第18話 異世界ききいっぱつ
物事はそう簡単に上手くいかないもので、最初の成功はビギナーズラックだったようだ。
街を歩き回って、他の二件の八百屋さんらしき場所で声をかけたのだが、相手にはして貰えなかった。
片方は取引先は決まってるからと丁寧に断られたが、もう片方には商売の邪魔をするなと厳しめに追い払われた。ううう、怖かったよう……。また路地でちょっと泣いたし。
最初のおじさんの優しさが、今になって身に染みる……。
今日は、このくらいで引き上げた方が良いかもしれない。
正直、また別の八百屋を探しに歩く気力はもう無い。この木の実がここで知られているものでは無い以上、直接道行く人に売るわけにも行かない。一旦戻って、またこの世界の翌日に仕切り直した方が良いだろう。
考えてみれば、この世界に来て衝撃続きだ。時間の感覚が分からないし、神殿で気絶していた時にどれだけ寝ていたか分からないが、心身ともにもう限界が近い気がする。
未知の存在と遭遇し、荒野を歩かされ、ドラゴンから逃げ、訳の分からないスキルの取得に戸惑い、ジャングルで果物を運び、巨大な神獣と出会い、初めて来た場所でビジネスを始め……。なんだか今までの人生でのイベントの無さのツケが一気に支払われてる気が……ううう分割で良いのに……。
路地の入り口でしゃがみ込んだまま、木の実の包みの中に放り込んでおいて底の方に入ってしまった硬貨を取り出してみる。
日本の一円玉より小さい硬貨は、色味はくすんだ銅色だった。あ、刻印がドラゴンみたい。文字は書いてないな……。国名とか書いてあると良かったのに。
今の私の全財産は、この硬貨8枚だけ。恐らく、野菜か果物一山分の値段しかない。……
出来れば、お風呂に入ってふかふかのお布団で寝たかった。だけどこれじゃあ宿にも泊まれない。
「雑魚寝するしかないかぁ……。」
あの何も無い六畳間の時空に横になるしかないと実感して、私はひとつため息をついた。うー、安息の日々が遠いよう……。
この世界では学なしコネなしの私。安全にお金を手に入れる方法としては、私の時空を介して移動した場所の産物を売る事くらいしか思いつかなかった。
しかしこの世界のマナーも習慣も常識も分からないままで商売など、無謀にも程がある。分かってはいるのだが、他に出来ることが思いつかないのだからしょうがない。
……スコルティ様の神殿にあったお宝を売れば一番手っ取り早い気がするけど……。なんかそれはやっちゃいけない気がするのだ。もしそれをしなければならないのなら、本当に最終手段にしたい。
好きに使って良いってスコルティ様は言ってくれたけど、あの神殿は、スコルティ様と彼を崇めていた人々のものだ。私のものじゃ無い。自分でいくつか使わせてもらっている身ではあるが、他の人に売って利益を得るのはまた別の話だ。やって良いとは思えない。
もしかしたら、あそこで亡くなっていた人たちは、スコルティ様が埋葬したんじゃないか。
ふとそんな考えが浮かぶ。
歌や踊りで煽てられるのも悪くなかったと言い、誰も居なくなった後もあの神殿を守っている。何となく、あの場所に愛着はあるのだと思う。
もしかして、数百年も眠りについていたのも理由があったのかな。
ついさっき、柔らかく微笑んで私を見送ってくれた獣の神様を思い出す。彼をがっかりさせる行いだけはしたくなかった。
「……さて、と。」
よっこらしょ、と立ち上がって、スカートの座りじわを伸ばす。今日はもう、閉店ガラガラだ。マイ時空に帰るために入り口になるものを探さなければならない。
あの酒場まで戻ってドアを使うのも良いけど、何か他に使えそうな物はないか。裏路地なら箱に入れたままの荷物とかありそうな気が……周りを見渡した時だった。
がば、と、何かに口を塞がれた。
同時に身体が浮いて、世界が揺れる。
見知らぬ人間が、私を抱えて走っていた。
「ン〜〜〜〜〜ッ⁉︎」
声を出すことも出来ず、私はただパニックになっていた。何⁉︎ 何⁉︎
私を抱える人間は大きく腕は強靭だ。私なんかが暴れてもビクともしないのが分かる。
瞬間的に、頭に浮かぶ言葉。
誘拐、強姦、人身売買、奴隷……。
身体が恐怖で凍り付いてしまった私は、頭の中で叫ぶことしか出来なかった。
助けて‼︎
『シャーーーーーーーッ!』
「がぁっ!」
耳元で空気が鋭く擦れる音がしたかと思うと、私の拘束が解かれ、次の瞬間には地面に投げ出されていた。
強く身体を打って、衝撃で一瞬身体の自由を失う。直後に痛みを実感した。
「う……。」
地面に叩きつけられた肩を抑えながらなんとか身を起こす。薄く開けた視界にスルスルと白いものが横切って、私の身体を這い上がった。
スコルティ様の蛇。
私の肩に絡みつくと、蛇は鎌首をもたげて口を開け、折り畳まれていた牙をあらわにして威嚇の体制を取る。またあの摩擦音。
その視線の先には、髪と口元を布で覆った男性。
手首を抑えて目を見開き、明らかに蛇に躊躇している。多分、噛まれたんだ。
背負っていたスコルティ様の分身が、私を助けてくれた。
今のうちだ。
私は立ち上がって、一目散に逃げ出した。
周りは八百屋のあった大きな通りより細い道。店舗の裏口らしきところしか無くて人気もない。どうしよう。誰か。
首にやんわりと絡みついている蛇がまた摩擦音を出す。
まだ追いかけられてるんだ。
嫌だ。
行く手に、小さな看板のある店舗を見つけた。
ガラスの窓の中に女性の姿を認めて、私はその店舗の扉の取っ手を乱暴にひねり、中に飛び込んだ。
「助けて!」
中にいたやや露出度の高いグラマラスな美女はもちろん驚いていた。蛇を連れた見ず知らずの女が飛び込んできたのだから当たり前だ。
だけど縋り付く私の必死な様子で、何かを察してくれたらしい。
「お願いです助けて下さい!襲われる!」
それに質問を返さずに、女性は瞬時に表情を切り替えた。私が入ってきた扉を素早く閉めて、ガチャリと鍵をかける。
「こっちへ。トーニー!ねぇ!アントーニオ!」
私の肩を抱いて奥に誘導しながら、女性は大きく声を張り上げた。奥から大柄な男性が姿を現わす。
「どうした。」
「人攫いよ。」
その言葉を聞いて男性は目を見開き、私を一瞥して、だっと駆け出した。鍵をかけていた扉を開けて、路地へと出て行く。
「もう大丈夫よ。安心していいわ。」
女性に背中を撫でられながらそう言われ、私はへなへなとその場に崩れ落ちた。香ってくる香水らしき匂いに、じわりと強張っていた身体がほぐれる。
「ふ、え……。」
一気に緊張が緩んで、涙腺が崩壊しそうになってしまう。怖かった。良かった助かった。
ちろちろと、頬に何かを感じて視線を向ける。
白い蛇が、こちらを覗き込んでいた。
「ふ……えぇえええ〜〜〜。」
耐えられなくなって、私は蛇の細長い身体を抱き込んで泣き出してしまった。
「あ゛り゛がどへびぢゃあ゛〜〜〜ん!」
真っ白な蛇を抱いておいおい無く小柄な女を前に大いに戸惑っているであろう女性は、辛抱強く私の背中を撫で続けてくれた。
その優しさにも安心して、私は更に泣いてしまうのだった。
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