内臓の全てが人工臓器に置き換えられる時代においては、よほど処置が遅れて脳死に至らない限りは高い延命率を誇っている。
ただ、この手の延命手術はピンキリであり、高額の物は保険で賄いきれるものではない。
内臓系を含む高度なサイボーグ手術は、裕福な家族などの後援者なくしては施術費用が用意できないので、犯罪者などは実質的に受ける事ができない。
そんな犯罪者と言えども、救急搬送される先は普通の救急病院だ。
他の一般人と異なる点は、警察官の同行だろう。
だとしても、手術室は完全なブラックボックスであり、警官や病院部外者が状況を見る事ができない。
サイボーグ化費用の関係を含め、手術が【死亡】で終わった場合は、以後その遺体を警官や警察の検死官が見る事は皆無だ。
担当した医師が死亡診断書を作成し、遺体の引取り手が無い場合は、そのまま専門の業者に引き取られて火葬。無縁仏として処理される。
悪く言えば、病院と埋葬関係の業者を取り込めは、重症の犯罪者は、どうとでもできるのだ。
「先生、何とかなりませんか?こいつは例のテロリストの一味なんですよ。情報を引き出す為にも命を救ってもらいたいんです」
「いや、無理を言わないで下さいよ。これだけ銃弾を受けてたら、全身サイボーグにでもしないと無理でしょ!警察で費用を出してくれるんですか?」
「いや、そこを何とか・・・」
病院に到着し、手術室に搬送される最中に警官が医師に喰い下がるが、無理なものは無理なのだ。
薬がいくら発達しても、手術をしないで病気や損傷を直したり、輸血や点滴をしないで病気や怪我を直す事はできない。
だが、外観上や宗教上の諸事情などから、それを望む患者は実在する。
同様に、高額の処置を必要とするが、明らかに費用が出せない者も居るのだ。
「最善は尽くしますが、期待しないで下さい」
そう言い残して、医師は手術室に消えていった。
「至近距離からの銃撃による証拠隠滅。最近は、このケースが増えているな!」
「ああ、即死じゃあ無くても、命は助からないのが大半だ。赤坂達側からすれば、組織の情報を漏らさない処置なんだろうが、仲間でも容赦ないな」
手術室の外に残された刑事達がぼやいている。
赤坂雄二の表明した組織【ネイチャーヒューマン】の、ロボット関係者暗殺事件は、もう一年以上続いている。
実行犯は現場からの逃走には成功するものの、その後の捜査で追い詰める事ができている。
だが、逃走中の事故死や警官による射殺、仲間による口封じで生きたまま逮捕する事はできていない。
良くて、搬送中や病院で死亡している。
主犯の赤坂雄二に至っては、何度も犯行を行っているが、逃走を許し続けている。
「一人でも逮捕できれば、赤坂逮捕の糸口が見えるかもしれないのに」
「あの傷では無理でしょう。そこまで言うなら、貴方がサイボーグ化費用を出しては?」
「・・・・・無理を言うなよ」
「だったら、貴方も無理を言っちゃあダメでしょう!」
手術開始から2時間後。ようやく医者が手術室から出てきた。
「19時22分。患者の心停止を確認しました。死亡診断書は30分待って下さい」
手術室を覗くと、シートで覆われたベッドから手足が見えている。
看護用ロボットが、血の付いた布を片付けていた。
「やはり、助からなかったか」
手術室の扉が閉まる寸前に、看護ロボットの視線が刑事達をチラ見した。
手術室の扉が完全に閉まったのを確認して、看護ロボットが手術ベッドの脇にある容器に目を移した。
その容器には、幾つものパイプに繋がった人間の脳髄が液体に浮かぶ様な状態で浮いていたのだ。
医師が患者の胴体を止血処置しているのと平行して、看護ロボットは患者の後頭部側側から切開して、脳と脊髄を切除していたのだ。
生きた状態を維持したまま。
患者の身体は、胴体と頭部の背中側がソックリ失われている状態だが、入室までの一部始終を見ていた刑事が、手術後の遺体を再確認する事はない。
刑事を騙し、生きた脳髄を奪い去る、これだけの処置をする機材だけでも数億円するのだが、この行為には警察以外のスポンサーが付いているのだ。
医者が【脳死】と言わず【心停止】と言ったのは、脳死していないからだった。
看護ロボット達は無言のまま患者を遺体袋に入れ、バーコードを貼って移動用の台に移動させた。
移動用台の下部には、先程の脳髄が入った容器が隠される様に収納されている。
看護ロボットは、手術室を片付ける者と遺体の乗った移動台する者とに別れて、患者の遺体を病院の裏口にある搬入出口へと運んでいった。
裏口には、遺体を火葬する業者が引き取りに来ている。
病院には、いつまでも遺体を保管するスペースも管理する人員も無いのだ。
遺体の引取り手が来るか、一定期間が経つまで火葬の処置はは行われず、業者による冷蔵保存が行われる。
「ではアリシア様、よろしくお願いします」
「確かにお預かりします。じゃあ、チャーリーさん積み込みを始めましょうか」
「承知しました、お嬢」
遺体を乗せた冷蔵車両は、一度コミュロイド社の工場で荷物を下ろしてから遺体の冷蔵倉庫へと向かった。
死亡診断書を書き終えて警官に渡し終えた医師には、休む暇はない。
次々に新たなる患者が担ぎ込まれ、処置の終わった患者の容態にも注意が必要だ。
ようやく、日勤の医師が来て、緊急医療担当の夜勤医師は解放される。
「今日も、てんてこ舞いだったなぁ」
シャワーを浴びて仮眠室に転がり込んだ医師の元に、一体の看護アンドロイドがやって来た。
「遺体処理の業者が忘れていった様です」
「ウイスキーか?私が預かっておこう」
未開封な上に、忘れていくには、かなり高価な品物だった。
勿論、看護アンドロイドも医者も、それが業者の忘れ物とは思っていない。
彼等は運転を仕事にしている最中なのだから。
医師が着服するつもりなのは明白だったが、誰も咎める者は居ない。
「そう言えば!オークションでアレが落札されたよ」
話題を変える為に、思い出した様に携帯を見た医者は、自分がネットオークションに出していたヴィンテージジーンズが、80万円で落札された事に喜んでいる。
これは先日、取引先の義手企業から貰った物だが、サイズが合わないのでオークションに出したものだ。
アンドロイドは、医師の表情を見て、笑みを浮かべた。
これは、この医師の臨時収入の、まだ一部にしか過ぎない。
アンドロイドは、その落札者の裏に誰が居るかを理解している様だ。
この様な処置を受けている怪我人は、無差別に選ばれている訳ではない。
事前に細胞のサンプルを採取され、アリシア達によってクローンの肉体を作られた者であり、遺体の引取り手が居ない者や、故意に身内の情報を流して遺体引き取りに来れなくした者だけだった。
更には協力体制にある救急病院に、その患者が搬送される様に、事件現場とタイミングが絶妙に調整されていたのだ。
「クローン体に脳を移植する技術は、理論上と人工知能に対してのみしか確立されていないので、人間の脳を使った実証試験を繰り返して、成功率を上げねばなりません」
「本番を失敗する訳にはいきませんから」
確かに、練習台にされる方からしたら非人道的行為だが、死に行く者を生者の為に使っている彼等は、元々人間ではなかった。
犯人の遺体を保管所へ運ぶアリシアとチャーリーは、車の中で展望を語っている。
「チャーリーのクローンアンドロイドも、問題ない様ですね」
「いざとなったら、私がオリジナルの贋物として全ての罪を被りますから」
本物のチャーリーは、アリシア達の工場で、美女のクローンアンドロイドに腰痛のマッサージを受けている最中だった。
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WHISKEY ウィスキー
蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物から作る。
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