第36話 地区総体 その1

4月23日。土曜日。


長き冬が終わり、雪も溶け、春の陽気にも慣れありがたみを感じなくなった今日この頃。遂にこの日がやってきた。


地区総体当日。


少し錆びれてはいるが、まだまだ現役であるスタジアムには、さすがに満員とはいかないものの、それなりの人数の観客でにぎわっていた。


休日の朝の十時だというのにこの賑わい。

きっと火野の応援が無かったら、今頃は家のベッドの上でダラダラしているであろう。


「おい、見ろよ太郎。良い脚してるぜあの子」


せっかくスタジアムを一望して気分を高めていたというのに錦戸が入場早々台無しにするようなことを言ってきた。


この時間から、もう競技は始まっている。


地区総体は、何十種目とある競技をわずか二日間で終わらせる必要があるので割とスケジュールがキツキツなのだ。


ちなみに今行われているトラック種目は、女子の2000m障害という長距離種目で火野が出場する400mハードルは午後の2時から行われる。


「あ、あの子もめっちゃスタイル良いな。なあ、日野もそう思うだろ?」


脇やへそ、生足が露わとなったなかなかにえっちい女子のユニフォーム姿にテンションが爆上がりしている錦戸に、日野は困惑の入り混じった苦笑いを浮かべる。


一体誰に共感を求めているんだこいつは。


日野も日野で、自分の脚と選手の脚を見比べて俺の顔色を伺いながら今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。


大丈夫だって。俺はスレンダー体型よりもちょっとぽっちゃりしてるぐらいの健康的な体型の方が好きだ。


それに日野は、充分細い分類に入ると思うぞ!


確かに陸上女子のスタイルと見比べると、アレだけども・・・。


「なあ。早く適当なところに陣取ろうぜ。お菓子とジュース買ってきたからよ。すぐに食べてえんだ。運動会といったら、やっぱりこいつらは外せねえだろ?」


お世辞にも細いとは言えない、陸上の大会に迷い込んだ女子プロレスラーみたいな感じになっている天王寺の一言により、俺たちは空いている席に四人並んで座った。


それに陸上の大会は運動会とは毛色が違うと昨日きちんと教えたはずなのに。こいつの記憶力は猿以下か。


右から錦戸、日野、俺、天王寺の順に座る。


ちなみに天王寺は一席だけでは尻が収まりきらずに、丸々二席占領している。


こいつ、席と席の間に区切りがある映画館みたいな場所では一体どうしているんだろう。無理くりデカい尻を押し込んでいるのだろうか。

今度、映画に誘って観察でもしてやろうかな。


「あれあれ~。もしかして太郎君?やっほやっほ~」


背後から声を掛けられ、驚いて振り向くと、そこにいたのはまさかの月島小百合だった。


すぐ後ろの席に座る彼女が、顔を近づけて妖艶な微笑みを浮かべる。

少しでもこちらが顔を近づけたら、唇を重ねてきそうな勢いだ。


月島の登場は全く想定していなかったので、思考がフリーズしてしまう。

恐る恐る日野の方を見ると、案の定訝しげな表情を浮かべている。


「おう。エロ女」


そんな俺の気など露知らず、天王寺がクッキーを口の中に放り込みながら陽気に挨拶する。


「あら~。舞ちゃん。今日もしっかり舞ちゃんね~」


どういう意味だよそれ。てか、何でここに居るんだよ。


月島はこちらの考えを読んだかのように持っているプログラムのページを捲ると、一人の名前を指で示した。


「月島有紀。私の妹よ」


確かに示された先には月島有紀という名が書いてあった。

しかし月島とは1年半近くの付き合いとなるが、妹が居たという話は今までに聞いたことがなかった。

それに彼女の出場する種目は400mハードルで火野と同じではないか。


もしかして・・・と、昨日火野が打ち明けてくれた話を思い出し、月島を見る。


すると彼女は、こちらの考えを全て見透かしたように笑みを浮かべ、小さく頷いた。


「今回有紀は、円佳ちゃんにとっては因縁の相手ということになるわね」


有紀と火野が繋がっているということは、当然姉である月島と火野も繋がっていることになる。

それに今の態度から、月島は俺の知らない事情まで、もしかしたら知っているのではないかとすら思えてくる。


まさか、火野と月島が繋がっていたなんて、夢にも思わなかった。


実は彼女たちは、俺の知らないところで意外な関係性があるのだと想像したら、なんだか背筋の凍る思いがする。


「何の話?」と日野が耳元で尋ねてくる。


俺は「さあ?」と分からないふりをするが、嘘だと見抜かれてもおかしくないくらい我ながらぎこちない反応となってしまう。


「じゃあ月島は、妹の応援に来たのか?」


月島と1年の時同じクラスで顔なじみである錦戸が(ちなみに俺も同じクラスである)端から話しかける。


すると月島は少し考え、言った。


「半々かな~。もちろん妹にも頑張って欲しいけど、円佳ちゃんにも負けて欲しくない。だから今も、すごく複雑な心境なのよね~」


火野の話を聞いたので、月島の言っていることがよく分かる。


昨日、火野が俺の部屋で語ってくれたこと。


それは、あまりにも火野が不憫で胸が痛む、苦渋に満ちた彼女の過去だった。


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