第17話 はじめてのしょうだん


 しばらく通りを歩いて様子を伺った後、私は意を決してある店舗へと歩み寄った。



 一面の扉を開け放して箱を並べ、露店のように様々な形の野菜や果物を売っている店舗だった。



「あのう、すみません……。」


 私の声がけに、店の店主らしき逞しい腕のおじさまが反応する。うおお、近づくとでかい。



「やぁジョーちゃん!らっしゃい!お使いかい?何が欲しいかな?」



 ……キターーーーーっ!言語チーーート!


 試してみなければ分からないと思ってはいたが、実際経験してみると感動する。私にスキルをくれた神様かガイドちゃんが何かしてくれているかもしれないと、予測はしていたのだ。この世界の人間と、問題無く話せる手配を。スコルティ様と話せた時点でその可能性は高いと思っていたが、これで確定だ。


 私今、異世界の人と話してる!


 これで、今この世界でコミュニケーションに手間取る可能性はぐっと低くなった。



 内心の興奮を宥めながら、私はにこりと外行きの笑顔を顔に浮かべる。テレビで見る仕事の出来る人の振る舞いを、必死で脳内にインストールしながら。子供のお使いではなく、商談を求める大人のオンナを精一杯演出しなければ。


「わたくし、乙叶と申します。お忙しいところ申し訳ありません。実は、この品物を買い取って頂ける方を探しておりまして……。」


 と、私は手に持っている方の包みから、一粒の木の実を取り出して見せた。


 指で摘めるほどの大きさの楕円体。色は、艶やかな紫と白のグラデーション。



 私が食べ過ぎて、ハイになってしまったあの木の実である。


 あの保管庫に集めたものの一部を、私はショールに包んで持って来ていた。



「……なんだい?そりゃあ。」



 眉根を寄せて、首をかしげるおじさん。……くっ、認知されてる食べ物じゃ無かったか!ここ、結構あの森から近い場所のはずなんだけどな。


 しかしそんな可能性もあり得るとは思っていた。ここはすかさずプランB。


「こちらは、私の故郷では滋養のつく食べ物として有名なものです。中身は……ほら、こんな色で。とっても甘くて美味しいんですよ。」


 スコルティ様のいた神殿で手に入れた小さなナイフを取り出して、やはり一緒に見つけた手巾の上で半分に切って見せる。中心にあるタネと、白くみずみずしい果肉があらわになった。


「良かったら、味見してみて下さい。どうぞ。」


 と、切ったものは自分の口に放り込み、新しい粒をおじさんに差し出す。食べても安全ですよアピールしながらの試食販売だ。我ながら、初めてにしては度胸のある振る舞いが出来ていると自負したい。今後の自分の生活がかかっているのだから、全力でセールスウーマンを気取りますぜ!



 おじさんはためらいがちにゆっくりとその木の実を受け取ると、目線に掲げてしげしげと眺めた。うんうん、なかなか見た目も綺麗でしょ?


 試しにちょっとだけ、端っこをかじってみるおじさん。うん、わかる。初めては慎重になるよね。


 もごもごと口を動かして探るように味わっているおじさん。私はタネを手巾の中に吐き出して、にっこり微笑みながら更に一言。


「食べ過ぎると元気になり過ぎちゃうので、気をつけて下さいね。」


 ぐ、と吹き出しそうになったおじさんは、口の中のものを飲み込み終わると大声で笑った。よっしゃ!笑いは会話の潤滑油!


「がっはっは!そりゃあいい!こちとら元気はいっくらあっても困らねぇぜ!なぁ母ちゃん!」


 奥で商品を仕分ける作業をしているっぽい、ふくよかな中年女性の方を振り向いて声をかけるおじさん。奥さんかな?女性の方は胡散臭そうな表情のまま、作業の手を止めない。そして無言。うう、そうよね……。仕事中に旦那さんが若い子と無駄話してたらウザいよね。でもこっちも生活かかってるの!ごめんなさい!



「どうですか?」

「ふむ……まぁ、悪くはねぇな。」

「でしょう?腹持ちもとっても良いのですけど……申し上げたように滋養のとても良いものなので、食べ過ぎるのはお勧めできません。何事も、ほどほどが良いと言いますでしょう?」

「あんた素直だね。沢山買ってもらった方がいいんじゃないのかい。」

「お客様に信頼していただくのが大事ですから。」

「がっはっは!あんた見た目によらずしっかりしてるねぇ!ちっせぇじょーちゃんだと思ったら、いやこりゃたまげた。」



 陽気に話してくれるおじさんだったが、そこで考え込むような仕草を見せる。


「……まとめて買い取って、ここで売って欲しいんだろうが、なんせ知名度がねぇからなぁ。この実はなんて呼ばれてんだい。」

「この地方での呼び方は存じ上げないのですけど……私の故郷ではムロの実と呼ばれていますわ。私、母がこちらの出身でして、つい最近こちらに来ましたの。」


 と、ハッタリをかます私。嘘をつくのは気が進まないが、いきなり「異世界から来ました」とか言ったら相手にして貰えないのが明白なのでやむを得ない。


 ちなみに実の名前は適当。らさき色と、し色から。……安直だよ知ってるよ。


「ふぅん……まぁ、取り敢えずはザル一杯分くらいなら買ってやってもいいぜ。ここで売るには得体の分かってるもんじゃなきゃならんし、すぐには難しいよ。」


 申し訳なさそうに言うおじさん。しかしそれも想定内である。そりゃ、この後お腹を壊す可能性も無いとも限らない未知の食べ物をさっさと売りに出すような事は商売人として出来ないだろう。むしろ、お試しで買っていただけるなんて何というご好意。おじさんありがとう!


 あと、出身地の追求しないでくれてありがとう!



「とんでもありませんわ!少しでも買っていただけるだけで十分です!」

「ほれ、このザル一杯でどうだ。いくらだい?」


 と、おじさんは丸い手のひらサイズの竹かごのようなものを差し出してきた。木の実が入っている包みを解きながら、私は返す。


「おいくらでも、そちらにお任せ致しますわ。」

「へぇ!太っ腹だねぇ!」

「まずは皆様に知っていただきませんと。」

「じゃあ、五枚でどうだ。」

「……もうちょっとだけ、どうにかなりません?」


 と、上目遣いで小首を傾げる私。これもハッタリだ。この地域での物価なんか知らないが、あくまで今後のビジネスを考えて、である。余りにも安く見られても困る可能性がある。


「がっはっは!しっかりしてらぁ!商売上手だねぇ、じょーちゃん。いやぁ参った。こっちが勉強させられちゃあたまんねぇな!ほらもってけ。大サービスで八枚だ!」

「ありがとうございます!」


 調子の良いオンナを演じて、私は笑顔で返す。包みの中から小さなザル一杯分の木の実を渡して、何度もお辞儀をしながらその場を去った。


 奥の女性からの視線が痛かった。






 しばらく歩いた後、私は建物の間の路地へと足を踏み入れた。


 人気の無い場所で、壁に手を付き、大きく息を吸って吐く。


 足は震えていた。






 ……きっ。



 きっんちょーしたぁあああああっ!





 ばくばく言っている心臓を抑えながら、私は深呼吸を繰り返した。目からは涙が滲み出てくる。


 緊張した!緊張した!きーーんちょーーしたーーーっ!


 あー怖い!ぜんっぜん知らない人に話しかけるの怖い!しかも嘘八百並べて!あーもー二度とやりたくない!


 ……やらざるを得ないけどっ。




 持病のせいで、普通の生活は送れない人生だった。


 学校を卒業するのがやっとで、普通の仕事にはつけなかった。


 当然、セールスパーソンの経験なんかあるわけが無い。


 さっきの会話は、私の精一杯の虚勢だった。




 この世界に、頼れる人間は一人もいない。社会の仕組みも文化も、何一つ分からない。生活を保障してくれる仕組みなんて、もちろんあり得ない。


 ここでは私は、自分で自分を支えなければならなかった。


 ……営業の人って凄いんだなぁ。と、私は、本やテレビでしか義体験したことのないサラリーマン生活を思い返して、今となっては以前よりもっと遠い世界の戦士たちに尊敬の念を送った。




 ちょっとだけ泣いてから、私はまた、通りへと歩き出した。



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