3-2 女神教の女聖騎士
私、アイリーンには名しかない。
昔は高貴なる家柄に属していたが、この世界で広く信奉されている女神教への献身を決意したのを機に、世俗の姓を捨て、ただのアイリーンとなった。
私は女神の為に、この身を捧げるのみ。
そこで行う生活は、教会の清掃活動から、貧しい人々への慈善事業、そして悪鬼羅刹である魔族の討滅まで、等しく女神へ捧げる信仰である。
私は生まれながらにして、神聖魔法に対する適性が異様に高く、それを女神教に見いだされた。
始めはただの修道女になるのだと思っていたが、私の適性は魔族との戦いに驚くほど向いていた。
故に、手に持つのは人々に女神教の教えを説く聖典でなく、敵を穿つ剣となった。
身に纏うのは、貧しい修道女の服でなく、敵の攻撃から我が身を守る金属の鎧。
神聖魔法と、教会に来てから鍛え上げられた剣術。
その2つの力で、私は多くの魔族を撃ち滅ぼし、女神の為にこの世界を守る神殿騎士となった。
ただ私の戦いは、女神教に所属する多くの神殿騎士たちの中でも突出していたらしい。
やがて部隊を預かる隊長となり、瞬く間に軍団長へと変わった。
そして、私が魔族の将を討ち取ったのを契機に、『聖騎士』の称号が与えられた。
聖騎士とは、女神教における最強の騎士を示す称号だ。
それも女神の奇跡によって異世界から召喚される勇者と、対をなすと言われるほどの名誉がある。
と言っても、実際に勇者が召喚された記録は、300年前にまで遡る。
既に当時の勇者は存在しない。
勇者は、常にこの世界で戦っているわけではない。
ゆえに、今魔族たちの侵攻からこの世界を守るのは、女神教の聖騎士と神殿騎士たちだ。
女神の世界を守るのは、我々の義務であり使命。
そして、その先頭に立つのが、他ならぬ聖騎士となった私だ。
だから、私は魔族を屠り続ける。
この身が女であることを忘れ、ただの忠実な信徒となりて、女神様が愛される世界を守ろう。
いつかこの身が、魔族たちによって殺されることになっても、最後まで魔族を屠り続ける。
そんな私は、魔族から侵略を受けている都市国家の一つで、神殿騎士の部隊と共に防衛戦に当たっていた。
私たちが操る神聖魔法は、魔族に絶大な効果を発揮し、魔族相手の戦いでは、常に優位に戦うことができる。
とはいっても、奴らは数が多い。
私たちがいくら神聖魔法で魔族の兵士を屠ろうとも、奴らはすぐさま次の戦力を繰り出して、攻撃に出てくる。
私がいる都市国家は、そんな魔族との戦いが常に繰り返されている、最前線のひとつだ。
だが、その日私の元に、女神教の聖地である聖都ミサルガンからの使者が訪れる。
「私に聖都への帰還命令とは、どういうことだ!?」
いつもように最前線都市国家で、魔族相手の防衛についていた私だが、使者から予想外の命令がもたらされた。
命令は、女神教の地上における最高指導者である、法王猊下からのもの。
法王猊下は地上における女神様の代理であり、その命令は女神様の命令に等しいと言えた。
女神様の信徒である私は、その命に逆らうことはできない。
とはいえ、
「何かの間違いではないのか?
この都市での戦いは拮抗しているが、私が抜ければ均衡が崩れることになる。
むろん、女神教を信じる我々にとって、悪い方向にだ」
この都市国家は魔族との前線の中でも、特に重要な位置にある。
もしこの都市が陥落することになれば、他にも魔族との戦線を抱えている都市国家の多くが劣勢に追い込まれる。
最悪、滅亡を余儀なくされる国家も出てくるだろう。
現に魔族側もこの都市の重要性を理解しているからこそ、他の都市以上に、この都市へ送り込んでくる兵力が多い。
そのような要地から、私が抜けるわけにはいかない。
「聖騎士殿、人払いをお願いしたい」
そんな中、使者は言ってきた。
この場には、私以外にも神殿騎士の部下が数名いる。
この都市に派遣されている部隊の幹部クラス連中だが、そんな者にも聞かせられない話があるらしい。
私が使者の言葉に軽く頷くと、察した部下たちがこの場から去る。
人がいなくなったことを使者は確認すると、私の傍に近づいてきた。
声を大にしては話せぬ内容だからだ。
「人払いに感謝いたします」
「構わない。だが、私の部下たちにも聞かせられないとは、どういうことだ?」
私たちは傍に立ち、小声で話し合う。
「このことに関してですが、聖騎士殿も絶対に他言無用でお願いします」
「よかろう、女神にかけて誓う」
私は跪き、女神様への祈りを捧げる。
その様を見届けると、使者は一つ頷いてから、事の顛末を話し始めた。
使者が話した内容は、次のようなもの。
魔族との戦いで、女神教を信奉する多くの国々が疲弊している。
現状は戦線を支えられているものの、この状況があと1年も続けば、各所で戦線が崩壊していくこと。
そこで事態が悪化する前に、法王猊下は先手を打って、300年ぶりに勇者召喚の儀式を行うことで、魔族に対する反抗を計画しているとのことだった。
勇者召喚は、女神の奇跡なくしては行えぬ大魔術。
あるいは、女神の御業と呼ぶべき奇跡だ。
そして儀式の条件を満たしているのが、女神教を信奉する国家群の中でも、10指のひとつに数えられる大国、エベン王国の女神神殿だった。
エベンの名を聞いた時、私は小さく心の中がざわめいた。
そこには、私と仲の良かった従妹たちがいる。
だが、それは今の魔族との戦いには関係ない。
ざわめいた心をなだめて、使者に話の続きを促す。
肝心の勇者召喚であるが、それと前後して、エベン王国からの連絡が全て途絶え、かわりにアンデッドの大軍が出現したという。
「なんだと、それではエベン王国は!?」
もしかして、私の従妹たちは死んでしまったのか?
決してアンデッドなどに殺されて、いい人たちではないのだ。
だが、使者は小さく首を左右に振った。
「分かりません。
確認しようと神殿騎士の一団を送りましたが、彼らは予定の日を過ぎても帰ってきません。
それどころか街の間を行き来する商人や旅も、エベン王国から誰一人来なくなったとのことです」
「なんだと……」
これはどう考えても、魔王軍の仕業に違いない。
そして、そうとなれば私の従妹たちも……。
私は従妹たちと同じ色と形をした髪に、自然と手が伸びてしまった。
幼い頃の私たちの声が蘇る。
「私たち3人は、みんな同じ髪型ですよね」
私と2人の従妹は、とても髪の癖が強くて、どれだけストレートヘアーにしようとしても、髪が強烈なカールを描いたままだった。
同じ悩みを共有していたので、私と2人の従妹はとても仲が良かった。
あと、おまけで従弟も1人いて、彼も髪の癖がかなり強かった。
女の子に生まれていれば、きっと私たちと同じ悩みを抱えて、仲良くできたと思う。
でも、そんな従妹たちが……
「ああ、どうか女神よ。私の従妹たちをお守りください」
エベン王国から遠く離れた前線都市にいる私には、ここから従妹たちの無事を祈ることしかできない。
私の沈痛な姿に、使者も続きをすぐに説明することができず、口をつぐんでしまう。
だが、私は女神の為に身を捧げた。
いつまでも狼狽えて、立ち止まっているわけにはいかない。
「使者殿、話を続けてくれ」
そして使者の話は再開される。
勇者召喚の成否は不明。
エベン王国からあふれ出したアンデッドの大軍は、瞬く間に周囲の国へと広がり、10にも及ぶ都市国家が壊滅した。
「予想外の場所から
それどころか、アンデッドの軍勢は見渡す限りの平原を埋め尽くし、ゆっくりとですが、聖都の方角へ向けて進み始めたのです」
「では、聖都が戦場になるというのか!?」
「はい。アンデッドの侵攻速度が遅いため猶予はありますが、それも時間の問題です」
「クッ、女神様の聖地たる聖都が戦場になるなど、あってはならぬことだ」
「そうです。まして、彼の地が魔族の手に落ちることなど、絶対にあってはなりません。
女神様の忠実なる信徒である聖騎士殿には、一刻も早く聖都へご帰還いただきたい。
我らの聖都が、万が一にも魔族に蹂躙されぬために」
もはや、この都市で魔族相手の防衛戦を行うどころではなくなってしまった。
私は女神教の最大の聖地である聖都を守護するために、この地を離れ、聖都への帰還を急いだ。
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