第4話

 火炎砲台カタパルトが吐き出す油煙で、陣は黒くかすんで見える。

 守護生物トゥラシェ が怯む唯一の武器は、炎だ。

 油をつめたたるに、火をつけた火口ほくちを突き刺し、石投げ器の要領で敵に向かって投擲とうてきするもの。金輪で締めた筒に、ふいごで空気圧をかけ、噴霧させた油に火を放つ、放射器様のもの。

 その双方を、陣では火炎砲台カタパルトと呼んでいた。

 対守護生物トゥラシェ戦の様式は何十年も以前から変わっていない。

 守護生物トゥラシェはとんでもなく狂暴で、容赦のない敵だが、しょせんはけだものにすぎず、その本性は馬並みに臆病だ。

 火炎砲台カタパルトの炎に取り巻かれ、体が灼けはじめると、守護生物トゥラシェ は錯乱し、主人の使役に従わなくなる。

 その機を逃さず、荒れ狂う巨体によじ登り、どこかに守り隠されている主人を引きずり出して、頭を叩き割る。

 主人が死ねば、守護生物トゥラシェは戦うことなど忘れて、のんびりと森へ逃げ帰ってゆく。それで終わりだ。

 ここでの戦いは、ひどく単純で。そして恐ろしい。

 油煙と炎にまかれ、押しひしがれる戦友たちの血飛沫の中を、荒れ狂う巨体によじ登るのに必要とされるのは、経験ではない。己の死に立ち向かう、度胸だ。

 新兵の多くは初陣の、最初の突撃で死んでゆく。

 恐れて立ちすくめば、それきり命運が尽きる。そういう戦場だ。

 十四の歳にジンが初陣に臨んで以来、四年の年月が過ぎ去った。

 初めは真っ向から参戦に反対していたスタンフォードも、最初の突撃から生きて戻ったジンを迎えてからは、くどくどと引き留めるのをやめていた。

 あちこち焼け焦げ、肋を二三本折って戻った陣中で、手当され安全な寝床に匿われても、体の震えはまる一日消えずに続いた。

 恐ろしかった。

 寝ても覚めても、その恐怖が脳を浸し、どこを見ても、守護生物トゥラシェの銀色の眼が自分をとらえているような妄想にかられた。

 その眼を部族領から駆逐しなければ、安穏な日など二度と来ないような気がした。

 戦わずにいられない。

 逃げ場のない恐怖には、自分から立ち向かっていくほかはない。

 この辺境へ、幼い自分を追いやった父のことを、怨みに思う事もある。

 権力を争う都の闇の中で、寵愛の妾妃であったジンの生母が、何ものかの謀略によって毒死したことで、父は貴族たちの怨念を知った。

 その謀略は、実は父自身に向けられたもので、母は身代わりに毒杯を受けたのだという者もいる。あるいは、大貴族の娘であった正妃を父が蔑ろにしたことが、醜い嫉妬を煽ったのだと。

 背後に渦巻くものが何であれ、族長は大貴族たちの懐柔をはかるため、妾妃の生んだ息子たちを都から追放した。

 百花に華やぐ海都から、この血泥にまみれた戦場へ。ここは、ジンにとっての流刑地だった。

 しかし、戦場に立ち、突撃を待って震える兵の群れの中にいると、ジンには彼らが血の繋がり以上のもので繋がれた、家族に思えた。

 この戦場に繋がれている。ここが故郷だ。

 銀の眼にみつめられる悪夢は、おそらく、何ものかがこの頭蓋を踏みつぶすまで、醒めはしない。殺すか、殺されるかという、果てのない狂乱に、きっと心のどこかで、自分は酔いしれているのだ。

 族長も、さすがは血を分けた父。おのが息子を知り、いかにも相応しい牢獄を選び出したものだ。

「わずかですが、圧されてます」

 戦列後方で戦況を見ていたスタンフォードが、冷静な声で状況を告げている。

 それを片耳で聞きながら、ジンは樽の手桶から水をあおっていた。

 前線から戻ったばかりで、喉が灼けそうだった。

「右翼にでかいのが一つ、暴れ回ってやがる。そいつが他の守護生物トゥラシェを率いてるようです。気合い負けでさぁ、志気を上げねぇと」

「森で見たやつか」

「いいえ。別のやつのようです」

 煤がしみて、紅く染まった目に、残った手桶の水を浴びせかけてから、ジンは髪を振り、スタンフォードがのぞき込んでいる、指揮卓の上の布陣図に片腕をついた。

 小さな寝台ほどもある紙の上に、茶色がかったインクで地形が描かれ、戦線の背後には黒く塗りつぶされた森。戦場のそこかしこに、守護生物トゥラシェを示す赤い円形の駒が置かれている。

 駒の大きさは守護生物トゥラシェの規模をあらわす。右翼に、大きな赤い一点があり、それを囲むようにして、いくつもの守護生物トゥラシェが配置されていた。

 伝令が前線から戻るのには、いくぶん時を要する。配置はすでに変わり始めているだろう。

 布陣図の上には、予想進路を示す青い輪が幾つか置かれていた。守護生物トゥラシェはばらばらに行動しているように迷走するが、長い目で見ると、司令塔の役目を負った守護生物トゥラシェに率いられている。

 進路は司令塔の行き先とおぼしき方向を示している。

 その予測に従って、兵と、火炎砲台カタパルトを配置し、敵を迎撃する。もしも予想が外れれば、前線は乱戦状態となり、守護生物トゥラシェをうち倒せる望みは極限まで薄くなる。

 経験と、それによる勘が、指揮官には要求された。

 スタンフォードは少年兵のころから、この戦場で戦っていた男だ。忌み嫌う守護生物トゥラシェのことを、なにより良く心得ている。

 それゆえ、族長は全軍の指揮権をスタンフォードに与えていた。

 ジンはこの戦場の、どんな指揮系統にも属していない。ただここに幽閉されているだけで、一兵にすら命じる権利は持っていなかった。それが父である族長の仕打ちだ。

 しかしスタンフォードは、大群の指揮をとって守護生物トゥラシェと戦わせるための、もっとも効果的な方法を、身をもってジンに教えてきた。息子に剣を授ける父親のように。

「右翼へ行く」

 布陣図を頭に叩き込み、ジンは気を奮い起こした。抜き身のまま指揮卓に放り出していた両刃の長剣は、すでに血脂で曇りきっている。

「殿下、さっきから顔がイッてますぜ。血に酔って深追いせんでくださいよ」

「わかってる」

 鞍に飛び乗ると、愛馬エスランガは志気に感化され、それだけで激しくいなないた。

「汝、死を恐れるなかれ《アフラ・トゥルハ・ネイン・ヴィーダ》!」

 前線の兵に突撃を命じる古語が、あたりに響き渡った。

 敵陣へとなだれ込む兵たちのときの声を横様に聞きながら、ジンは戦線にそって右翼を目指し、愛馬を疾走させた。

 突撃を生き延びて戻り、青ざめて後方に転がっていた年端もいかない新兵たちが、こちらを見て火が入ったように、立ち上がってジンの名を叫びはじめる。

 右翼は目に見えて意気消沈している。

「殿下だ」

 剣の柄を握ったまま、疲労で座り込んでいた兵たちも、族長の息子の顔を見ようと立ち上がった。

「兵に水をけ」

 馬上から飛び降り、丸太を組みあげた望楼の上にいる者たちを見上げて、ジンは告げた。

 隊列に水を浴びせるのは突撃の準備だった。火炎砲台カタパルトから吹き上げる熱気と炎から身を守るため、部族の兵士たちは、髪から水滴を滴らせるほどに水を浴びせられるのだ。

 ジンの到着を待ちかまえていたかのように、前線近くに配置されていた放水櫓やぐらが水を吐きはじめた。豪雨のように水滴が肌を打つ。

 馬を降り、悲鳴とも雄叫びともつかない声をあげる人垣を押しのけて、ジンは最前線の見える隊列の先頭へと割り込んだ。

「どうした兄弟、怖いのか?」

 背中をまるめていた兵の肩を、ジンが抜き身の剣を握った腕で小突くと、周りから緊張した笑い声があがった。

「司令塔の守護生物トゥラシェはどこだ、そいつに何人殺られた?」

「あいつです」

「畜生」

「殿下、あの化け物野郎が、仲間をまるごと食いやがった」

 大の男が泣き笑いする顔も、ここでは特別珍しいものではなかった。

 兵たちの指差す方向に、目を疑う、巨大な山猫がいた。

 三匹。いや、一匹。

 山猫の頭を備えた三つの上半身と、百足むかでのような殻でよろった、昆虫の下半身を持っているのだ。

 山猫の三つの顔には、それぞれ一つだけの銀色の目が開いている。

 その瞳が炎に照り映えるのを見て、ジンの脳裏に焼けつく酸のような恐怖が湧いた。柄を握る指に、思わず力がこもる。

 凍るような恐怖が、戦意にとろけて脳を浸してゆく、その感覚は、身のうちに拡がるにつれ、急激な喜悦に変わった。

「あいつを殺せ、仲間の仇だ」

 血に曇る剣をあげて、ジンは山猫の目を指し示した。

「あの悪霊を操ってるやつの、頭を叩き割ってやれ!」

 縋り付くような同胞の青い目のひとつひとつを、ジンは見つめ返した。

 煙に充血した目のどれもが、酔ったような高揚をうつしとり、水を浴びた兵たちの呼吸があがっていく。

「突撃するぞ」

 見つめた戦線へと歩兵たちが向き直る。

「……汝、死を恐れるなかれ《アフラ・トゥルハ・ネイン・ヴィーダ》」

 囁くような独語が、あたりから口々に漏れ聞こえる。それは祈りの声だった。

 突撃準備を命じる銅鑼の音が、聞き慣れた間隔で最前線の空気を震わせた。

 この場の殺気に酔い始め、我を忘れかけている自分を、ジンは感じた。戦意のみなぎる頭の芯が、痺れたようにぼうっといている。敵の頭を叩き割って、血まみれの脳髄を引きずり出すことしか考えられない。

 恐怖する兵たちに紛れ、憎しみに身をまかせると、このまま一歩兵として戦場に斃れることに悔いはなかった。海都が遠のき、父の顔が遠のいた。

 音高く銅鑼が打ち鳴らされる。

「アフラ・トゥルハ・ネイン・ヴィーダ!!」

 やぐらの上からいくつもの声が激しい言葉で突撃を命じた。

 隊列は戦場へと突撃を開始していた。

 目指す先には火炎と黒煙がうずまき、その空気を切り裂いて現れた守護生物トゥラシェの赤黒く巨大な昆虫の足が、つい先刻口をきいたばかりの男を引き裂き弾き飛ばした。

 走っているような実感がしなかった。

 しかしジンは顔を流れ落ちる水滴が、なびく髪をつたって、はるか後方へと舞い落ちていくのを感じた。戦場の興奮が恐怖を凌ぎ、熱気と愉悦が、すっかり意識を乗っ取っている。

 火炎砲台カタパルトからの攻撃で、山猫はほとんど錯乱状態にあった。

 ただ暴れ回るばかりの巨体は、それだけでも脅威だ。

 よじ登ろうと剣をくわえた兵が何人も、殻を持った守護生物トゥラシェの脚にはりついている。

 足場として突き立てられた鉄のくさびに痛みを感じるのか、守護生物トゥラシェは身をよじり、山猫の上腕をふるって、とりついた兵たちを叩きつぶしていく。

 巨大な銀の爪に首をとばされた兵の体が、よろめくように天を仰いだ。

 今だ、と呼吸をとめる自分自身の合図が、脳裏の奥深くから聞こえた気がした。

 その瞬間にはもう、ジンは跳躍していた。

 踵をはじきかえす、仲間の死体の感触が、ジンを空中へ跳ね上げた。

 山猫のからだにかけられた、かぎのついた梯子はしごが、弾き飛ばされずに残されている。

 その先には堅い毛に覆われた守護生物トゥラシェの背が。

 思い悩み考える必要もなく、次々にとるべき一歩がジンの脳裏に湧いた。

 波打つ背に這い登ると、山猫の体が分かれる付け根のあたりに、薄く半透明な半円の殻があり、炎を透かせて、その中にぼんやりと人影が浮かびあがった。

 急所に這い寄る何者かの気配を感じて、守護生物トゥラシェはなおいっそう激しく身をよじり、戦場をのたうち回る。

 ジンは半透明の殻に手をのばした。そこにこの守護生物トゥラシェの主が守られていることは間違いがない。

 ねばつく薄い隔壁は、剣の切っ先を使ってこじ開けると、殻というより膜のように、やわらかな感触でふたつに裂け始めた。

 獲物はもう目の前にいる。

 その血を見たいばかりに、そのほかの何もかもが恐ろしくなくなった。

 円の中に座っていた、長い金の髪に覆われた白い顔は、ぼうっと意識を喪失しているように、うつむき、揺れる守護生物トゥラシェの動きに体を傾がせながら、ゆるく固まった粘液の中に沈んでいた。

 武装もなく、華やかな衣裳と装身具をまとった、華奢とも思える敵の肩を、ジンは血と油にまみれた手でつかみ、金色の頭を割るため、その座から引きずり出そうとした。

 手が触れ、粘液の中から引き出された瞬間、生まれたばかりの赤子がそうするように、森からの侵略者の細い喉は、大きく息を吸い込む、悲鳴のような引きつる音をたてた。

 金色の睫毛にふちどられた、侵略者の大きな緑色の目が、悲鳴とともに人並みの表情を取り戻す。

 それは恐怖の顔だった。

 殺意に溺れ、剣を振り上げた、血まみれの敵を見ている顔だった。

 次の瞬間に起きる出来事を覚悟し、青ざめた白い顔がきつく目を瞑った。

 女だった。

 ジンは息を呑んだが、渾身の力をこめた剣は止まらなかった。

 長剣は唸りをあげ、娘盛りの美しさに輝く白い額に、深々とめりこんだ。

 うす青い瞼を伏せたまま、女は血と脳漿を辺り一面に飛び散らせ、なにかを叫びたそうに唇を開く。

 しかしそれは声にはならなかった。

 命を失った森の娘の肉体は、ごろごろと守護生物トゥラシェの背を転がり、油にぬかるんだ戦場の地面へと落ちていった。

 守護生物トゥラシェは、ぽかんと魂が抜けたように、突如として動きをとめた。

 そのまま時の流れも止まっているかのように思えた。

 落ちてきた敵の死体を、踏みつけ嬲る兵たちの憎悪の声が聞こえる。

 足下が蠢き、森を振り返ったのに姿勢を崩して、ジンは守護生物トゥラシェの背に座り込んだ。

 ついさっきまで生きていた、あの娘の白い顔は。

 シェレネに、似ていた。

 見下ろすと、その場に残された血飛沫の中に、敵の娘が髪に挿していた、一輪の花が遺されている。

 それは白く、透きとおるような、はかない、花だった。

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