第38話 レース前(火野視点)

「まーどーかー!!」


サブグラウンドの脇の、成駿の陣地でストレッチをしながらイアホンで音楽を聴いていたら、かなりの音量を出しているにも関わらず同じ陸上部員の大曾根星花の甲高い声が音楽越しに聴こえてきた。


「どうした。うるさいなあ」


「ちょっとちょっと大ニュース!!さっきスタジアム前を通ったらににににに、錦戸達を見かけたの!」


「錦戸って、どっちの錦戸?」


「そ、それはもちろんこっちの。。。って、ヤダ。今の言い方、まるで私が錦戸のこと身近に感じてるみたいじゃない。有名じゃないうちのクラスの、錦戸よ」


「もーめんどくさいな。いっそのこと『私の』錦戸で良いじゃん」


「ちょ、ちょっと円佳!!あんまりからかうと怒るからね!」


「もう怒っとるがな」


少しからかっただけなのに、顔を真っ赤にして頭から湯気が出そうな勢いで私に迫る星花。


まったく、一年の頃から彼のことを想っていて、せっかく三年で同じクラスになれたというのにまだ話しかけることすらも出来ていないらしく、この子の恋愛における奥手ぶりには呆れてしまう。


親友として助けてやりたい気持ちもあるが、如何せん今は自分のことで頭がいっぱいなのでそんな余裕はどこにもない。


「はいはい、愛しのダーリンが来てはしゃぐ気持ちは分かるけど今は自分のレースに集中しようね~。星花が出る800mも今日の午後でしょ」


「い、愛してないし!!ダーリンじゃないし!!あ、あとちなみに天王寺さんと朱里と田中君も居たな~。最近あの三人仲良いよね。朱里は多分、ヒノヒノコンビの相方として、円佳の応援かな?」


田中君。

星花の口からその名が出た瞬間、私のイアホンから流れている音楽が全て聴こえなくなった。


「突然どうした?表情固まってんぞ?」


「え、ああ。何でもないよ」


慌てて表情を繕い、星花との会話を適当に切り上げる。


彼女は涎を垂らしながら「に、錦戸が、私のユニフォーム姿を・・。太ももを、腋を、おへそを見てくれるのね。ああ、堪らない。この冬季期間中、身体を仕上げて良かった。グヒヒ」などと警察官にうっかり聞かれたら逮捕されかねないことを呟きながらどこかへ行ってしまった。



そんな星花を見送ったところで、私の頭の中はタローのことで頭がいっぱいになる。


どうして彼が、今日ここに?


昨日、確かに私は応援に来ないでと言ったはずなのに。


自分の気持ちに整理がつきそれを正直に打ち明けた今、彼に合わせる顔なんて、あるはずがないのに。


こんな最低な女への気持ちなんて、いくら優しい太郎でもあの話を聞いてしまったら冷めるに決まっているのに。


「どうして、ここに・・・」


昨日のことを思い出し、溢れてしまった気持ちからそんな言葉が漏れた直後だった。


「円佳さん」


背後から突然声を掛けられた。


その声の主を、私は知っていた。


「月島有紀です。お久しぶりですね。火野さん。私のこと、覚えてますか?」







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