第52話 地区総体 その7
「へえ。有紀がそんなことをねえ」
スタジアムから最寄りの駅までの帰り道、俺は月島有紀が言っていたことを火野に伝えた。
勝手に伝えるのはどうかとも最初は考えたのだが、やっぱりどうしても有紀の本当の気持ちを火野には知っておいて欲しかった。
「ま、実はそんなこと。とっくに気づいていたのかもな」
「気づいてた?」
「うん。有紀が私の事をうちの家族のように見下したりはしないことなんて、分かってた。だけど、仮にもしそう思われていたらショックを受けることになるから、ならばいっそって、そう思うことにしたんだと思う。そうすりゃ、心の準備が出来てるからショックが軽減するだろ?もしそれが間違っていたとすれば勝手に救われたような気持にもなるしさ」
「まあ、確かに」
「だからね太郎君。人生において、常に最悪の事態を想定しておくことはとても大事なのだよ。心に刻んでおきなさい」
どこかの大学教授のような言い方に、思わず吹き出してしまう。
あまりにも似合わなすぎて、逆に違和感がない。
きっとこの教授、授業でパワーポイントなどの資料を使わずに教科書をただただ読み進めていくだけの脳筋タイプだろう。
寝ている生徒に向かって怒鳴り散らかすその光景が目に浮かぶ。
「それにしても有紀、速かったなあ」
火野が思い出したように突然話を変える。
俺は有紀の走っている姿を思い出し、「そうだな」と正直に頷く。
特に予選の時の有紀のレースは、化け物じみていた。
きっとレース前に一度話していなかったら、いくら月島の妹とはいえ住む世界の違う雲の上の人間だと勘違いしていただろう。
「はや、かった・・・・」
火野は全身をプルプルと震わせながら、突然立ち止まる。
「やっぱり、、、やっぱりぐやじいよお」
そしてみるみると顔も真っ赤になっていったが、涙だけは出さなかった。
その涙の分、鼻水は大変なことになっていて、まるで滝のようになっていた。
「いやそこまでいったら泣きなよ」
彼女の鼻水をティッシュで拭き取りながら、俺は苦笑いを浮かべる。
「な、泣かないから!もうこれ以上太郎に泣いてる姿見せる訳にはいかないもん」
「俺的には鼻水よりかはまだマシだと思うんだけど」
「じゃあ、鼻水もやめる」
火野は鼻水を勢いよく啜り、鼻に力を込めてその流れを止めると、今度は鼻呼吸を止めたことが要因なのか、口から微量の涎が流れて来た。
「汚ねえなあ。身体のどこかしらの穴から液体だして無いと気が済まないのかよ」
「あ、穴から液体って!!こ、この変態っ!!もしかしてそういうの好きだから、女子トイレに入ったんでしょ?!」
顔をさらに真っ赤にさせながら、今度は思い切り俺のケツを蹴り上げてくる火野。
俺は蹴られたケツの痛みをじんわりと感じながら、そのありがたみを何となく実感した。あとこれは断じてドМ発言ではない。
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