虚無の再現
柏木祥子
虚無の再現
顔かしてよ、と言われてついていってみると、今日付き合ってよ、と、体まで要求される。
「いつぶりだっけ?」と言う彼女は軽口のようで軽口でなくて、けれど、私は特段に抵抗する気はない。
昔は仲良かったから、っていう、そんなのはきっとノスタルジーにもならない、ただ義理のようなものだけれど、私はそれに逆らう術を持っていないから。
突き動かされることなく。兎にも角にも、今日は通学路の反対に歩く。
「なんでつるまなくなったのかな」
「友達が出来た」
「ああそうか」
サボテン、と少し前を行った彼女が私の名前を呼んだ。
「まだそう呼ばれてるよね」
「呼ばれてるね」
「なんでそうなったんだっけ」
「背が高かったから」
「今何センチある? なんか頭二つ分ぐらい違うように見える」
174か、5㎝ぐらい、と答えると、彼女はわざとらしく、おお、と感嘆した。私はあの時は170ないかぐらいだったのだ、と思い出し、苦い気持ちになった。生まれてこの方、背が高かったことで得したことは、残念ながら、ない。
私はその話をしたくなくて、ずっと後ろに行った校舎を見て、なんで今日誘ったの? と訊いた。
彼女は愉快そうに笑って見せた。
「あのねえ、私の両親って、どっちも不誠実なのよ。不貞働いちゃってるの」
「そうなの?」
「そうなの」
「なんでわかった?」
「会ったから」「相手と?」「そう相手と」
どっちの? とまで訊く気にはならなかった。
「それが……」なんで私と関係があるわけ? と途中まで出かかったが、止める。そんなの分かり切ってる。私を連れて行こうとしているのだ。訊くなら何故と言うべきだろう。
「サボテン、背が高いし、強そうだから。私ってちんちくりんじゃない? 貴女と比べると。向こうと比べてもそうなのよ」
ということは行くのは父親のほうなのだろう。
「だからまあ、威圧を込めて、というか。だってそう思うよね。私一人で言っても嘲笑われるのがオチだと思うけど、なんの関係もない第三者がいれば、少しは罪悪感も抱けようというものでしょ」
「まあ、確かに」
「でしょう」
彼女が大して得意でもなさそうに言う。
昼間だったが、風は吹いておらず、しかし寒く、季節が冬になっていることを改めて確認する。通学路は、しかし、すでに外れて、辺りには私たちと同じ服を着る同士たちの姿がは、疎らになっていた。広い田園と、脇に、アスファルトで舗装された車道があった。このアスファルトを辿っていけば、少し先に海がある。
「国道から行ってもいいんだけど、海のほうに出て、遠回りになっちゃうから。農道を通って行きましょ」
父親は相手の家に通っているのだ、と彼女が言った。ずっと先の、山沿いを切り取った崖に、居を置いているらしい。
「足元がちょっと悪いけど、ま、いいでしょう」
私は頷いた。
肩にかけた鞄を持ち直した。
田んぼと田んぼの間につくられた畦道と、アスファルトの境界線をあっさり超えて、私たちはまた歩き始めた。
「前のことって、どれぐらい覚えてる?」
彼女がまた、そんなことを訊いた。
「前って?」
「サボテンって呼ばれる前」
「憶えてるよ。地続きだもの」
「そりゃそうか」
「あの時って、どんな感じだった?」
「どの時?」
「わかるでしょうに」
私はふん、と鼻で息をついた。
「ものすごく、わけがわからなかったよ。私はなんというか、みんなが何について話してるかわからなかった。私は背が高いから、で始まって、背が高いから、あんまり恋愛ができない、って続いた。それで、でも、恋愛はしたくて、となって、できれば、自分より背の高い人が良い、っていうとこに行って、でも私はあんまり男子と仲良くなかったから、そういうことを素直に言えなくて……とにかくみんなが私について話してるわけじゃないってわかったときにはもう大体終わってて、後は私が決着をつけるだけになってた。決着って言うのはつまり、そういうこと。大体知ってるでしょ」
「その辺りは、まあ」
「私はまったくよくわかってなかったから、ただただ気持ちが悪かった。あいつ、私より背がずっと高かった、あの、奈良ね。知らないってホントダメ。一方的な感情って、どんなものでも、強ければ強いほど、怖いものだよ。でも私、知らなかったから。奈良に告白されて、はじめて奈良が私を好きだったんだって知った。周りはそうは思わなかったけど」
「私も思ってなかったよ」
「知ってる。それで、私は奈良に私は好きじゃないと返したんだけど、信じてもらえなくて、そう、奈良だけじゃなくてみんなにね。奈良くんは人気者だよとか誰かに取られちゃうよとか言われたけど、好きじゃないのは仕方ないし、そういうなら自分が告白すればいいじゃない? って思ってた。でも誰もしないし、そうこうしてるうちにまた、奈良に告白されて、また断ったら、あいつ、めちゃめちゃ不機嫌になったんだよ。それで、ちょっと考えた感じになって、今度は猫なで声で大丈夫だ、とか言うの。大丈夫だ、今さら君を責める人なんていないって、正直、この言葉については今でも意味がわからない」
「ここって、あんまり来てない気がする」
彼女が遠くに佇む建物を見て呟いた。
「私は来たことある」
「なにかあるの? 車で通ったことはあるけど、ただの通り道って感じ」
「国道沿いにね、ちょくちょくと、古い店があるよ」
駄菓子屋とか、と口元で言う。
ああ、と得心いった風に。
「好きだったもんね。そういうの。なんて言ったっけ」「すもも漬け」「そうスモモ漬け」
彼女が轍を飛んで避けた。
「あれは私苦手だった。酸っぱいんだもの」
「酸っぱいもの苦手だった?」
「そうよ。憶えてないの?」と、悪戯っぽく、唇を尖らせて。「梅ジャムも、スッパムーチョも、グレープフルーツも苦手よ。麩菓子は好きだったけど」遠くのほうに、編隊で飛行する渡り鳥が見えた。「ここ何年か食べてないなあ」
彼女は背筋を立て、両腕を上に伸ばした。
「なんだかそういうことばっかりな気がするのよ。身近だと思ってたのに、よく考えたらもうずっと、古いまま更新されてないというか。新しいものが増えると、人は富むんだって、よく言うけど、使わないものが増えるのは、肥えた貧者とそう変わらないんじゃないかしら。私は麩菓子を食べるべきなのかも」
「買いに行きたい?」
「ううん。特に」
「そう」
彼女は腕を下ろした。そして、「お父さんは最初はやってなかったみたいなんだけど」と、話し始めた。
「いやまあ、最初なんて言い方したら、誰だって最初はやってないけど、でもそれでもこう言うのが正しくってね、ようはつまり、お父さんは最初はやってなかったんだけど、途中からそうし始めたの」
「まず、お母さんがやったのよ。お母さんは違うって言うけど、間違いなくそう。やる気があってやったの。偶然そうなったんじゃなく。なるようになってそうなったんじゃなくね。それで、お父さんもそういう気になったのよ。なんとも言えないけど、因果関係としては、そういうことになる。大義名分ってやつかな、それがあるとないとでは、だいぶ違う気がするし、言ってしまうと、それがあるなら、まだなんとかなる気がするし」
「お母さんのほうとも会ったの」
「会ったよ。優しそうな感じだった。多分、実際、優しいんだわ」
「そうなのかな」
「そうよ。そう言っていたもの」
お母さんがね、と言った彼女と目が合った。それで、彼女は少し黙って、今度ははっきりと私のほうを見た。
「女の子が好きなんでしょ?」
「まあ、そう」
「私のこと好きだった? 昔」
「多分好きだったよ」
「今は好きじゃない?」
別に考えることじゃなかった。パッと頭の中に答えが浮かんだ。けれど、あんまり彼女が気にしていないようだったので、私はわざと口を遅らせた。
「嫌いじゃあないよ」
そう。
と、彼女。
私を振り返って、言う。
「昔はよかったって、陳腐だけど、好きな言葉よ。でも嫌いにならないとね」
「そうだね」と声に出して、私は落ちかけた夕日を見るふりをした。
もうすぐ夜になる。
でも問題ない。
このまま歩いていれば、どこかには行きつくだろう。
「まあ、いいんじゃない?」
「なにが?」
「さあ。よくわかんないけど」と、彼女が言った。「そういうことよ」
私と彼女は歩いて、とうとう暗くなった道を、それでも歩いた。とても疲れていた。なぜここまでするのかはわかっていた。本当はそこまでのことじゃなかったからだった。
「なんで女の子が好きなの?」
彼女がこちらを向いて、後ろ歩きになった。
「なんで?」
「なんでかなって」
「気になるの?」
「だって、それ以外は、上手くやってたもの」
「……どうだっていいじゃない?」
彼女の足が止まった。
フッと、息を吐いた。そして、憂いに満ちて、遠くを、私たちが来た道よりずっと上を見やって、それで、しかし、なにも見つけられず。
「帰ろうか」と、彼女が言う。
「帰りたいの?」と、私が言う。
「サボテンはどう? 帰りたい?」
「私はどちらでも構わない」
「強いて、帰りたいかと訊かれたら?」
「帰らなくてもいい」
「そう?」
「うん」
「どうする?」
「どうしようか」
「それじゃあ、しばらくここに居ようかな」
「それならそれでいいよ」
「座るところがあればいいんだけど」
「草の上なら大して汚れないんじゃない?」
私が田んぼの縁に生えた雑草に腰を下ろし、次いで、彼女が隣に座る。
私と彼女は、
会話をして、
会話をして、
会話をして、
会話をして、
(会話をして、終わり)
虚無の再現 柏木祥子 @shoko_kashiwagi_penname
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