第55話 東北のハワイ

眠たげな甘さを含んだ四月の海が、さーさーと静かな波音を立てて白の砂浜をほんのりと濡らすさまを、俺は車の後部座席から眺めている。

そして道路わきの歩道には、ヤシの木が植えられている。


なるほど、そういうことかと俺はようやく状況を理解して軽くため息をつく。


見ている海が、太平洋である点に関しては俺の想像したハワイと変わりがない。


ただ、金村の指すハワイとは、車を2時間弱走らせるだけのなんともお手軽に遊びにいけるハワイであった。


「うわ~。見て下さい太郎さん。海!海ですわ!さすがハワイ、綺麗ですわね~」


金村が隣で窓に齧りつきながら子供のように無邪気にはしゃいでいる。


海ならば、アメリカから日本へ来る際に飛行機で半日近くもその上を飛んでいたため飽きるほど見て来ただろうに、福島の海でここまではしゃげるのはもはや立派な才能である。


「ハワイって、ハワイリゾートのことだったのね」


ハワイリゾート。


福島県のいわき市にある、大型レジャー施設。

市を上げてハワイを推しているいわき市には、関東からのアクセスの良さも幸いしてこのGW期間中も毎年県内外から多くの観光客が集まっている。


ハワイ気分を味わいたいけど、そんなお金も時間もない!という庶民の救済処置として、誰でも気軽にハワイ気分を味わえるいわば「東北のハワイ」である。



「インドア派の太郎さんならば近場の方が良いかと思いまして。それとも、本物のハワイが良かったですか?それならば、急いで手配致しますけれど・・」


「いや、大丈夫です。むしろありがとうございます。本物のハワイなんて行ってしまったら、時間と金を無駄にする自信しかないんで」


普段はどうしようもないアホのくせして、変なところで気の回るのが金村である。


さすが、俺の彼女、良く分かっている。それに、実質タダでこうして旅行に来れているのだから、本当に頭が上がらない。


マジ、金持ちの彼女最強。

ここで感謝の気持ちとして何かを差し出せればよいのだが、如何せん彼女が喜びそうなもので俺が差し出せるものといったら、命しかない。


そういえば俺の命って、現金換算すればどのくらいになるのだろうか。


男性の生涯年収が約2.5億だとして、俺の命もそのくらいの額だと考えれば、桁違いである金村ならばちょっと高めの洗剤を買う感覚で簡単に買ってしまいそうだ。


そう考えるとやっす、俺の命。


「時間と金を無駄だなんて・・・。私の時間とお金は、太郎さんの好きに使ってくれていいですわよ~」


急にスイッチが入ったのか、金村が甘えた声を出しながら肩に寄り掛かってくる。


ああ、可愛い。


君が隣に居てくれれば、あの東京湾だって、僕の中ではハワイの海に匹敵するほど美しく見えるよ。


そんな臭いセリフを心の中で呟いていたら、運転席に座る黒服がミラー越しにこちらを殺意に満ちた様子で睨みつけているのが見えた。


はいごめんなさい調子に乗り過ぎました今すぐ死んできますだから殺さないで。


黒服の物凄い圧を感じながらも、何とか無事にハワイリゾートにたどり着くことが出来たみたいで、遠くに佇む巨大な施設が見えてきた。


白の瓦のような形をした屋根と、その背後にそびえ立つホテルと思われる背の高いビルの数々。


「すごい!すごい!なんて大きな施設なのでしょう」


いや金村に至っては庶民の想像を絶するようなもっとすごい大きな施設を見てきているはずのだけれど・・。


とりあえず目についたものに対しては何でも感動してしまうらしい。


きっと心が淀んでいる人が見れば、嫌味に受け取られてもおかしくないのだが、金村は純粋に感動しているのがとんでもなく澄んだこの瞳を見れば明らかなので、ある意味本当に凄い奴だと思う。



それから数分もしないうちに隣接された駐車場までたどり着き、そこに車を停め、カップルや家族連れ、団体など多くの観光客で賑わう景色を潮の香りを味わいながらしばらく眺めた。

その光景を目にすると、部屋でダラダラするのもいいが、こうして誰かとどこかへ旅行をするのも悪くないと感じる。


「それでは行きましょうか、太郎さん」


隣に並んでいた金村が、手を後ろで組みながら上目遣いで言うと、そのまま施設の方へと駆けだした。


彼女に続いて、俺も走り出そうとしたその瞬間、後ろから尋常じゃない力で腕を引っ張られる。


すぐに振り返ると、黒服が立っていた。


「田中太郎。ここがお前の墓場だ」


「は、はい?!!」


黒服の発言に、当然困惑する俺。

元々俺へ殺意を向けていることは薄々感じていたが、まさかそれを面と向かって言われるとは夢にも思わなかった。


「七股、してんだろ?」


アメリカ映画の極悪非道のスパイのような、冷ややかな声と視線。

笑って誤魔化しでもすれば秒速で心臓に鉛玉を打ち込まれそうなほどの殺気。


俺は思考する余裕もなく、かといって肯定出来るような度胸もなく、驚きと恐怖から固まってしまう。


まさか、情報を掴まれていたなんて。

でもまあ、確かに天下の金村グループならば、娘の彼氏の七股を突き止めるくらい、訳もないだろう。


むしろ、隠し通す方が不可能というものだろう。

ただでさえ、この1か月で危うい場面はいくらでもあったのだから。


黒服は、それが答えと捉えたらしく「ふっ」と軽蔑するように鼻で笑うと、俺の肩に手を置いた。


その手は、ものすごい握力で俺の肩を握りしめてきて、肩のみならず全身に激痛が走る。


「ここにはお前の彼女七人全員が滞在している。な~に。これはお前が招いたただの偶然さ」


七人、全員・・・。


俺はさきほど返したメールの内容を思い出す。


そう言えば全員、どこかへ旅行中だった。


それがまさか、全員同じところへ集められていたなんて。


最悪のシチュエーションだ。


「ただばらすのもつまらないと思ったからな。どうせなら最悪の形でネタバラシをしてやろうと修羅場を用意した。さて、心の準備はいいか?お前はこの東北のハワイと呼ばれる地で、太平洋の底に沈められたような気分を味わうことになる」


ここに来た時点で、もう俺の敗北はほぼ確定している。

広い敷地内を遭遇しないように上手く逃げようとしたところで、情報はすでにこの男の手の中にある。ここで修羅場を回避しようと、もう詰みなのだ。


絶望した俺の肩から、黒服はすっと手を離す。

そして、顔を近づけ不敵な笑みを浮かべながらこう囁いた。


「いいか。俺はこう見えて寛容なんだ。お前が死のうがどうなろうが、俺にとっては何の関係もないが理香お嬢様は別だ。どうしてかは分からんが、お嬢様はお前のことを心から想っておられる。だから、お前の七股がバレた場合、辛い思いをするのは理香お嬢様も同じだ。俺はお前が憎くて仕方ないが、お嬢様を悲しませることについてはかなりの抵抗がある」


そして俺の頬を両手で挟み、ゆっくりと押しつぶしながらさらに続けた。


「だから一つだけ、お前が助かるための条件を与えよう。わざわざこんな場を用意したのは、この提案のためだ」


「な、なんでちゅか・・」


頬を潰されて口がタコのようになっているので呻くように言うと、黒服はニヤリと笑ってこう締めくくった。


「誠意を見せろ。そうすれば、七股の件は俺の心の中だけに留めておいてやる」





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