第54話 金村理香 その1

「まあ、ここが太郎さんのお部屋なのですね。何だか、太郎さんって感じの匂いがしますわ」


金村は俺の部屋に入るなり、開口早々言いながら、クンクンと布団の匂いを嗅いだ。


「おい、やめろ。どうして布団の匂いを嗅ぐ」


「どうしてって、そんなのお布団が一番太郎さんの匂いがしみ込んでいるに決まってるからですわ」


「嗅がれたくない匂いもしみ込んでるかもしれないからやめてくれ」


太郎臭・・・いや、それ以上の太郎臭、タロウズスメル改がねっとりとしみついているかもしれないのでそれ以上は本当にやめて欲しい。

大丈夫だよな?昨日今日の俺。


真顔で注意すると、金村は何かを察したように頷き、モゾモゾと俺に近づいてきた。


「安心してください。私も幼い頃はよくやらかしてメイドさん方に叱られていましたわ。そこらへんに関しては、理解が深いかと」


いや、そっちじゃない。まあ確かに、出てくる過程は同じかもしれないが、中身が違う。


てか、そんなことどうだっていい。


俺は色んな意味で濁った空気を換気するため、窓を開ける。


すると、窓の外に金村のボディーガードと思われる黒服の男が物凄い形相でサングラス越しにこちらを睨みつけていた。


いや、そこから部屋の中の様子とか見えちゃうの?凄い動体視力だな。



俺は瞬時に男から目を逸らし、カーペットの上で行儀よく正座をしている金村に視線を移す。


「で、今日は突然どうしたんだよ」


「どうしたって、さっき説明したでしょう?日本が長期休暇に入ると聞いて、居ても立っても居られず、太郎さんに会いに来たのですわよ」


「向こうの学校はどうした。サボりか」


「サボりではありませんわ。ただ適当な理由をつけて、学校にしばらくお休みを入れただけですもの」


「金村。それを世間一般ではサボると言うんだぞ」


「嘘?!そうなのですの?じゃあ、わたくし、おサボりしましたわ」


金村は首をくいっと小さく傾げ、満面の笑みを浮かべながら自らの怠惰を告白する。

金村は、日本でも有数の超大手企業の金村グループの一族の5人兄妹の末っ子ということもあって、筋金入りの箱入り娘である。


なにしろ高校に上がるまで、一度も自らの足で公道を歩いたことが無かったらしい。


そのため、当然街で買い物をしたり、友達と遊んだ経験というものもないらしく、超がつくほどの世間知らずである。


その上、育ちの良さからか心はとても純粋で、どんなに悪意が満ちた嘘や屁理屈も信じてしまう傾向にあるため、たまにとんでもない暴論を笑顔で吐いたりもする。


男子の間でよく使われる言葉である「うるせえ。ぶっ殺すぞ」を友好の挨拶だと勘違いした彼女が、何かあるたびに頻繁にそれを使っていた時は、家柄の事もあり、それを言われた者は社会的に抹消されるというあらぬ噂も立ったものだ。


まあ実際、彼女に傷一つでも付けたら社会的に抹消されること自体は真実なのだけれど。だって見てよ窓の外にいるアレ。


懐にライフルとか仕込んでても、全然不思議じゃないからね。


「おサボりは分かったけど、こんなことしてもし帰国しているのがバレたら向こうの先生に怒られないのかよ」


「大丈夫ですわ。例え怒られようが、聞き取れませんもの」


「え、留学したのにまだ英語覚えてないの?」


「ふっふっふ。太郎さん、人は環境が変われど根本の部分はなかなか変えることが出来ないのですわよ。知らなくって?」


「いやそれはそうだろうけど・・。通訳が居るとはいえ、少しは上達しているものかと」


「あ、でも最近一つ新しい向こうの言語を覚えたんですわよ。ハロー。マネープリーズ」


金村は微笑みながら、右手で手を振り、左手で手の平を差し出す。


この通り、金村理香を語る上でもう一つ外せない特徴は、そのIQの低さである。


良く言えば天然、悪く言えば筋金入りのアホである。



親の方針で海外へ留学しているが、この通り、英語は中学1年レベルの内容しか話せないし、おまけに恐らく向こうの生徒にヘンなことも吹き込まれている。


日本の国家予算よりも財産があると言われる金村グループの令嬢が「マネープリーズ」だなんて、嫌がらせにもほどがあるだろ。


おい、黒服。俺なんかを警戒するよりも、もっとお前のやるべきことがあるだろ。純粋無垢な金村に、変なことを吹き込むアメリカンそばかすボーイを抹殺するとか。



とはいえ、向こうの学校をおサボりしてまで、わざわざ俺と過ごすためにここまで来てくれた事実は嬉しい。

それに、こうして久々に会えたのも胸が高鳴る。


こうなれば、GW中はとことん金村に付き合う覚悟を決めるしかない。


俺は背筋を伸ばし、彼女に向き直る。


「それじゃ、これからどうしよっか」


訊ねると、彼女はよくぞ訊いてくれましたとばかりに勢いよく人差し指を突き立て、ペロンとベロを出した。


何だそのポーズ。英語は出来ないくせに、めちゃめちゃアメリカンやん。


「これから私と、ハワイに行ってもらいます」


ハ、ハワイ・・・。


リア充たちがわざわざ飛行機で往復18時間かけてまで旅行に行くという、あの太平洋にポツンと浮かぶ列島のことですか・・・。

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