第51話 知らなかったよ(月島)

太郎くんと火野ちゃんのやり取りの一部始終を、私は遠くにある木の陰に隠れてずっと見ていた。


そして、私の視界に映るのは、二人だけではない。

一つ前の木に身を隠した日野朱里が、口に手を当ててがっくりと項垂れていた。


彼らが私たちとは反対側の方向へと帰っていくのを確認した後、私は朱里ちゃんに近づいて声を掛けた。


「大丈夫?」


「大丈夫そうに見えますか?」


朱里ちゃんは体育座りをした太ももに顔を埋めたまま、答える。


「そうだよね。ごめん」


私が謝ると少しの沈黙の後、朱里ちゃんは口を開いた。


「知ってたんですか?」


それはきっと、太郎くんと円佳ちゃんの関係性について聞いているのだろう。


彼女がコンビニへ向かう直前、「やっぱり戻る」と全力で引き返そうとしたのを私は力づくで止めようとしてここまで追いかける形となったので、知っていたのかと疑うのは自然な流れだろう。

実際、彼が戻ってやろうとしていたことなんて、お見通しだったのだから。


「知らなかったよ」


「嘘だ」


「嘘じゃないよ」


だけど私は、絶対に彼の行いを肯定するようなことはしない。

徹底的な状況を見られてしまったとしても、無理だと分かってて、私はどこまでも惚ける。


それに、私は嘘はついていない。


事実、本当に知らなかったのだ。


円佳が、太郎の前ではあんな顔をすることも、太郎が彼女の言葉を真剣に受け止めていることも。


私と太郎はもう付き合って2年半以上経つけれど、私の言葉にあんな真剣な表情をされたことは一度もない。


そして恐らく、私の知らない彼を円佳ちゃんはもっと知っている。

朱里ちゃんだってそうだ。付き合いの長さだけで言えば私なんかよりも彼女の方が断然長い。私の知らない太郎君の顔を、この子は数えきれないほど見てきたはずだ。


そのことに、ほんの少しだけジェラシーを感じてしまう。


「ほんの少しだけ」というのはただの願望で、もしかしたら自分が思っている以上にそれを感じている可能性もある。


今まで、こんな感情が生まれたことがなかったのに。

彼との特殊な関係は、昔から続いていたことだ。それならばどうして、今になってこんな複雑な感情が湧くんだろう。


それが私は、不思議でならなかった。


「もう分かんないよ。太郎のこと」


泣きながら突然言った彼女の言葉に、私はハッとした。


そうだ、今は自分のことを考えている場合じゃない。

目の前にいるもう一人の彼氏の彼女に向き合わなければ。

ここで私が何もしなければ、太郎に大きな被害が被るかもしれない。


「分かんなくたって、良いんじゃないかな」


朱里ちゃんが言葉に反応にして顔を上げる。

その瞳は、涙で充血していた。


ああ、可愛いな。こうやって純粋にショックを受けて涙を流せる女に、私もなりたかった。だけど、それはもう無理なんだ。だって、私にはその資格すら、与えられていないのだから。


「人間、誰かを完璧に理解しようとするなんて不可能だよ。例えそれが幼馴染の恋人だとしても。だからここは、理解しようとするんじゃなくて太郎君を信じてみようとすればいいんじゃないかな。彼の彼女さんならば、分かるでしょ?太郎君がどのような人間でどのような価値観を持っていてどのような行動を取るかくらい」


「あの、それ、本気で言ってるんですか?」


朱里に指摘され、一瞬怯みかけたが、すぐに平然を装い「本気だよ」と答える。


「太郎君は例え心に決めた人が居たとしても、目の前でもがき苦しんでいる人がいれば迷わずに手を差し伸べちゃうような人。だからさっきのも、きっとそれ。そんなどこまでも優しいところに、朱里ちゃんは惚れたんじゃないの?」


「一体何のつもりですか。私、もう気づいてるんですから。あなたも恐らく、太郎とそういう関係にあることを。なのにどうして、私を励まそうとする真似なんてするんですか。それで私に勝ったつもりですか?格の違いを、見せつけてるつもりですか?」


「ねえ。朱里ちゃん、何を言っているの?」


「その余裕ある態度が、ムカつくんですよ!!!」


彼女の怒鳴り声が、オレンジ色の空に響いた。


普段は大人しい子の怒鳴り声は、何よりも心臓に悪い。

その迫力にしばらく圧倒されていると、朱里ちゃんは立ち上がり、私に背を向けて歩き出した。


「おかしいですよ、月島さん。・・・いいや、おかしいのは私か。頭の中がぐしゃぐしゃでもうどうしていいかよく分からない。いずれにせよこれ以上あなたと話していると本当におかしくなってしまいそうなので私はもう帰ります。今後どうするかは、あなたの意見を反面教師に、ずっくりと考えたいと思います・・・」


彼女は最後に震える声でそう言い残し、これ以上ここに留まりたくないと言わんばかりに走り出した。


「おかしい・・・か」


私は一気に力が抜け、その場に膝から崩れ落ちた。


元々始まりから狂っていたのだから、おかしいのは当たり前。


だけど、朱里ちゃんにそう言われると、何だか自分が今まで自覚していた「おかしい」とはまた別の意味が含まれているように感じられた。







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