第32話 私の心臓はよく持っていると思う


 私たちは、地下階から元いた部屋に戻ることになった。



 バーピィが居なくなってしまったのをいい事に、ヤーグ爺さんは本格的にお茶の時間にしようと提案した。曰く、「一息つかんとやってられんじゃろう」と。


 みんなぐったりしていたようなので、確かにそれを有難いと感じたようだ。


 そう言えば、そろそろお昼の時間帯なのかもしれない。



 ヤーグ爺さんに呼ばれてやって来たのは、爺さんに負けじ劣らずヒゲもじゃのドワーフ(!)だった。爺さんにはニルスと呼ばれている。


 小さいけれどもゴツい手で器用に茶器を扱い、小さな卓上コンロのようなものに火を入れ、私たちが囲むローテーブルでお茶を沸かしてくれた。その間に一度いなくなったかと思うと、焼き菓子と何かのドライフルーツを持って帰って来て、慣れた手つきで全員に配膳してくれる。


「有難う御座います……。」


 ソーサーに茶菓子を乗せたお茶を受け取りながらお礼を言う。すると一言も声を発していない彼は、ヒゲの上にある頬をぐっと押し上げて目を細め、笑顔を返してくれた。……やだちょっとときめいちゃったし。小さいのに厳ついおじさんで、かと思えば目元のシワを深めて紳士的に微笑まれるとか色々ギャップが凄い。


 つい先程まで感情の渦に流されてべそべそ泣いていた私は、小さな親切と甘いお菓子と温かいお茶に、確かに癒されていた。



 しかし部屋の中の空気は重いままだ。


 私の隣にピッタリついてくれているおギンちゃん以外のメンバーの表情は硬い。誰も何も喋ろうとしない。


 しばらく、茶器のぶつかる小さな音以外は何も聞こえてこなかった。




「さて、どうするかのぅ。」


 ため息混じりではあったが、先陣を切って沈黙を破ったのは年長者のヤーグ爺さんだった。


「色々と、突拍子も無さすぎるわい。」

「……そうですね。全くその通りです……。まさか、あのようなものが存在し得るなんて……。」

「逆でしょ。」


 アレクさんの言葉を遮ったのは、サーシャさんだった。


 逆?


 どう言う意味だと言う視線を一身に浴びるサーシャさんは、一人用のソファーのようなふかふかの椅子に、ずり落ちそうなほど深く座ったまま動こうとしない。お腹の上には空っぽのカップとソーサーが乗っている。物思いに耽っているような表情で誰とも視線を交わさないまま、言葉を続ける。



「『あれ』が居るから俺らが居る……その順番の方が正しい。そういうもんでしょ。『あれ』って。」



『あれ』、とは、私が呼び出したガラス球のことだろうか。



 いや。


 きっと、それの母体の方のことを言っているのだろう。




 私は確かに、事前に『創造神』という言葉を使って説明した。


 サーシャさんの言葉は、それが真実だと認識した、ということなのだろう。




「……あれが『根源』ということですか……。」

「さぁ、その子の話だと、オマケみたいなもんなんでしょ?その一部ってことじゃない?」

「……私を作る組織のひとつひとつが、こんな事はあってはならないと叫んでいるようでした……。」

「ぷぷプー!何さマー⁉︎」



 なんだか物凄くシリアスなセリフだった気がするアレクさんの言葉を、おギンちゃんは笑い飛ばしてしまった。え?そこ笑うとこ???



「ちーっチゃいねェ人間ハ……。おとか、気にシないデいイよぉ。コの人たち、優秀だト思ってル自分たチに理解できなイものノ存在を、許せなイだけだかラ。」

「……はぁ?」


 私に寄りかかりながら言ったおギンちゃんの言葉に、あからさまに気分を害されたのはサーシャさんだった。


 がしゃん、と、サーシャさんのお腹に乗っていたカップとソーサーが落ちる。割れはしなかったが、それをサーシャさんが気にしている様子はない。立ち上がった彼の服や髪が、何かに煽られるようにゆらゆらと揺れている。


「お前こそ何様なんだよ。呼ばれもしないのにノコノコやって来てしれっと参加していやがって……。東の代表だがなんだかしらねぇけど、てめえの出る幕じゃねぇんだよ。黙ってろよ半人が。」


 ひえええ美少年の威圧感怖いっ。なんか出てるしっ。オーラ?覇気?向けられてるのはおギンちゃんなんだけど私ほぼ同じ方向だからっ。口悪いし怖い怖い怖いっ。


「サーシャ!やめなさい。」

「おーこワ。本当のことヲ言われタから切レちゃうの?お子ちゃマだねぇ。見た目ト器だけじャなくテ中身モちっちャいんダ。」



 内心、私は叫んでいた。



 っぎゃーーーっあんった何言ってやがんのっ⁉︎ せっかくアレクさんが宥めてくれてるのに何故また煽る⁉︎


 サーシャさんの目が怒りに見開いたのが見えて、私は思った。




 あ、やば。




 サーシャさんの掲げた手の先に、彼の瞳と同じ色の魔法陣が浮かび上がる。それと同時に、ギンは片手で私を抱き込んだ。もう片方の手の指を、複雑に曲げて眼前に据えて。まるで、印を結ぶ陰陽師みたいに。



 ヤバイ。




 来たるべき衝撃に備えようと、反射的にぎゅっと目をつぶった。







 バッッシャアァァァッ!







 と、聞こえてきたのは予測していたのとは全く違うが、盛大な効果音だった。





 怪訝に思いながら恐る恐る目を開ける。




 手の届く距離の何もない筈の空間に、ガラス面を滑るような水滴がいく筋も見えた。



 そしてその向こうには、ずぶ濡れのサーシャさんが立っている。ポタポタと、ローブの袖や髪から床に落ちる水滴。



 水?



 見ると私たちの周りも、床が円形に濡れていた。……これはひょっとすると、おギンちゃんは結界みたいなものを張ったのか?……多分サーシャさんからの攻撃に対する防御のつもりだろうけど、水攻めにも有効だった模様。



「……イリヤ、てめぇ……。」



 サーシャさんが低く唸るように言いながら、濡れて張り付いた前髪の隙間から睨んだのは、こちらを見てすらいないイリヤさん。この水は、イリヤさんが魔法で出したのか?


「……わたし、はやくかえりたい。」

「あ゛ぁ⁉︎」


 可憐な声でぶっちぎりにマイペースなことを言ったイリヤさんにまで、噛み付こうとするサーシャさん。


 次の瞬間、ぶわりとサーシャさんを風の渦が包んだ。


「⁉︎」

「……全く、イリヤの言うことももっともですよ、サーシャ。貴方だってここにいつまでも居たくはないでしょう。頭は十分冷えましたか?」


 ぱたん、と本を閉じるアレクさん。今の風はアレクさんの魔法らしい。あっという間に乾いた髪と服とを手で整えながら、サーシャさんは舌打ちしている。……この子態度がでかいっていうかもうヤンキーだな……。


 ……風が得意なのはグイリアさんっぽいけど、我関せずだな、彼女は。と、腕と足を組んでつんと座るグイリアさんを横目で見る私。




「……オトカさんが持っている能力は、確実に私たちがものです。魔族の見届け役が居なくなってしまったのは想定外ですが……話を先に進めましょう。」

「話?そんなの答えはわかりきってるだろうが。」



 びし、と私を指差してサーシャさんは言った。




「こんな危なっかしい存在、さっさと消すべきだ。」





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